kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

年末の長い闘病生活を抜けると新年であった

やっと正月ムードのkow@suhito13歳でございます。

あけましておめでとうございます。


年末からずっと伏せっていたために、年が変わったのを知ったのはつい先日のこと。ノロにやられたのかどうかはわからないが、2年連続で下痢と嘔吐である。2年前はこれでコミケ参加していたのだからどうかしている。去年は年末からよっぽど注意していたのだけれど結局は直撃をくらったわけだから、こうなれば何をしたってどうしようもないと思い、これからはノーガード戦法を心がけるつもりである。


臥せっていながらも去人原稿を見直し、赤ペンをいれ、一体何を書いているんだと悩みながら、頭が痛いのは体調が悪いからなのか、それとも去人たちのせいなのかと分からなくなるぐらいやられまくった。よくよく見てみると誤字脱字があちらこちらに隠されもはや間違い探しの様相。はては、意図的なのかどうかもわからない主述崩壊、主語転倒。しかも、意図を探ろうとすればするほど深みにはまる。修正不可能性に立ち会うことができるのはなんたら文学理論では愉しみだろうが、あたしはもうへとへとである。



さらに久々にインターネットをすると、ひさびさに去人たちのスレが立っている始末。「暴走するインターネット」を読んでからというもの2ちゃんねるのイメージが若干変わったkow@suhito、いっちょちゃんねる遊びでもしてみよっかと思いディスプレイの前に鎮座して閲覧してみる。

やはり我々が長年かけて製作してきた作品である。物語になっていないやら必要スペックが高いやら奥華子やらとフリーソフトユーザからは最大級の評価をたまわっている様子。これはもういつやる価値がないという意見が飛び出してもおかしくない状況。まさにみんながみんな手放しで絶賛という事態である。世の中には数多のフリーソフトがあるが多くのユーザから去人たちは高い評価を受けているという実態が明らかになったといっていいんじゃないでしょうか。その点においてまだまだフリーソフト業界において去人たちと肩を並べる事ができる作品はないようなので、いつでも挑戦を受ける所存である。

しかし「重い」っていわれると、あたしがyanesdk.netの面汚しをしているみたいで心苦しいので、「重い」って言われるよりも「やる価値がない」って言われる方がマシなんじゃないかと本気で思っている。「動作が軽くない」なんて表現は素敵かもしれない。


本年も去人たちを宜しくおねがいします、なんていうとある人は「えっ? 本当に今年も去人たちやるの?」と心配してくださり、「もう去人たちはやめたほうがいいんじゃない?」と親身になって説得してくださるが、あたしはまだ去人たちしますよ!


とまあ、年始から自虐ネタであたし自身盛り上がってしまいましたが、そのうちちゃんねる遊びに参加できるようがんばります。