去人たちを作れなくなったうつ病プログラマーの地方生活日記

創作に絶望すると、世界が反転した日記

7月26日(日)

眠りすぎて目がとろけそうだ。目覚めは悪くない。ただ、退屈な世界に来た。レベル1で身体能力が底辺なせいか身体は重い、賢さが底辺のせいか何も考えられない。夢の中ではファンタジーの世界で誰かとパーティを組んで何かと戦っていた気がする。前線でたたかう職業なのにチキンがですぎて後方でうろたえていた。でもパーティはオレを白い目で見ずに励ましてくれた。オレは疑心暗鬼に陥る。オレは非常食としてこのパーティに参加している気がする。かくある戦史においても食人の事実は多かったし、単独で兵站能力をもつパーティとしては合理的だ。食糧とならないためにはそれ以上の戦力となるよう成長しなければならない。そのためにはリスクを覚悟して前線にでなければならない。目を覚ますと世界を俯瞰的に見られる。二次元の存在が空間を感じられれないように、目が醒めた世界は次元が一つ上にあるきがする。神ではないが、それに近い存在。オレは夢の内容を理解しても夢のなかに干渉できるわけではない。夢を見ていた自分を包含する世界にオレがいるわけじゃない。夢の世界とオレがここに棲んでいる世界の差集合世界にナニかはあるような気がするが。
オレの棲まう世界に戻る。いつの間にか身体やは思考は清明さを取り戻している。外は雨が止んでいる。世界の全てが停止している。時間が進んでいない。置いてけぼりの世界から抜け出している。その間に生きるためにどうでもよいいろんなことをやるべきだ。時間はとまっている、思想、哲学、歴史の課題と考察を誰もしていない。オレは今のうちに補給し、時間が進み出したときにリーマン予想を考えればいい。天符堂本舗にいって日用品を買う。田舎ではティッシュペーパーやトイレットペーパーのラインナップがすくない。またこのなからオレの生活スタイルにあったものを探していけるのは嬉しい。高品質製品から価格重視製品まですべてをためして、費用対効果がもっとも高いものを選び出す。楽しい。レトルト食品とお菓子、虫刺され塗り薬、お酒を買う。ドラッグストアがお酒売る、このマッチポンプ感、すごく好きである。レジは混雑している。時間は惜しくない。世界は止まっている。余裕である。レジがまわってくると袋を一枚欲しいと伝える。レジ担当は袋一枚ではたりないのではという顔をする。すかさずオレは自分で袋詰めしますとつたえる。カゴからカウンターにだして精算し、またカゴに戻す作業をする。時給換算で3円とか5円ですまない作業である。本当にレジ袋が環境破壊の主たる原因の上位にいるのだろうか? 目的にレバレッジの効かない政策をしているならオレは人間を辞めたい。
家に帰る。時間はまだ止まっていた。サイクリングに行くことを決める。今日は自分を少しでも殴りたい。羊鳥ヶ岳周遊ではなく、羊鳥ヶ岳の峠越えと半周コースを選ぶ。羊鳥ヶ岳周遊コースが円だとするとその中心線を越えるのが峠越えで、あとは左か右周りでもどってくる。峠越えは獲得標高で三百メートルほど加算される。林道のようなものなので二桁の勾配が続く。距離は短いがかなり負荷がかかる。三十分ほどで峠、下ってからは右回り。こちらも登り。プラス二百メートルの獲得標高。湿度が半端ない。びしょびしょ。峠の茶屋でアイスクリームをたべるのだと、気合いをいれる。でも脚が死んでいる。筋肉疲労とは違う、ずだ袋になってしまったような軋みながら動きの悪い太もも。朝飯まともなもの食ってない。エネルギー切れだ。なんとか海を望む茶屋について息を整える。するとまさかの磯貝さんである。お疲れ様、熱中症に気をつけてと労いの言葉。坂道でへろへろになっているところを見られたのが恥ずかしいがまあサボっていたこともありイキがることもできない。ペコペコとしながら世間話を交わし別れる。突然のイベントで混乱してしまいアイスクリームをたべるのを忘れてしまった。そのまま部屋に戻る。途中九%で脚を使い果たす。何故オレはこんなに弱くなったのだろう。

