標準的ネットワーク社会的文化的簡略化するために
(やねうらお=IM)とする。
まるで、あたしが大っ嫌いな数学みたいだね。
これは今だから書けるアーティクルである。
IMのブログが炎上したとき、あたしは“意外”だと思った。つまり、あたしはそのぐらいにIM信者だったのだのだが、それは炎上後の今のあたしもそのスタンスでいるわけ。
あなたは、あなたが信奉している絵師、プログラマ、シナリオライタが誹謗中傷にさらされていいるときどう思うだろう?
「そんなことはない!」と反論したくなるのかもしれないし、そうでないかもしれない。
でも、擁護するにしてもほとんど根拠をもたないのではないだろうっか? (=誹謗中傷に根拠のある反論をできないだろう)
あたしはIMのブログが炎上するだろうことを予期していた。こういったことは「しったか!」とさげすまれるだろう。それは否定できない。でも、ちょっとまってほしい。
それは
“そういったらどうなるかわかる”
というありきたりな、状況である。そしてそこにあるのは、ある一定上の読者が集まれば、一定の確率で発生していい避けがたい状況だ。
IMが特別に卓越した技術者であるとは言わなくてよい。
なるほど、なるほど。まあ、あたしはIMが卓越した技術者だと思うが、おそらくIMほどの技術をもったプログラマが何百何千といるということは想像できる。つまり、クヌース先生が数十から数百の単にでいるだろう。
でも、一つあたしが個人的に言えることがある。IMほど優れたアーティクルを書ける人はほとんどいない。
あたしは、IMのプログラマ妖精ギプスの愛読者であった。
そして、あの記事を読みながらプログラムの深遠を知り、それを絶望ではなく、楽しみとして享受できうるかもしれないと想像した。素人プログラマには地獄すらも天国に見えるものでね……“よくよく調べてみたらこういう問題があるんだ”っていう深遠を探りあてて報告するプロフェッショナルにあたしは心底嫉妬した。
IMのプログラマ妖精ギプス中毒者ならわかるだろうが、技術者にとって、あのアーティクルはジョエル・オン・ソフトウェアよりも快楽的な記事であった。まず、どんなに有益で教養に富んでいてテクニカルな記事だろうと、それを読んでもらえなければ話にならない。IMは技術に関することをアカデミックに伝えることはしなかったがそれよりも魅力的な方法で本質的なことを伝え得る方法を採用している。
いずれにせよ、最後まで読ませる
この最上級の問題をクリアする技術者は少ない。結城先生、IM、ジョエル……
極端な話、多くのユーザを引きつける“本当の話”ができれば、その本質的な問題を横断的なスキャンダルにできる。
......技術的には誰にも負けないソフトウェアエンジニアよりも、そこそこ卓越したソフトウェアエンジニアで文章がかけえるほうが多くのチャンスを得るだろうということだ。