09月04日(日)
誰でもがコンテンツ配信できるようになって、自分がものづくりをする必要はないな、と思うようになった。
その領域ですごく尖った表現をしていて、それは一般大多数に受容されるという類いではないけど、アートや創作といわれた、その表現に似ていると思う。
個別のアウトプットがあり、それを表現に変換し、それを受容するというその境界ごとに余韻があるアウトプット。
昔は境界などない方が良かったし、境界はシンプルなもので多様性には無頓着だった。
ゼロ年代以前、コンテンツを作るのは実務的なコストとスキルが必要だったとおもう。
現在では、同様のアウトプットをするにせよ、テクノロジーの進歩で必要な実務的コストとスキルはかなり低減されたように思う。
多様な質のコンテンツにさらされるというのはあるが、すばらしいコンテンツと出会える機会が増えたのも、間違いではないのだとおもう。
ゼロ年代以前、欲望は宙ぶらりんのまま期待に巻き込まれて、判断から離れたところで渾然一体となり曖昧な位置にいたとおもう。
いまにおいては、作品を公表したとして許容されるかされかどうかは短期的な時勢による、としかいえない。