家にかえり、風呂にはいる。先客二名いる。今日は人に強い日だ。まるで存在しないように振る舞える。頭、顔、身体を洗うと湯船で瞑想する。一人ではないのに今日は比較的瞑想に集中できる。今日の夢やパーティーが使っていた魔法のことが気になるが追い払いながら暗い世界に沈降しようとする。今までの瞑想が五点とするなら十五点ぐらいの瞑想。百点を目指したい。自我や他我を越えた境地、どうやって突破していったらいいのか。自我でないという状況を意識している状態では逃れない境地。森田療法とか戸塚ヨットスクール療法を試したい気持ちある。
風呂上がり、眠い。Amazon Prime をみると Amazon.co.jp: 俺、ツインテールになります。【TBSオンデマンド】を観る | Prime Video が配信開始している。くだらないなあと思いながら、病的にツインテールが大好きなオレ向けの作品であることを理解する。正直、オレも自分をかわいいツインテールの女の子と思い込んでうつ病日記を書きたい。戦隊ものツインテールとか最強のアニメである。第一話を見終わったあとに異常に性欲が亢進してしまったのでこれは嘘ということにしてオレはそんな俗物ではないんだと思い込むことにした。ツインテールの良さとはなんなのだろうか? あまり考えたことない。歴史ではなくとても個人史的なことだろう。十四歳末期のツインテール論という本をかいてもいいかもしれない。オレは未だに自分が書きたい本のテーマがみつかっていない。二話はまた生きるのが嫌なときになったら見よう。
疲れたので仮眠する。

起きると二十一時。明日は仕事だ。このまま寝ても良いかなと思うが執筆作業をしなければと思う。この執筆作業がなにを意味するかは分からないが、必要だと思うときがある。ぬる燗でゆっくりと頭をほぐす。オレには友人が何人いるだろうか? ここでは議論をわかりやすくするために友人の定義を決める。友人とはどのようなものであるかは個人的なものであるから、この定義について思いが違ったとしても割り切って欲しい。三年以内に互いの部屋に訪問したことがある人のこととする。リモート友人が存在しえないという定義は自分のなかでの定義にしっくりくる。従って友人はゼロである。かつて友人だったのはヤマシタさん、そのまえは、@lice である。十二歳のころから友人はいなかった。友人とは酒を飲んで本音で話すことを恐れなかった。嫌われるかもしれないことをいって喧嘩になってもまた酒を飲もうと思えた。十四歳なりの幼稚な友人観にってオレの友人になろうという人は誰も居なくなった。十二歳を終えて気づいた。友人であり続けるためには友人であるための心遣いが必要だということを。オレはSFや精神分析に傾倒しそこで議論できないことを下にみるという、屑オタクになっていた。おれが本当のオタクなら突き通せばいいのだけど、にわか、という痛々しいオタクだった。いまでもそういう痛々しいオタクをみるとオレは胸が痛む。虚栄心は成長につながるから、などと励ましたりもするが相手はその言葉の意味を理解してくれない。
オレは友人がゼロになってしまった。いま、友人が必要だと感じている。あやはただ正しくしく、オレはただ間違っていて、友人ではなれなかった。この二人の対話はもう結論がでてしまった。一人でもいいから友人が必要だ。レンタルフレンドでもいいしレンタル彼女でもいい。荒唐無稽な話を真剣に聞いて、オレがリスクを冒してもいいという相手が必要だ。

今日も二人っきり。薬をのんで寝る。

7月24日(金)

