kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

8月24日(月)

土曜日は一日中寝て過ごす。毎週末恒例の疲労、倦怠感。それに加えて肩こり、めまい、吐き気、下痢、冷や汗。不定愁訴ちがう、不定愁訴ちがう、もっとなにか得たいのしれない力によるやつ。日曜日は早朝に目を覚まして少し散歩。そのあと技術書をちょっと読むがめまいが激しくてすぐに横になる。Amazon プライムで 来る を見る。見たあとにはてなが頭のなかで浮かぶ。原作のことを調べてやっと腑に落ちる。いわゆる映画化に失敗しっちゃた感じ。よく言えば原作を知らないと楽しめない。作業しながら見るのにはチョウドよい。土日は結局おもっていたようなことは何も出来ず。

土日に身体を休めていたので、身体の物理的充電は満タン。チーム作りのことをあるのでやる気もでている。今年にはいって一番調子がよいといっていい。あとはめまいと吐き気と肩こりさえなくなればいいのだけど。これが熱中症の後遺症であるならば様子見しかないし、無意識の高ストレスによる身体症状だとすれば悪化していくだろう。無理をせず待つしかない。
エクリプスチームでいつもファシリテーターをしていて思う。オレはとくにファシリテートを学ぼうと思ったこともない。でもなんとなくファシリテートは他の人よりうまいようだ。少なくともオレの周囲の何人かはファシリテートがうまい、と評価してくれている。論理学やロジカルシンキングもできて人並みである。数学の証明問題なんて解けた記憶がない。推測、組み合わせ発想力も高いとは思えない。なぜ、オレがファシリテートが人よりできるのかが分からない。
……そういえば、オレはファシリテートしているとき参加者の目を見ていない。リモート会議でもそうだが、リアル会議でも当然ほとんど見ない。ホワイトボードかPCの画面をみている。ファシリテーターとしては合ってはならない態度だ。でも発言したそうにしている、もじもじしているというのは目を見なくても身体全体の仕草を見ていれば分かる。これは視線恐怖から逃げてきたオレが身につけた能力である。しかしこれがファシリテートがが得意な本質的理由ではない。まったくないと思う。直感として理解されれている。まなざされていないところで行われる議論が、まるで小説のように感じられる。その世界においてオレはメタフィクション的人物として作中に登場しているように感じる。なるほど。ミーティングをしている前にアジェンダ(=物語の構成)ができあがっている。たとえば、起承転結という典型的パターンの構成である。そこに登場人物も分かっている。会議の参加者だ。参加者の人となり、知識スタック、性癖がおおよそ理解できているなら、起こる出来事は完璧にわかるわけではないがたいたい想像がつく。参加者から構成(たとえば起承転結)に具体的エピソードの要約、つまりプロットを想像する。自分専用の「起承転結」が正しいパターンを想像している。逆に言えば、アジェンダを作っているときに、自動的に典型的なパターンのプロットを作り上げている。古典的で使い古されて面白くもない、エピソードをしっかりイメージしている。そして、実際のミーティングではそうならないことを予期している。
なるほど、こういうことかもしれない。物語の理解しやすさ、読みやすさは、構成によって担保されている。たとえば、起承転結と呼ばれる伝統的で退屈な構成。さらに議論のテーマからAI的に典型的な議論エピソードを作り、自分のなかにインプットしておく。これは「原作」に近いものだ。原作は使い尽くされて陳腐化されていている。オレはミーティングからその原作を基にして Live な二次創作を引き出したい。それは予想もしないことがある。そういうものに出会うと、ワクワクするし、その先を見てみたいと思う。オレひとりではできない二次創作を一緒に作れたような気がする。だからオレはやりたくもないといっているファシリテーションをやっているときに、ときどき楽しいと思う。ファシリテーションはしたくてしてるわけじゃないんだからねっ! っていうのは嘘じゃないとここでも正当化しておく。
オレ用にメモすると、物語のフレームワークとそのパターンをたくさん(いまや、たくさんというのはおこがましいが)知っていて、かつ、まなざしを拒否しているからファシリテートがうまくいっている。これは直感的に誰にでもできることではない。だから、オレがファシリテートについて「特別なことをしているつもりはない」というのは正しくない可能性がある。ただし可能性うんぬんはおいておくとして、訓練すればできるようになる。本を沢山読んで人を嫌いになるだけでいい。さらにいえば、自分を殺したいほどに自分が好きなら、なお良い。まざなしはファシリテーションには毒である。関係はまだなく関係性を築きうるという可能性を留保しつつ、自己を投射できる「安全な力場」に飛び込んでみるというパフォーマンスなのだ。

仕事が終わったあとは夜の田舎道をゆっくりポタリング。19時にもなると真っ暗である。涼しくなると今度は虫が増えてくる。マスクしながら走る。気持ちいい。

ポタリングのかえりにハイパーマートでお惣菜をかってかえる。柵のお刺身が半額だったのでマグロとカツオをかって冷凍庫でストック。スーパーのお寿司はアレだけど半額だとありかなと思って買う。半額でお惣菜がたくさんかえたのでホクホク。

家にかえってお風呂。下痢でお尻の穴が痛い痛いになっているでじっくり浸かって血行を促進し補修を試みる。運動後の皮膚表面が異常に冷たくなっていたのでお湯が気持ちいい。自律神経も参っているのだろうけど、なんなんだろう。少しだけ湯船で瞑想。瞑想が気持ちいい。脳みそがとろける。身体あちあちになってお風呂離脱。身体をふく。この前、体毛をあらかたやっつけたはずなのにもう元通り。また足やら股間やらお尻やらお毛毛を刈り刈りしないと。

ソーダで割った白ワインを飲みながら執筆作業。肩こりがひどくてディスプレイを見ているのがしんどい。休みやすみ文字を書く。
病院からは頓服の眠剤しかもらっていない。今日は寝られそうな気がする。クスリを飲まずに寝る。