kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

08月19日(火)

ウツもうまく付き合えるようになるとメリットがある。

感情の起伏に当人がふりまわされる。悲観的に感じていたことが、とある瞬間には些細なことに思える。
そういった不安定な自己に悩むこともある。ことに、ポジティブなほうを本来の自分と思い込みがち。ウツという病気がなおれば、いつも元気でポジティブで爽快な気持ちで生活できると思い込んでしまう。

なにか、正しい自分があり、そのような理想的状態を目指そうとし続けるのだけど、それはもっぱら挫折し、そして最後には進退窮まる。

正しい自分などない、という前提に立てばよいのだけど、それは容易ではない。
そこという地点において、自分は確かであるのだと、確信したことは、ただ、そこでの地点においてのことだと、冷静に受け止める必要がある。
だけれど、自分の境界ぼやけていて、境界において自分だと思っているものと自分ではないとおもっていることがせめぎあっていて、常に境界線は動き続けている。境界線の変動を逐一監視して、本来あるべき線まで押し戻そうとしなくてよい。
押し込まれた部分に、実はあまり意味がない。一部に圧力がかかって境界が縮退しても、別の箇所に圧力が移動することができる。フロイトが欲動といったやつ、といえば自分が説明しなくても済みそう。

逆の言い方をすれば、狂ったように創作にのめり込むにはそのようなマインドだと難しいのだろうと思う。
自己を極限まで明確にし死守することで、無意識に最大の圧をかける。その圧を昇華させることで、破局的な成果物ができあがる、ということもあるのだろう。

世界を愉しみたければ、安全弁を開いて、圧を逃がす。
自分を愉しみたければ、安全弁を閉じたまま、偶発的な境界の亀裂に身を委ねるといいのかなと思う。

どちらが正しいがあるわけではない。
ウツとうまくつかえるようになると、それぞれをうまく使いこなせるようになるのかなと。