九時に目を覚ます。昨日と同じ一日のような気がする。重たい身体。目標のない一日。ポタリングにでかけたりシュノーケリングにでかけてもいいかもしれない。生活用品の買い出しもいい。でも肩と二の腕がずっしりと重い。そのまま布団に転がりながらスマホでニュースをみる。新型コロナウイルスの話、ドクターキリコの話。オリンピックの話。パワハラの話。
どんなに生きやすい社会でも人が死にたいと思うことは止めることはできない。まずは良い社会の問題と死にたいと思う個人意思は分けて考えなければならない。そのあと、個人と社会の相互作用について検討する必要があると思う。完璧な抗うつ剤ができた未来、自殺者がゼロになる、それでいいのだろうか? うつ病とは純粋に神経生理学的な誤作動なのだろうか、誤っていないとは誰が判断したのだろうか?

夢想しながら眠っていた。起き上がる。暗い。時間は十九時。今日はエクリプスチームの Left 4 Dead 2 大会がある。しんどい。気合いで起きる。とりあえず風呂に入る。目を覚ます。冷凍ご飯と冷凍肉を焼いて焼き肉丼を作って食べる。肉うまい。こんな生活をしていたらいつかどこかでツケを払うことになるんだろうなと思う。死にたくないよね、死にたくない。独り言。

上半身は重厚な甲冑でもまとっているかのように重い。Left 4 Dead 2 を起動して一人でウォーミングアップをする。行方さんと河合さんがログインしてプレイする。Left 4 Dead 2 はエイムよりも立ち回りが大切という知見を得ている。周囲の状況把握と位置どり、特殊感染者への対応。グループでの集団行動をし特殊感染者の襲撃にたいして適切に対応すること。一般感染者は漫然と攻撃してもチームを崩壊させるまでの被害はでない。マウスクリックも億劫ながら、やりはじめると少し元気がでてくる。誰かと何かをやって成果ができるのは楽しい。今回は一度全滅したが、なんとかステージをクリアする。行方さんは犠牲になったのだ。南無。

みんなケツがあるので二時間ほどやって終了。オレは酒を飲みながら少しだけ執筆作業をする。この日記ってなんでやっているのだろう。なんか最近楽しさも減ってきた。ああ、日記が問題じゃないのか。同じ毎日が繰り返されることが原因か。日記は悪くない。今日も同じ一日。

薬を飲んでる。

7月23日(木)

