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去人たち開発ブログ

同人サークルK2Ceeが去人たち開発についての記事を掲載してきます!

平等

総合芸術というのは、どうもいつもうさんくさい。

映画もドラマもアニメもノベルゲームも総合芸術と言い張ることはできるだろう。カースト制だって、そのいろいろな視点からみたら芸術性はあるんだからね。


総合芸術……あたしの経験上、この言葉を使う側にまわれば勝ち組である。その点、あたしなんかはこの言葉をきくと、かなり冷める。“総合”に隠されたトリックは、人間の本性の奥深くに通じている。しかし当たり前のこと、あるいは真理といわれることを隠そうとすることは芸術ではなく宗教の役目である。芸術は、当たり前のことへ至る経路を示すこと、あるいは真理を見いだす助けになる経路を示すことだ。

多くの総合芸術は“総合”の名の下に芸術と芸術を相殺している。つまり、人権擁護団体がやっているように、社会的ジェンダーフリー活動と同じ程度に熟達していない。


男女は平等だっていいながらも、これは差別だ、これは区別だと議論しているようなことが、総合芸術にも起こっている。脚本、映像、演出、音楽、原画、プログラム……脚本差別、演出差別、音楽差別、原画差別、プログラム差別……いや、それは差別じゃない、真っ当な根拠をもった差別だ。


おーけーおけー。あたしはその差別と区別の問題を尊重するよ。だけど個人的には差別、区別? そんなのどうだっていい。あたしは、差別と区別の区別の仕方についてはあんまり興味がないんだ。ひきこもりには特にね。社会性を獲得している動物にはそのへんのことは重要なのは分かるけど、それ以前の動物にはたいした価値がなんいんだ。


あたしは何か、新説を唱えたいわけではない。平等は左寄りか右寄りか、その端でもっとも正しく見えるという矛盾を含んでいる。

そして、あたしは単一芸術(そんな区分の芸術があっていいものかは悩みどころだ)の完成系をイメージできないのに、それが総合芸術だからっていうことで、それに逃げ込むことはしたくないと思う。


非常に入り組んだ構造のアーティクルだけれど、いつもどおり、真理らしい像を提供したとおもっているし、そこの部分のみについては満足している。

感じるところがあれば、賛否をお待ちしている。