kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

8月25日(火)

クスリを飲まないという選択はうまくいかない。布団でバタバタしたあとに結局頓服を飲む。結局睡眠時間は五時間足らず。睡眠不足。ただ、仕事でやることがある。気合いで起きる。朝のルーチンワークができない。また身持ちを崩し始めている。リセットせねば。

今日も雑用チーム、もとい、シデムシ隊のチームビルディングのワークショップ。インセプションデッキである。「なぜ我々がここにいるのか」、「やらないことリスト」のピックアップ。スケールする組織のなかの1チームとしてスケールするチームのモデルとなる、より高いプロダクトの価値を素早くデリバリーする、というオレたちのミッションのためにやらない事をどんどん出す。がんばる駆動をしない、属人性を高める孤独な活動をしない。「HRTの原則を無視する」ということはぜったいにしない、これを最後に提案する。あらゆるチームの大前提である。「夜も眠れない問題」と「トレードオフスライダー」をみんなで考える。「トレードオフスライダー」はエクリプスで使ったポーカー方式を採用した。それぞれがどう思うかを提示してズレていれば議論するエクササイズである。diff について議論するのでとてもフォーカスしやすくとっかかりに困らない手法だとおもう。機能や品質の話はエクリプス同様、かなり盛り上がる話となる。オレは「選択と集中」のために、機能(スコープ)の優先度をあげて、品質の優先度を高めに取る。一方、浦野さんは機能も品質も優先度を高めに上げる。何時間もかけて作った「やること」リストはどれも重要、これは間違いない。だけどこれを全部できるか? といえばそうではない。とくにいろんな取り組みを同時にやってパフォーマンスがでるわけがない。リーン開発、アジャル開発どちらにも適合しない。成功しても、失敗しても検証が難しいものになる。つまり再現性の意味でこの手法を他のチームに展開しやすさを阻害する。オレはファシリテーターなのに滔々と語ってしまう。はっ、となるが丹波さんも浦野さんも真剣に聞いてくれていて、納得している感じ。良かった。最優先のやることにフォーカスしてそれの品質(達成基準にできるだけ近づける)ことを優先するということになる。ワークショップ中、丹波さんも浦野さんも真剣に考えてアイデアを出してくれた。それらのアイデアによって気づきも得ることができてチームとしての(相互連絡ではなく)相互作用が生まれ良い方向に進んだと感じた。メンバーと一緒に仕事ができるのが楽しいともったのは RMI チームで仕事をし始めたころと同じくらいワクワクする。インセプションデッキが終わるとすっかり疲れる。そろそろ退勤しようかな、と思っていると栞が Discord の雑談部屋に遊びにきてくれる。すっかり疲れていたが、せっかくきてくれたし訪問はうれしいのでできるだけ笑顔を作る。RMIチームの状況を聞いて栞も満足のチームでやっているようだ。うれしい。なんで新しいチームの名前がシデムシ隊なの? と栞に聞かれる。シデムシは埋葬虫とよばれている。寿命の終えたもの、戦いに敗れたものを葬り生態系のサイクルを回している。我々はあまり社内では好まれない仕事をする。バグ対応、カスタマーサポート、どのチームの守備範囲でもない地味なタスク、でもオレたちはそういった誰もやりたくないことをやりながら、組織とプロダクトの未来を見据えながら、新しいメンバーを育て成長していこうとしている。半分自虐だけど、エコシステムとしてシデムシは絶対に必要なんだ。栞はよくしらないけどそうなんだと苦笑いする。そうかシデムシが何かを説明してなかった失敗。栞は休憩時間がおわってまた仕事に戻っていく。オレはなんか最後のふんわりした時間にふわふわしながら退勤。