休みか、十時に覚醒する。倦怠感。うつ性の倦怠感が混じっている気がする。違いは胸部全体の気づきにくい圧迫感。自然とため息が漏れる。起きて、シリアルを食べる。圧迫感が背中の肩甲骨の中心線にまで及ぶ。ああ、これはよくないうつ性の倦怠感である。朝のルーチンワークもする気がしない。気合いを出すという発想はあるが、それをすぐに諦める。エネルギーはたぶんある、問題は、そこに希望がない。それをやったからといって何がよくなるのか。なにもかもがどうでもいい、なにもかもが面倒くさい。布団に横になる。
二十時。長い間寝ていた。意識が飛んでいた間、オレは楽だった。起きると直ぐに面倒くさいすべてがのしかかってくる。生理的欲求を満足させるためのすべて。面倒くさい。長い排尿、水を飲む。お湯を湧かして麺を茹で冷やし中華を食べる。ネットニュースをみながら世界と同期する。新型コロナウイルス関連のニュース。経済と死者のバランスを試してみようという思惑が失敗している。不確実性については小さく俊敏に試す必要がある。それをやるためには全体最適が前提となる。不確実性を理解しながら、大きな施策を拙速に試そうと検証を開始しそれを部分最適しかできていない社会に指示する。そんなつもりはなかったのに、と全員が思っているだろう。そこに悪意がないのがむしろ呆然とする。
きつい。寝て意識を飛ばしたい。でも寝たらもっと悪化することを知っている。あやが無理せず休んだほうがいいよとにやにやと笑っている。オレは目をそらして外をみる。暗い。新月、それかそこに近いのだろう。自転車に乗ろう。ナイトライドをしたくて田舎に来たのにあまりしてない。この暗さならアドベンチャー感も満載だ。期待は気合いを呼び出す。着替えてボトルに水を用意。自転車をこぎ出す。
点々と街灯が連なる通りを進む。風はほとんどない。湿度は高い。照らされたライトはうっすらと円錐形に靄を捉えている。チェーンの音、虫の声、水路の水の音、夜の信号。人家がなくなると街灯もなくなる。海沿いの山道。電灯のないトンネルを抜けると別の世界に来た気がする。異様な空気、虫の声の静けさ、うっすらとした靄。坂を登るオレは不思議な感覚。何度も走ったのに今までに来たことがない道に思える。オレの身体に脚が生える。自転車にはペダルがつく。手が生えてきて、自転車にハンドルがつく。ダンシングで坂をのぼる。喉と肺が生まれる。呼吸ができるようになる。身体をもって世界とつながりながら生きていると感じる。暗闇の谷沿いの道は異様で不気味に感じるがオレが正しくそこに居れる場所。岬にでると小休止。海には小さな灯りが点々としている。ああ、やっと一人きりになれた。満足する。岬の先が崖になっていても飛び出したいと思わない。オレは部屋にいる限りに安全地帯で守られている。でも部屋に守られていたわけではなかった。あやがオレを守っていた。たった一人の部屋はいつも二人きりだった。狭い部屋で気がつかないうちに場所を取り合い、互いに主導権をとろうとし、プライベートをつくろうと互いに隠れ合い、互いに相手の秘密を暴き合っている。オレはそれに疲れて一人になりたいと感じていたんだと気づく。オレは本当に一人っきりにならなきゃならない。オレだけが使える誰にも盗聴されない耳と、誰にも盗撮されない目を取り戻さなきゃならない。帰り道、コンビニでポテトチップスを買って帰る。
部屋にもどると誰も居ない部屋に向けてただいまという。あやがおかえりと迎えてくれる。汗だくの服を洗濯し風呂に入る。このまえお手入れしたデリケートのおけけの伸びがすごい。陰茎が埋もれてしまって何も見えない。この状態ではライド時によくないことがおこる。またお手入れしなければ。誰も居ない共同浴場でぶつぶつと独り言をいう。一人っきりになったときの開放感を忘れられず、また一人を感じたい。でもそうはうまくいかない。仕方なく黙って湯に浸かる。湯は気持ちいい。
湯上がりにホームランバーを食べる。ハイボールをつくって少しだけ執筆作業をする。あえてあやに声をかける。なんなら添削してもいいんだぜ、というが、よくわかんないといってポテトチップスをたべながらKindleで本をよんでいる。というか、そのポテトチップスはオレが買ってきたヤツじゃないか。ため息が漏れる。明日の予定はない。今日のように死にたい一日になるだろう。でもどうしようもない。

薬をのんでねる。

7月22日(水)

今日も目覚めはよい。たまたまかと思ったが、ここまでくればやはり寛解期といっていのだろう。ただ、憂鬱なことに変わりはない。灰色で、ここは安全地帯で、死のうとは思わないが生きる目標もない。贅沢病と揶揄されてもかまわないが、放置すればいずれ死に至る。何か目標をもとう。そうだ、今日こそ仕事おわりにタンブルウィードに行くんだ。早朝に電話して予約を取ろうとする。しかし夕方は難しいと断られてしまう。馬たちが夕方になるとご飯時とわかってしまってレッスンに付き合ってくれないそうだ。なんだよ、こないだまではいいっていってたじゃん、と思う。がっかりして電話をきる。今日定時で上がる目標がなくなってしまってがっくり。ちょっとぐらいなんとかならないかなあなどと頭のなかでごねてみる。でもよく考えてみると、タンブルウィードはお馬ファーストが一番の特色だ。馬にどれだけストレスをかけないようにするかというのを女将さんがなんども語っていたことを思い出す。乗馬経験者がここにくると馬がおとなしいので驚くらしい。あー、一瞬でもごねようと考えていてオレがはずかしい。きちんと強いポリシーをもった上でのことだった。

