こうやって、日記を書くのに違和感がある。
キーボードをたたいて文章を書くなんて、どこかで本当の思考が欠落していそうな感じである。指がキーボードを押し下げるまでの間隙にわたしの思考はぜったいに欠落していると今は実感できる。
引越しがおわってネットが開通するまで、ずっとネットが使えない生活をしていたのだが、それはそれで、考えされるところもあったわけである。
今までは、知りたいことはgoogleで、一発で検索できたわけだ。
しかし、いざネットが使えないとなると、脳の記憶と参考文献が頼りだ。
魔の山で、カストルプくんの友達の階級はなんだっけかな? とか、本を読むとむしろ、セテムブリーニのことが気になって読み返してしまったり...
そのあと、
で、カストルプ君が戦争にかりだされたことは、この本で重要な意味があるにもかかわらず、このことについて深く考察していなかったぞ...といったように、そこには興味深い横断があったわけである。
このネットがつながらないあいだ、いろいろあっていろいろと考えていて分かったこともあった。
それはここに今までのように記さなかったから、より深い考察をしたし、改めて思考の快楽を味わった。
思考の快楽がわたしの出発点だし、その快楽が去人の出発点だった。
まあ、お世辞にも論理だった思考ではないけれど、そういった中で無意識に処理された論理を否定神学的に終わらせるのもイヤだし、これからもっとももっと思考していきたいなと思う。