夕方、自転車に乗りたい。頭が仕事仕事している。抜けない。調子がいいから抜けないのが不快ではないのだが、これは躁的な状態であり、今だから許容できている状態だ。先月の日記を見返してみるが良い。オレは仕事が終わったのに頭が切り替わらないことにもだえ苦しんでいる。ペダルをがむしゃらにまわす。汗がとまらない。それでも回す。心拍一九〇。不思議である。オレはオレしかない。躁状態なのかもしれないが、これは厄介である。四肢がバラバラである、本来は。よりそれが現実に近いのに、オレはオレなのだ。これは根深い。マリに相談しないと。

家に帰って風呂にはいる。本気でペダルをまわしたのでクタクタである。夜ごはんをたべたあと、虚無の時間。日記を書くことがない。書くつもりもない。前日の日記もそうだ。でも書き始めることで気づきをえることもできた。でも今日はどうやってもただのどうでもいい一日だ。ぐだぐだ身をよじらせていると習慣だけが先行して書かぬわけにはいかぬ、ということになる。白ワインをソーダで割った軽い酒をつくって書き始める。書いていて楽しくない。チームビルディングのことを思い出す。場面が映像で思い出される。ポイントポイントが映画のカットのように想起される。そこをふりかえる、なぜああなったのか、なぜオレはそこでそうおもったのか、そのときには思いも寄らなかったことが見つかる。それを日記を書きながら気づく。オレは日記を書くという行為によって、過去の現実を遠景化しファンタジーにしているのだ。ファンタジーにすることで抗うつ剤が必要となるような、リアルで正しい絶望の世界から逃避できているのではないか、という仮説を思いつく。日記はコストに見合わないが、役には立つ。

今日もクスリを飲まずに寝る。

8月24日(月)

土曜日は一日中寝て過ごす。毎週末恒例の疲労、倦怠感。それに加えて肩こり、めまい、吐き気、下痢、冷や汗。不定愁訴ちがう、不定愁訴ちがう、もっとなにか得たいのしれない力によるやつ。日曜日は早朝に目を覚まして少し散歩。そのあと技術書をちょっと読むがめまいが激しくてすぐに横になる。Amazon プライムで 来る を見る。見たあとにはてなが頭のなかで浮かぶ。原作のことを調べてやっと腑に落ちる。いわゆる映画化に失敗しっちゃた感じ。よく言えば原作を知らないと楽しめない。作業しながら見るのにはチョウドよい。土日は結局おもっていたようなことは何も出来ず。