恥じ入りながら仕事を開始する。やる気をなくして、Slackの未読を読みながらヨーグルトを食べる。皿を洗おうが洗うまいが、毛布とたたもうがたたむまいが生きてる目標は変わらない。はあ、生きるのめんどくさい。ほんの少しだけコードを書く。なんでもない作業。ただプロダクションコードを変更するのが久しぶりすぎて感動すら覚える。数行の小さなプルリクエストをつくる。RMIチームの期待のずっと新人新人女子、浦野さんにレビューをお願いする。新卒三年目だが新卒が入ってこないばっかりにずっと新人。ただ誰よりもモチベーションが高いし、小さな事でも目を輝かせて取り組むから周りからの好感度はピカイチである。裏では転職活動したとしていても、まったく驚かないほどの貪欲な知識吸収力を持っている。
午後から新型コロナウイルスの対策プロジェクトのふりかえりのリードをやる。イベントごとの感情データや実際に起こった困ったことの関連性をメンバー読み解く。ワークショップによって自分の意識だけの理解だったものが他者の理解と折り合わせることで新しい知見がうまれてくる。発言に消極的なメンバーたちだがオレが励ます形で発言を引きだす。ぐいぐい沓掛さんとプロジェクトマネージャーへの遠慮と。さまざまな思惑があるのだろうが。リモートチームで心理的安全性を向上させるのは難しい。オフィスで協働していると、それだけで働いている姿や他の人との接し方などを見られる。その情報はその人の人となりを知ることの助けになる。リモートではその情報すらない。人となりを知らないことはコミュニケーションを阻害する。メンバーはプロジェクトの課題をコミュニケーション不足によるものだと仮説をたてる。その対策としてスクラムの導入というアクションをまとめる。でもなぜ、スクラム開発なのかについては答えられない。もう何年も前からスクラムがもてはやされてなんとなく導入されてきた。でも、なぜスクラムなのかはあまり答えられる人がいない。スクラムという響きがいかにも日本人好みの一体感を表現しているからだろうとオレは思っている。オレの理解ではソフトウェア開発という社会的で複雑かつ不確実なアクティビティに対処するための基本的なフレームワークである。ルーチンワークスクラムを導入する必要はないし、完結したタスクを粛々とやる人々があつまる部署でも不必要だ。そうはいっても、オレもスクラムは適当にやってきたしアジャイルサムライすら読んだことはない。スクラムの発想はシンプル。だからそのWHYを理解していれば応用することはできる。オレは彼らに問う、ではどのようにスクラムを導入しますか。スクラムしらないので、スクラムマスターが欲しいという話しになる。スクラムを習得したいという人が多いがスクラムを知っている人はない。結局オレがやることになる。引き受けたくはないが、半死人のオレは社内で居場所がない。居場所が欲しいのでつらい選択。このチームが次のプロジェクトで何かスクラムの収穫をえてくれるだろうか。スクラムメンバーとしては多すぎる。パーソナリティもユニークで、スキルもバラバラ。共通点はプロジェクトにメンバーになったというだけ。全部はできない、スクラムのなにかエッセンスだけに絞らなければならないだろう。とすれば、ふりかえりだろう。プロジェクトがどうなろうとオレはかまわない。ただ、ふりかえりから成果を感じてもらうこと、関係性の改善を感じてもらうこと、そこだろう。
仕事を終える。疲れた。頭が過活動になっている。強烈な倦怠感。横になる。

