08月26日(金)
安定した環境をつくりそこに閉じこもろうとする。
確信したい何かに囲まれて、それらの確信によって安定した自分でいられるなら、どれほど楽なことだろうと思う。
自分がそう思いたい対象はたくさんあるけど、それらを自分がコントロールできるわけではない。
自分が何かをコントロールするということすら幻想に思える。
本当のところ、見えているもの聞こえているものすら、確信がない。見たいと思っているものはその様に見ているだけだろうし、聞きたいと思っているものもその様に聞いているのだろうと思う。
瞑想を試みるたびにそのことを強く思う。
混沌はあらゆる前提の前に存在していて、自分や自我という言い方でなにか理由付けをしてやりくりしている。
混沌とはいうが、それはやりくりした結果の名前付けであって、それをプラスやマイナスと評価できるものではない。
作っている作品もそういった背景があったのかなと思う。
混沌と呼ばれるものをその瞬間に適当な断面で切り取った表面を記号化して提示するという作業の断続的な繰り返しは、生そのもののように無意味でしかないのだろう。
だたありのままに無意味そうなことをを、自己と思われるものを通して、また無意味なものに再加工する過程に、自己と思われるものは快楽を感じる。