土日に身体を休めていたので、身体の物理的充電は満タン。チーム作りのことをあるのでやる気もでている。今年にはいって一番調子がよいといっていい。あとはめまいと吐き気と肩こりさえなくなればいいのだけど。これが熱中症の後遺症であるならば様子見しかないし、無意識の高ストレスによる身体症状だとすれば悪化していくだろう。無理をせず待つしかない。
エクリプスチームでいつもファシリテーターをしていて思う。オレはとくにファシリテートを学ぼうと思ったこともない。でもなんとなくファシリテートは他の人よりうまいようだ。少なくともオレの周囲の何人かはファシリテートがうまい、と評価してくれている。論理学やロジカルシンキングもできて人並みである。数学の証明問題なんて解けた記憶がない。推測、組み合わせ発想力も高いとは思えない。なぜ、オレがファシリテートが人よりできるのかが分からない。
……そういえば、オレはファシリテートしているとき参加者の目を見ていない。リモート会議でもそうだが、リアル会議でも当然ほとんど見ない。ホワイトボードかPCの画面をみている。ファシリテーターとしては合ってはならない態度だ。でも発言したそうにしている、もじもじしているというのは目を見なくても身体全体の仕草を見ていれば分かる。これは視線恐怖から逃げてきたオレが身につけた能力である。しかしこれがファシリテートがが得意な本質的理由ではない。まったくないと思う。直感として理解されれている。まなざされていないところで行われる議論が、まるで小説のように感じられる。その世界においてオレはメタフィクション的人物として作中に登場しているように感じる。なるほど。ミーティングをしている前にアジェンダ(=物語の構成)ができあがっている。たとえば、起承転結という典型的パターンの構成である。そこに登場人物も分かっている。会議の参加者だ。参加者の人となり、知識スタック、性癖がおおよそ理解できているなら、起こる出来事は完璧にわかるわけではないがたいたい想像がつく。参加者から構成(たとえば起承転結)に具体的エピソードの要約、つまりプロットを想像する。自分専用の「起承転結」が正しいパターンを想像している。逆に言えば、アジェンダを作っているときに、自動的に典型的なパターンのプロットを作り上げている。古典的で使い古されて面白くもない、エピソードをしっかりイメージしている。そして、実際のミーティングではそうならないことを予期している。
なるほど、こういうことかもしれない。物語の理解しやすさ、読みやすさは、構成によって担保されている。たとえば、起承転結と呼ばれる伝統的で退屈な構成。さらに議論のテーマからAI的に典型的な議論エピソードを作り、自分のなかにインプットしておく。これは「原作」に近いものだ。原作は使い尽くされて陳腐化されていている。オレはミーティングからその原作を基にして Live な二次創作を引き出したい。それは予想もしないことがある。そういうものに出会うと、ワクワクするし、その先を見てみたいと思う。オレひとりではできない二次創作を一緒に作れたような気がする。だからオレはやりたくもないといっているファシリテーションをやっているときに、ときどき楽しいと思う。ファシリテーションはしたくてしてるわけじゃないんだからねっ! っていうのは嘘じゃないとここでも正当化しておく。
オレ用にメモすると、物語のフレームワークとそのパターンをたくさん(いまや、たくさんというのはおこがましいが)知っていて、かつ、まなざしを拒否しているからファシリテートがうまくいっている。これは直感的に誰にでもできることではない。だから、オレがファシリテートについて「特別なことをしているつもりはない」というのは正しくない可能性がある。ただし可能性うんぬんはおいておくとして、訓練すればできるようになる。本を沢山読んで人を嫌いになるだけでいい。さらにいえば、自分を殺したいほどに自分が好きなら、なお良い。まざなしはファシリテーションには毒である。関係はまだなく関係性を築きうるという可能性を留保しつつ、自己を投射できる「安全な力場」に飛び込んでみるというパフォーマンスなのだ。

仕事が終わったあとは夜の田舎道をゆっくりポタリング。19時にもなると真っ暗である。涼しくなると今度は虫が増えてくる。マスクしながら走る。気持ちいい。

ポタリングのかえりにハイパーマートでお惣菜をかってかえる。柵のお刺身が半額だったのでマグロとカツオをかって冷凍庫でストック。スーパーのお寿司はアレだけど半額だとありかなと思って買う。半額でお惣菜がたくさんかえたのでホクホク。

家にかえってお風呂。下痢でお尻の穴が痛い痛いになっているでじっくり浸かって血行を促進し補修を試みる。運動後の皮膚表面が異常に冷たくなっていたのでお湯が気持ちいい。自律神経も参っているのだろうけど、なんなんだろう。少しだけ湯船で瞑想。瞑想が気持ちいい。脳みそがとろける。身体あちあちになってお風呂離脱。身体をふく。この前、体毛をあらかたやっつけたはずなのにもう元通り。また足やら股間やらお尻やらお毛毛を刈り刈りしないと。

ソーダで割った白ワインを飲みながら執筆作業。肩こりがひどくてディスプレイを見ているのがしんどい。休みやすみ文字を書く。
病院からは頓服の眠剤しかもらっていない。今日は寝られそうな気がする。クスリを飲まずに寝る。

8月21日(金)

朝が起きられないスヌーズとの戦い。昨日何時に寝たのか覚えていない。寝れずに少しお酒を飲んだが、けっこう飲んでしまった気がする。土管に入ってワールドをチェンジするような時が必要なのです、オレには。抑圧しなければいいのだろう。でも抑圧は世界のせいではなくて自分の選択なのです。どのような世界に棲まうかを選んだ自分は、世界に自分以上の物語を求める傾向がある。自我と世界は浸透膜に隔たれて自我は世界に少しずつしみ出すようになっているのです。それは正しい力場ではありますが、自我にもミネラルを含んだ水分が補給されなければなりません。補給が足りていないと自我は枯死します。精神生活とは常に安定した圧、ストレスがかかっているエコシステムなのです。循環装置であり因果はそのループのなかで逆転すらします。心的エネルギーを移動させる差異にこそ注目すべきで、その過程の認知と自覚的な抵抗に私的小説的な楽しみを感じていた、昔のオレは。