二十一時からエクリプスの打ち合わせ。なにかファシリテートばかりしている。憂鬱すぎて吐きそうになるがお酒を飲んで気合いですすめる。企画会議、どのようなプロットにするかを勧める。こちらはメンバーの河合さん、行方さんともにモチベーションが違うのでリードは最小限ですむ。その分、自分も議論に参加へエネルギーを注ぐことができる。議論に参加するのは楽しい。リビドーの枯渇をお酒で代替しながら議論を続ける。熱意だけではなく深い洞察から作りたいもの正体を浮き彫りにする協働作業。ノベルゲームでどこまで行けるのだろう、と思う。テキスト、画、音楽……原始的だからこそ時代をこえて普遍的な要素はある。でもオレは錬金術師ではない。それら組み合わされたものの以上の何かをつくれるわけではない。一つ一つを磨くことがまずは必要だろう。死ぬほど時間をかけたからといっていいテキストはできない。フォーマルな場ではあまり好まれない考えだが、読書量や個人的な体験がテキストの一部を構成するとオレは思っている。こういうことを言うといつも誰かに嗤われる気がするが、誰かに強制しているわけではない、個人がそう思う分にはかまわないだろう。テクストに個人史は不要、とすればそれはそれで別にかまわない。でもオレがそれを歓迎するのは読者が自由である場合においてだ。まあいい。細かいことは去人たちをみよ。@lice が何かを試したような気がする。
エクリプスは企画に時間がかかっている。河合さんも行方さんも遅れは理解している。オレは死んだも同然の時間を過ごしている。計画通りでないという課題を機械的に問題に感じる。創作を完成させるということを最優先においているプロジェクトだ、当然だと思う。ノベルゲームというプロダクトを完成させるのはそれほど難しくない。ノーコードの時代だ、サードパーティー製のマルチプラットフォーム開発環境もある。なんの根拠もないが最低限なら技術的にはなんとかなる。個人的には妥協した結果、たいした手応えのないものを作り続けるとして、モチベーションを維持できるかが気になる。フリーゲームになろうがカンパウェアになろうがペイできるものを作っていない。作ることで何かを得、作ったものから何かを得る、それができたら最高だ。両方がとれないとするなら、オレは作ることで何かを得たい。ただ作ることと、作って完成させることはオナニーとセックスぐらい違う。まったく別物とといっていい。そしてオナニーのためのオナニーなのか、セックスのためのオナニーなのか。これもそれぞれ意味が異なる。そしてどちらが正しいというわけではない。ただエクリプスにおいてはセックスであり、オナニーもそこに向けた準備運動のプロセスとして捉えなければならない、ということだろう。
エネルギーをすべて放出してミーティングを終える。

クタクタ。眠いし倦怠感もひどい。でも頭は回っている。熱燗とつける。松前漬けでのんびり飲む。薬を飲んで寝る。

7月21日(火)

六時に目がさめる。アラーム前。脳が軽い。気分も爽快。周りを見渡す。夢かもしれない。夢ではないようだ。あやは畳の上で本を読みながら寝落ちしている。ちょいちょいと起こして、二段ベッドの上に押し上げる。酒は飲んだが熱燗だけだったのはあまり身体に負担をかけなかったのかもしれない。睡眠統計は深い睡眠は三十分ほど。いつもよりはマシ。でも誤差みたいなものだろう。と言うことは、躁を疑わなければならないかな。つまらない人生だ。うつに備えるために躁を楽しまない。犬がいずれ死ぬと分かっていて家に犬をお迎えする。その感動はすぐに消えていくと覚悟しながらダンサー・イン・ザ・ダークを見る。どうせ人はいずれ死ぬのだからと思って大量殺人をする。つまらない人生だ。

