kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

映画の感想会―フューリー

まともな文章を書きたいという動機があるので、感想文を書きながら練習である。

戦車道

ミリオタとはいわないがティーガーがみたくなって借りた。
ディーガーってことは、ドイツ敗戦間近の一騎当千的な現実離れしたティーガーがみられると思ったら逆だった。
戦史とかわかってないんだなあ……orz

反戦感情

戦争は悲惨だ、という言葉が出てくる戦争映画は悲惨さを伝えるのではなく映画というコンテンツを重視していると思わざるをえない。
それは、ああ、やっぱり事実に違いない、と戦場に行ったことのないあたしたちは本当に実感するが、同時にあたしたちはそんな実感的にしか悲惨さを理解しようとしていないのだと思う。

フラグ

突然の新兵、彼はエリート、異能力者、どんくさいのどれかを選ぶことになる。これが物語上のお決まりというものである。
そういったお決まりをしった上で楽しむ作品だったので、安心して感情移入ができる作品である。
最近では定型物語→「からの~」というものではない、ほんとうにオーソドックスなもので、警戒しすぎて批評的に身構えていたのが馬鹿らしくなるほどに。

夜の霧の中で……

もし、戦場にいる歩兵としよう……スクリーンでは名前のない無数の兵士がしんでいくように、自分もしんでいくのだろうか、と思う。
そしてその映画をみて、どうおもう? どうその死について合理化するのか?
スクリーン上にある、非主人公補正、虚構化としてのスクリーン明示……
なんてね、実は人間は肉体なんて木っ端微塵になっても生きられるんだ。もし、あなたが戦場にて砲弾で木っ端微塵に引きちぎられたとしても、あなたは肉体を超越してそこにいる。だから安心するといい。
これは、あたしの夜の霧の中で思った事だ。

戦争を映画にすること

戦争を賛美したりしたら大惨事になる――だから、戦争賛美の映画については何もコメントしないようにしよう。戦争映画とはとくにそのような場になる。
倫理、道徳、マナー、利害関係……いろんな言い方はあるが、「人死に」に対してあたしたちは一歩引き下がってしまう。死屍にむち打つという言葉が否定的な意味を含んでいるように。


この手の話の最後は、しんだこともないくせに、とか、戦場にいったこともないくせに、という小気味よい反論で収束する。これが現代の平和の実態ともいえるかもしれない。かくいうあたしも、その一人だ。
あたしにとっては、あなたがたがこの状況を深刻にうけとめ「実存……」と小さく独りごちるときに、本当に何を考えるものなのかと、すごく興味をもってここにとどまっているのかもしれない。