セカイ系
「セカイ系」という言葉を聞いて、ラカンを脊椎反射のように口走るようなヤツとして、わたしをリストアップしてもらうと助かる。
そんなのは、どっちにしろ奇をてらっているだけか、本当の哲学者か、ただの天才である。
郵便的不安たち、波状言論、網状言論でセカイ系の輪郭をぼんやりみているわたしにはどう応答して良いのかわからない。
ただ、ずっと一週間応答しようとは思っていただけだ。
わたしにとって「セカイ系」という言葉は聞き慣れないし、ましてやラカンを引き合いに出すというのは、ピンとこない。
ただ、わたしはたぶん「セカイ系」が好きなんだろうと思う。
渚にて、ひとめあなたに、最終兵器彼女、涼宮ハルヒの憂鬱、霊長類南へ。
「セカイ系」の形体を好きだ、という点ではどれも楽しめる。しかし、この中で根源的な享楽はどの作品にあったか。
わたしにとって、「世界が滅びる」というのは、わたし個人の追体験でしかない。世界没落感にとらわれたときの、あの強烈な印象を追い求めるだけなのだ。まるで夢のように、あの悪夢をわたしのうちの誰かが望んで悪夢を歓待する準備を整えている。
デカルト的省察以降、理性の範囲というあまりにも頼りない範疇においてではあるが世界とわたしという点を、それほど興味深い題材だとは思えていない。
世界とわたしというように並置されるとき、誰が笑うのか、とかわたしにはすでに分からなくなりつつある。
世界の終わりとハードボイルドワンダーランドが「セカイ系」かどうかについて知らないし興味もないのだけれど、作品の形体と内容いずれにも警戒することなく踏み込んでいける作品という実感がある。
それは個人的な体験。でしたよと、いうことで