仕事を開始する。誰もない。朝のSlackは静かだ。未読をすべて消化すればあとは何もない。たまに通知やBotが反応する。仕事に対してこれほど寂しいと感じるのは久しぶりだ。誰かを三日三晩引き回してどうでもよいコード改善をしたい気もする。瀧山や栞ならいいといってくれるかもしれないが、きっちり八時間以内でねと栞は言うだろう。これは仕事なのだ。一二歳のオレがどこかにいて、いま死のうとしているのだ、ちょっとぐらい無理はしたいと思う。でもそれも取りやめなければならない。躁じゃないオレはなんの責任も負えない。
粛々と一人で仕事をこなす。チャットで相談する、返ってくるか返ってこないかわからない返答。ブロッカーになる。イライラになる。コツコツストレスをためる。時間をかけて考えれば解答が得られるタスクではない。純粋な待ち時間。半日まっても返ってこない。もしかして担当者はお休みではと疑って休暇連絡チャンネルまでのぞく。オレはいったい何をやっているのだろう。なんてつまらない仕事なのだろう。このタスクをとめて別のタスクをやる。タスクスイッチ、脳のスイッチ……制約理論……虚無……。オレはもうダメだ。これを改善しようとするともっとストレスがたまる。失敗する。やめろ。諦めるんだ。やるとしても一人ではない。誰かとだ。
お昼。案の定、精神バランスを崩す。ハイパーマートの半額お弁当を食べて、ハンモックで仮眠をとる。仕事を忘れる、仕事を忘れる。イライラが消えない。オレは我が強すぎてどうにもこうにも制御できない。相手の事情なんてどうでもいい。結局、自分が気持ちよくなれれば良いのだ。じゃあ、それでいい、オレを気持ちよくさせてくれ。
午後は思い切ってを手を抜く。手を抜くと決めれば、他のタスクにスイッチしてもストレスは少ない。軽微なバグフィックスリファクタリングをやって頭を入れ替える。これは比較的よいメソッドだった。組織には部分的にしか貢献できないが、オレの気分転換というもっとも大事なことは達成できた。ただ、このタスクが完了するとその完了が全体におよぼした効果を考えてしまう。虚無……あまりにも自分が悲観的で笑ってしまう。どうせ死ぬって分かっているのだから楽しめば良いという説明はわかる。十二歳のころ実際にオレはそれを実践しようとした。うまくはいかなかったが。自己と体験が切り離せないほど密結合になっている。体験と自己を分離して考える必要がある。体験の総和、あるいはその変質した組み合わせで自己は語れるのか? さらにいえば、体験は記号化できるのだろうか。自己は記号化できるのだろうか。心的活動をモデル、記号化できるのだろうか。現象学的なその問いをやめて関係に注目する。わからない。混乱する。パニック。オレは思ったことをする、刹那的に。結果も責任を負う必要があれば負う。体験において、それオレだけの所有物ではない。オレたちが共同所有する。退勤する。