朝のルーチンワークは維持できなくなっている。起きてベランダで日光浴をして重い頭を抱えたまま仕事に取りかかる。オレと丹波さんと浦野さんの超弱小チームの名前は、"シデムシ隊"に決まった。RMIチーム、CRMチーム、プロダクト開発チーム、それらの責務をこえたタスクを拾うチーム。臨機応変にどのような種類のタスクもこなす器用なチームともいえるし、ただの雑用チームとも言える。チームビルダーのオレは正直こまったなと思っていたのだけど、浦野さんがチームのムードを変えてくれる。誰もやりたくないけど十分に価値のあると言えることをやる。丹波さんがいう。でも最後には僕たちも"シデムシ"によって分解されなければならない。地獄少女にも聞かせてあげたい言葉である。このよくわからない自己犠牲精神、もはや自虐である。オレはこれをわざわざ制止する必要があるのか。およそ統計的に挫折が予測される期待は、彼、彼女の背景にある意欲はハイリスクハイリータンである。バランスが大事とか大人っぽいことをいって成長の伸びしろを制限したくはない。オレは未来を予測できない。誰も未来を予測できない。やってみたいと思うことはやるべき、というのが何よりも大事、ただし事後検証可能であること、事後検証が次のアクションへのインプットへとなりえること。不思議だ、浦野さんや丹波さんみたいなことを言う人、どこにでもいたのに、もう何年も出会っていない。彼らは本当に存在しているのだろうか。
それが「適応」ってもんだろ? あやが本を読みながら声をかけてくる。お前はもっと社会に適応しろ。あやはヘラヘラした笑みを浮かべて反論する。「適応すべき社会がない」、まるで煽るように、または挑むような目線。あやには物語的世界と現実的世界の区別がないようにみえる。それは幸せそうにみえるし、オレには不幸にもみえる。引きこもりっ娘のあるあるなのかもしれない。あやはリスクのないコミュニケーションができるようになった仙女のようである。奇妙な魅力があるのは事実だが、一緒に居るとただただ怖い。あやが黙っているとき、オレは本当に一緒にいるのがつらい。
シデムシチームのチームビルディングをする。オレはミーティングをリードするが強引なすすめ方をできるだけ抑制する。抑制すると時間が足りなくなる。だから強引に決める。バランスだ。いきなり安定した合議制を導入できるわけではない。オレが先頭をきって傷を受けながら後衛を引っ張る。ときにはその流れで後衛と前衛を交代してもらったりする。ビルダーはファシリテーターでもある。じりじりと後衛にさがりながら丹波さんと浦野さんが前衛の逆三角形スリーマンセル体制にもなる。議論が停滞すればオレが先陣をきるスリーマンセル体制に戻る。これを繰り返すことで、互いのポジションをだれがどう入れ替えても出来るようになっていく。

仕事がおわるとハイパーマートにでかける。半額のお惣菜をじゃんじゃん買う。カット野菜もかう。きょうは半額のお惣菜が多かったのでルンルン♪ レジが混雑している。大人のオレは余裕で待てる。列の間隔を開けてゆっくり待つ。会計が終わってさらに一つまえに進もうかという段階、おれは大人の余裕があるから急がない。だが残念、その列が進む間にできた列の間隔によって、オレが最後尾ではなくなった。俺の前に男性が割って入る。オレは口を開けて言葉を発しようとしたがとどまる。大人のオレは余裕で待てる。だけど、なにかが違う。混乱する。時間の問題じゃない。でもこんな小さなことで文句言う十四歳かっこ悪いだろう。ぎゃー大声で発狂したくなる。自分が小さい人間であることと、まったく無意味で価値のない葛藤、世界とはオレが作り上げているという事実、しかも小賢しい世界で、それを濫りに破壊してはならないのだ。忌避している安全厨であり共鳴厨となんら変わらないのだオレは。死にたい。

