kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

07月06日(水)

布団の上で目を覚ます。
彩度の低い視界。脳内で彩りだけでも装飾する。色彩はポップになるが、意味はない。気分も変らない。彩度の低い世界に戻す。目と脳が少し楽になる。

ぼんやりとしながら、洗い残しの食器を洗う。あまり意味を感じない。ただなんとなく食器を洗う。なんとなく後から意味づけできそうな作業をしておく分には悪くない。あれは意味があったのだといいわけができる。本当は意味が無いとしても。

インスタントのアイスコーヒーを淹れて仕事をする。
オレがやるべき仕事はない。オレがやれる仕事があるだけ。昔はオレだけがやれる仕事があると思っていたし、そういうことをできるだけやっていた。それは幻想だったのだけど、でもその妄想にとりつかれている時、含蓄のあるアウトプットを出すことができていたと思う。いまはそれもない。ブレやズレも許容しないような愚直な単純作業が目の前にあり、それをこなす。
オレの部屋には監視カメラがついいる。ストロングゼロを常飲している人間の行動の変遷を研究している医学博士のサンプルデータとして提供している。
オレにとって意味のないことも誰かにとっては意味があるのかもしれない。

仕事が終わると少しサイクリングする。
気管支にはりついてゆっくりと窒息させていくようなねっとりと生ぬるい空気。それに抵抗するように呼吸をし、汗を流す。

冷凍庫にビールをいれてから、風呂に入る。風呂上がりにキンキンに冷えたビールを飲む。
味も風味もないキンキンに冷えたビールが最高にうまい。夏にしかしない愉しみ。

12歳のころ、どうして自分はあれほどの妄想にとりつかれていたのだろう。
自分だけが世界の秘密に気づいていて、それをこっそりと誰かに暗号化して伝える必要があるのだと、思い込んでいたのだろう。
自分以外にも世界の秘密を知っている人が少しだけいる。
世界の秘密とは秘密ではなかった。自分がそんなふうに思い込んでありがたがっていただけ。
自分は特別ではない。

当たり前のことなのだけど、それに気づいてしまうと、むしろ面倒。
正体を失うまで飲んで忘れる。寝る。

07月02日(土)

目が覚める。
何とも思わない休日。何もしたいと思えない休日。

何もしなくても何かをしても死ぬのは避けられない。何もしないというのは誰にできることでもない。
何もする必要がないのに何かをしようとすること、何かをするとはどういうことなのか、それを自分の頭で考えることが、怖い。

一旦忘れるために、寝たりする。それだって、能力が必要だ。まずは寝よう。
脳内で制御できない観念がぐるぐるしている最中、布団の上で小さくうずくまってそれが過ぎ去るのをじっと待つ。いつの間にか寝ている。

07月01日(金)

連日の猛暑。とはいえ、家の外にでないとあまり実感はない。

朝起きる。先日、サービスの障害が発生したのでその原因調査と対応をすることになった。
わざわざ、特命チームをつくって対策するんだと、上位組織もリスクを恐れているようだ。
急遽、集められたメンバーたちのチームだが、熟練工ばかり。課題認識、仮説、検証、フィードバック、開発プロセスの改善、すべてが高速である。おれの能力でもその流れにのって、自分が得意分野で集中して作業ができる。
でも、自分のアウトプットについてうまく説明できない。これは完璧なものではなくてコンセプトを伝えるための検証コードである。この細部についてレビューしてもらいたいのではなくて、考え方、道筋、やる意義を議論するための雑なコードなのですよ、と伝えるのはなかなか難しい。

仕事が一段落すると、通院。
お薬がきれている。いや、切れているわけではないのだが。
診察を依頼してつもりが、お薬のみでの来院となってしまった。ちなみに、お薬だけの処方がなぜできるのかは知らない。きっとオレは診察を受けたと思う、どこかで。

外は暑い、くらくらする。
薬局でお薬をもらう。

家に帰って、汗だくの服を洗濯する。風呂に入る。
風呂上がりにキンキンに冷えたビールを飲む。死ぬかもしれないほどの暑さだけど、だからこその一杯もある。

07月04日(月)

いつものように活力のない土日が終わった、ということ。現実逃避のために飲む酒は、うまいともまずいとも言えず、ただ憂鬱を保留しつづける。
先送りにされた憂鬱がどうなるか。憂鬱はトラブルに発展する。トラブルになりたくないから、何かをする。怒られたくないとか、誰かに嫌われたくないからすることばかり。
オレというアイデンティティは要らない。

無理矢理、目を覚ます。無理矢理、身体を起こす。
コーヒーをいれる。現実逃避の酒で脳みそも、胃袋も奇妙な甲高い音をたてている。後悔をする。

仕事を開始する。
オレができることはなにか、という自問自答のなかで、数分単位で自分のポジションを確認しながら、それっぽいことをいったり、テキトーなことを言ったりする。ほんとうに時々、自分のアイデンティティが立ち上がってくるタイミングで、自分の意見を述べたりする。まったく見当違いの意見かもしれないし、チームに欠けていた視点の補強になるかもしれない。別にアイデンティティは関係ない。純粋に意見を述べるとは相互に作用しあうなかで再現性のない出来事のきっかけになったというだけだと思う。替えのきかないイベントということもできるけど、ともすると、それは誰でもいいのだと思う。
オレにオリジナル性を求めて何になるだろうか。オリジナル性を何ものが担保できるというのか。

仕事を早々に終える。
沈鬱とした気持ちは変らない。これを憂鬱とみんな呼んでいるのだろうというそれ。でも、誰かの憂鬱を感じたことはない。憂鬱などと漢字で表現することが、誰かにとっては大げさに見えているのだろうと思う。別に知ったことではないが。

雨模様だったがすこしだけ散歩をする。
いやなことを忘れたくてお酒を飲む。寝る。

06月27日(月)

目が覚めて、だるい仕事内容があることをしっている。
だるい身体をなんとか起こして、仕事をする。

土日になんとなくみてしまった自分にとっては対応に困っていたチャットメッセージにニコニコチャットメッセージで応答する。
見たときに反応したらきっと歪んだ皮肉メッセージを返していただろう。でも、それをしたからとって自分の気が済むかもしれないけど、なにも状況をよくしない。
何事も無かったかのように相手の意をくんで、自分が折れる。返信すると心が楽になる。我を通すこと自体が目的なのは本当に自分の悪いところだ。そうしないと自分が偉いと思えないのだろう。

そうしていると、自分が仕事でとりあつかっているプロダクトと自分の距離感がわからなくなってくる。
開発者のつもりが、いつのまにか解説者になっていたり、プロダクトの批評家になっていたりする。思考停止したまま状況に応じて反応するだけの仕事をしていると、アイデンティティが失われる。集団でなにかをつくるなら、我を通すのでは無く状況に反応するほうが結果的に優れたプロダクトになる可能性が高いと思う。しかし、自分がどこにたっているのかと、どこにたっていたいのかは考えておいた方がいいなと思う。自分の時間を切り売りして対価を得る、という状況は変らないとしても、できるだけ意味のある形で売るべきだなとおもう。

なぜか自尊心が損なわれた感じがして、早退みたいにして勤務終了。布団にねころがって寝る。