去人たち開発ブログ

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読書感想文練習:「おぞましい二人」 エドワード・ゴーリー

文章を書く練習をしよう。
時期としても読書感想文などはとても都合がいい。
練習なのでネタバレでもいいかと思う。100万人の読者がいたらこういうことはできない。ここは気楽にいこう。

エドワード・ゴーリー展で最近知ったばかりなので、歴史的な話はできない。「おぞましい二人」はおぞましい二人を描いた絵本だ。
「おぞましい二人」というタイトルをみて、さてさてどれほどおぞましいのかと内心では半分冷めていた。凶悪事件と google で検索すれば「おぞましい」と表現せざるを得ない事件がでてくる。北九州監禁殺人事件、江東マンション神隠し殺人事件、熱帯魚殺人事件……枚挙にいとまがない。
おぞましいという言葉は生理的な嫌悪感を含んだようなニュアンスがある。普段、あまりおぞましいと思うことがない。きもち悪い、気色悪いと思うことはあっても、おぞましいと思うことはない。
個人的におぞましいと思ったことはいつか、思い出してみよう。
……なかなか思い出せなかったが、思い出せるのはこのようなことだ。

路上で血を流して倒れている人がいた。2,3人の人がどうしていいか分からぬように周囲をとりかこんでぼそぼそ話していた。あたしは飛び降りでもしたかなとビルを見上げながらその横を通り過ぎた。それは青空で雲も数えるしかなかった。空気は前日とはうってかわってからっとして気持ちのいい朝だった。もし飛び降りるなら最高の日だろうなと。
そのあと電車にのって改札を出て、仕事の人と会ったときのなんとも言えない気持ちを思い出す。その感情をいま解釈してみると、それがおぞましさだとおもう。自分自身に対する。

おぞましさは常に不可解さをまとって、自分の身体イメージの外部に腫れ物のように張り付いて冷静な分析を妨げようとするようなものの総体のようにも思える。
残虐的な表現はただただ、解剖学的な表現になってしまうことがあるが、おぞましさは決して解剖学的表現ではあらわれてくることはない。

おぞましい二人は、あたしの身体に隣接しながらも、自分でないと否定せざるを得ない異物を正しく否定するよう推薦する図書だと思う。それをそのように否定出来る読者を、ほかの誰かがまたおぞましいと思うのかもしれないけれど…