家に帰る。お風呂に入りたくない。疲れた。もうどうでもいい。お酒を飲む。執筆作業をする。

今日は飲まざるを得ない。クスリをのんで寝る。

8月20日(木)

起きた。倦怠感は少ない。お薬が効いているようだ。ライフログトラッカーを見る。睡眠時間は二時間。二時間? 25時からなぜかずっと寝付けていないようだ。でも記憶はない。やはり睡眠時の寝言を記録したほうがいいかもしれない。でも怖い。怖すぎる。寝ているときにオレが知らない誰かと話していたらと思うと怖すぎる。

仕事を開始する。Slack の未読がつまらない。良い傾向だ。じゃあ、オンラインで話しましょう、それで良し。非同期コミュニケーション、同期コミュニケーションの使い分けが大事。重要な判断はオンラインで行われるべきで、その決定の背景はConfluenceに残っていることが望ましい。でも日本では議事録を残さないのがヨシとされる。決定事項や決定の背景はどこにも残らない。そして決定の背景は失われていき、そもそも決定事項すら失われていく。この世界はどのような意思決定によって成り立っているのか、検証は不可能になる。すべては決定論的に出来ている。if などない。だから検証など不要なのだ。議事録は不要だ。純粋なコストでしかない。すべての議事録を破棄すれば良い。この世界はすべてが地続きで切れ目などない。すべて一回性で解釈の余地はない。それをそれそのものとして受容すればよいのだ。これがオレたちのオルタナティブな世界感だ。
午前中はスクラム本を読んでお勉強。今後のチーム活動にも役立つだろう。午後はワークしないスクラムチームの相談会。オレは第一に心理的安全性を挙げる。そもそも仲の悪いチームメンバーを仲良くするフレームワークではない。むしろ心理的安全性を前提にしたフレームワークである。それができてなければ、心理的安全性ゲームでもしてろ。L4D でもよし。第五人格でも Dead by Daylight でもよし。
吐き気は薄くなっているがまだおさまらない。つらい。ミーティングが終わって退勤する。外は暗くなっている。夏も終わろうというのに、まだこんなに暑い。
八時間とちょっと働いただけでこんなにつかれるのか。昨日は休んですらいる。いつになったらフルタイムではたらけるのやら。

身体が動かない。布団に横になる。20時ごろにちょっと起きてごはんを食べる。お酒を飲みながら執筆作業をする。クスリをのんで早めにねる。

8月19日(水)

吐き気、めまい、頭痛、下痢、死にたい、平熱。なんだ、ただの不定愁訴か、から四日ほど経過したが良くならない。会社をお休みして病院にいく。暑いしだるいし、仕事は忙しいしで抗うつ剤をきらしてから一週間ほどたっている。クスリが急にきれた離脱症状もはいっているかもしれない。朝七時ごろはまだエアコンなしでもしのげるが八時ぐらいにはるともう日射しに痛みが含まれるようになる。