雨続きで癲狂院にイケていなかった。お薬のストックもほとんどなくなった。いかねば。自転車にのって山越えで癲狂院に向かう。ペダルを回そうとする。誰かがオレにムチを打つ。気持ちいいからペダルを回したくなる。ただそれだけのはず。考えすぎ。怠けていたし、甘い物、お菓子をさんざん食っていたので体重も増加している。今年だけでプラス八キロ。デブりん。高湿度の山道。汗が噴き出て頬からしたたる。全身ずぶ濡れ。おしりが汗で気持ちわるい。サイクリングショーツはいてくるんだった。癲狂院につくと汗だく。受付終了時間ぎりぎり、汗だくで受付をすませる。全身ずぶ濡れ。水着でも着てくればよかった。お尻の汗もすごいので椅子に座れない。座ると椅子に汗染みが移ってしまう。がらがらの待合室のはじっこで立っている。みんな興味津々でオレをみる。いえーい。あ、自己が起動している。うんうん、逆に入ってきた人を見て見ちゃったり。身体の不快感がすごい。汗がひかないからどんどん浸水していく。診察までの待ち時間はだいたい四十分。ちょうど汗も引いてくる。次は着替え持ってきたほうがいいぐらいだな。名前を呼ばれて診察。久しぶりに食木崎先生を見た気がする。遠くからでも先生の圧がすごいので自己が起動している。いきなり視線を合わせることはできない。扉をあけてよろしくおねがいします、というお辞儀をして視線を下に落とす。足許から視線を上にもっていってコンマ数秒目線を合わせる。ぎょっとするほど強い視線なので、またお辞儀をしてどーもどーもお久しぶりなどといいながら視線をはずす。それを繰り返す。徐々に視線に慣らす。そのうち緊張が最高潮をこえて頭が沸騰するので、あとは視線をガン見しながら話せばよい。それで、仕事はどうですか? という質問からはじまる。ストレスはたまるけど、まずますです。ただ残業なしでもフルタイムで働くと疲れがひどいので週四で働いていますと伝える。先生はがっかり、あるいは心配、どちらかの表情をうかべた。それが社交辞令的な対応ではなかったので、意外だったのかなと想像する。前回の診察ではいけるっていけるって!っていう雰囲気だったので、見立てに違うところがあったのかもしれない。休職中で働きたいあまりに仕事が楽しいですと伝えたのが、先生の判断を間違わせてしまったのだろう。この通り、仕事はイライラだらけです。仕事はモブワークでやってるんですか? という先生の質問には正しい情報を伝えないといけない。時短で働いたりするので以前のチームで働けていなくて、基本的には一人です。いろいろイライラするところは増えました。これで先生の見立ての整合性は担保できただろう。オレはエクリに視線を戻す。エクリは外の世界をつなげてくれる。エクリは診察室における間世界。オレは食木崎先生に転移がひどいな。まあ、どこでもそうだったのだけれど。あとは自分なりに俯瞰して自分の精神状態をつたえる。低調な気分が続いていて、でも困るほどではない。雨が続いてバランスを崩して今は底だが、まだなんとかなる。気分は良すぎるよりは多少低いぐらいのほうが良いと言われていますから気にしないでください、というアドバイス。あとは酒量の質問。増えて困っているというと、血液検査しましょうかと。あっ、そういえば食木崎先生は精神科医だけど内科医だった。不信感。不信感が出てしまったらしく食木崎先生もなにか慌てた様子。それがなおさらオレに不信感を増長させる。オレは頭痛とか悪心とか動機、肩こり、発汗の自覚症状はある。切り分けのために内科的な検査を念のためにやってみましょうといってくれたらいい。オレの酒量の伝え方があまりに嘘っぽかったから腹部エコーと血液検査しようとしてるよね。まあ、やっぱり少なく伝えたしそりゃあ、身に覚えはあるが、痛くもない腹を探られたくはない。いや、肝臓は沈黙の臓器だから痛くないのだけども。先生はオレがアルコール摂取量を気にしているのだろう。アルコール依存症の患者が正しく酒量を申告するわけないのだから、客観データは欲しくなる。オレでもそうする。アル中は自分は問題ないと思っているからね、死ぬまで。
診察が終わると疲れを感じる。少し頭が痛い。この頭痛は心因性じゃない。脱水症状だ。毎年夏になると、自転車にのって頭痛になっている。夏は喉が渇くまえに水分補給しないと頭痛がでる。パターンは把握している。今日は補給が足りなかった。とりあえず水を飲む。
女縄市まできたので、オレの生命線、冷凍食品を買いだめして帰る。一人暮らしの冷食ぐらしだけでもブログがかけるのではないか。コンロよりレンジ主体で生きている。
夕暮れ、我文町にかえる。マウントしたスマホから音楽をながしながら帰る。小谷美紗子が流れきて不思議に思う。十三歳以降、小谷美紗子の曲を聴いて泣くことはなくなった。夕陽を見て泣いたり、月をみて泣いたり、映画をみて泣くことがなくなった。そんなオレは生きている意味がごっそり奪われてしまった気がする。十四歳になれば同情混じりの優しさを冷笑で応答することができる。つまらない人生だ。

家に帰って真っ先に風呂に入る。身体がベトベト。お二人先客がいる。身体を洗って風呂に浸かる。自己が暴走している。独り言が自然ともれる。自己のバランスを保とうとしている。聞かれたところであまり問題ないと思ったので続ける。普通じゃないけど、仕方ない。そのほうが安定する。結局、気分は最悪。うつの底と思われるところにたどり着いた。むしろ、底であってくれ。
あまり選択したくないが、今日もお酒で自己を喪失する選択。冷凍食品のおつまみを解凍してハイボールを飲む。

薬を飲んで寝る。