名破まごころ癲狂院まで自転車で通院。心拍150以内ののんびりライドを心がける。負荷をかけたら一瞬で死んでしまう。汗だくになって病院につく。待合室で一時間余り待つ。患者さんが入れ替わり立ち替わり多いこと。診察が回ってくる。食木崎先生にはおひさしぶりと言われてしまう。別に他意はないのだろうが言葉の端々が気になる性分で生きにくい。仕事を目の敵にして生活しているので精神は安定してきたので困っていないが、内科的問題があるのではないかと伝える。きっかけになるようなことを聞かれるがぴんとこない。クスリがきれたのでその離脱症状とか、食中毒とかかなあ。熱中症ではないかなあ、と食木崎先生。そういえば、タンブルウィードでキモサベと戯れていたが相当しんどかった……やっちまったかなあ。吐き気がきついのでとりあえず吐き気止めだけもらう。食事がとれないとHPが回復しない。もう暑くてつらいので通院は一ヶ月後にしたいので抗うつ剤も一ヶ月分もらう。あと夜の眠剤を頓服にしてもらう。断薬したい。チャレンジ。いや、急に一ヶ月っていうとお医者さん警戒するでしょ。だいじょうぶだじょうぶ、お薬は減らしたいんですよアピールである。なんだろう、この人、自殺するかもっ!?って少しでも終われるのが嫌い。死にたいだけだ。誤解しないでほしい。
診察、精算まで結局二時間ほどかかった。調剤薬局に処方箋をオンラインで送信する。調剤完了メールをまってから移動開始。クスリをピックアップして家に戻る。往復一時間。

帰りはせっかく外に出たのだから外食する。バックウォッシュでランチ。宮内さんが明るくあいさつして迎えてくれる。何週間ぶりだろうか。オレは二週間もあけると、その人の目を見ることはできない。怯えた小動物といっしょで距離を縮めるまでには数日はかかる。他のお客さんたちが入店してくる。彼らは宮内さんに気軽に話しかける。世間話を自分発信で始める。宮内さんのお人柄だと人気なんだろうなあと思う。オレはどんどん萎縮してじっとしている。陰気でオタク、ねくらと言われるのは受け入れたはずだが、つくづく強がりなのだと思い知らされる。自分が惨めだと思ってしまう。陰気でねくらでオタクに失礼だとラベル付けした方々に申し訳なくてさらに萎縮する。オレがただ、惨めなのだ。ハンバーグランチは最高においしい。この瞬間だけはまわりのお客さんのことは忘れられる。会計を済ませると、宮内さんからバックウォッシュが閉店するのだと教えられる。悲しみ。では冷凍庫に入る分だけテイクアウトしてストックしておかないとと、どうかしている冗談を伝える。宮内さんは困ったように笑った。オレにはちょうど良い表情だった。秒に満たないほんの少しの時間、視線を交わすことが出来た。

ごはんをたべたのはいいが、吐き気が少しのこっている。布団に横になると吐き気が増すようだ。今日はエクリプスの打ち合わせがあったが、時間を短縮させてもらうために連絡する。ラーメン大好き河合さんと行方さんはやさしい。打ち合わせまで横になって身体を休める。
21時からエクリプスの打ち合わせ。身体を気遣ってくれてうれしい。オレの身体を気遣ってくれる人が表れるなんて、いつ以来だろう。オレがもっと価値のある人間になり、オレが死んでしまうことで不利益がでてしまうように人間になりたい。打算でも社交辞令でも嘘でもいい。気遣いの言葉はうれしい。オレがまるで世界に存在して居るみたいに感じられる。人間でいる間、存在できる。人間をやめれば偏在できる。
エクリプスの企画案から思うことがある。正統で伝統的ノベルゲームからオレたちは学ぶことが沢山ある。学びきれないほどにある。でも真面目にそれに取り組んでいたら佳作に着地しそうなのだ。すぐすぐ今とはいわないまでも、オレたちはゲームチェンジャーを目指したいのではないかということだ。かまいたちの夜弟切草のミステリー系ノベルゲームの萌芽期である第1世代、雫、月姫ひぐらし初期から動物的ポストモダン的ゲームチェンジの第2世代、AIR から All You Need Is Kill へといたるゲーム的リアリズム的ゲームチェンジが起こった第3世代。そこから生まれた現代的メタフィクションノベル系の第3.5世代。次のゲームチェンジが第4世代ノベルゲームになる。去人たちは先取りしていたなあ。第4世代か……どういったゲームチェンジが起こるのだろうか。

打ち合わせが終わると日付が変わっている。執筆作業をしたいが前回それで失敗した。今日は潔く寝る。