kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

去人たちレビュー応答:その4

記事は沢山読んでもらえるように書かないとダメ、っていうこと、これ本当に大事だよね。どんなに素晴らしいものでも読んでもらえないなら、価値を発生しないんだから。 ね?
ところで、こんな冒頭ではじまる記事を読みたいと思う? いま、書き手自身はそんなことをひとつも考えていないのに引き込まれたなら、それは偶然だと思う?
などと、へんな導入から始めましたが、今日もレビューの応答をしていきたい。

個人的な見解の表明~批評とレビューと感想と

とても沢山レビューされている方ですので
(下記参照)
isumiさんのサマリー ErogameScape-エロゲー批評空間-
レビュー当時の「差異」などもあるのではないかと、いま、ここで応答する段階で自由に解釈してみようと思います。
作り手も読み手も等しく自由であって欲しい。


去人たちの点数は「80点」である。
なにか優劣を競う中で
「1位がいいですか? 2位がいいですか?」
と問われたらなんてこたえたらいいんだろう。
ある人は
「もちろん1位がじゃなきゃだめ!」
というだろうし、ある人は
「2位じゃダメなんですか?」
という人もいるだろう。
何に価値を見出すかという主観的な指標のなかで、「どんなコストを支払っても1位こそが最高の価値」というのと「できる範囲の中で2位という順位でも価値がある」という基準があっても何もおかしくない。
ただ、その主観的な指標をどれだけ多くの人と共有出来るか、ということは大事だ。

わたしは「批評」という言葉を、「過去と現在と近未来を含めて、最大限まで多様な価値観のなかで分析した1つの見解とその社会的影響を述べた言術」だと思っている。
だから、わたしは「批評的」にゲームをしたりしないし、小説を読んだりしない。知識的な制約、時間的な制約、それは様々だが。
正直、「批評家」という肩書きの可能性すら疑ってしまうぐらいだ。
一方、「レビュー」はもう少しカジュアルな言葉として捉えている。個人的な思想や趣向をしっかり意識した中で、自分のおおよその立ち位置を措定しながら一般的に分類された指標カテゴリの観点を軸に「主観的な中立性」をもって執筆される感想だと思っている。


そして最後の「感想」は「感想文」に代表されるような「楽しいもの」だと思っている。
自分の「感想」はだれがなんというと揺るぎないのである。「みんながいい」と思っていても、自分はそうは思っていない。それこそが「感想」だと思っている。
逆にいえば、それだけ原始的、根源的なものなんだとおもうけど。
「感想」はいわゆる「印象主義の悪い面」の代名詞になったような気がする。これ自体はすごく残念だ。「感想文コンクール」なんてものがあるとすれば、それは「感想」という文化にたいする挑戦を申し込む場でしかないと思う。

isumiさんの「去人たち」の感想(ネタバレ注意)

前置きが長くなった。今回とりあげるのは、下記の感想です。

isumiさんの「去人たち」の感想

レビュー観点は明確で、

システムの評価
テキストの評価
音楽の評価

で明確である。そこに対して豊かな知見のなかできちっと評価する筆致は真面目な印象をとても感じたし、個人的には共感を受けた。
とくに感想の部分では
「普通とは違う」
というな部分に価値を見出して強調してくれる部分には、うれしく思う。

これ以降いつものようにグダグダ感想を書きなぐる予定ですが、こんな私の感想を読むよりも実際にDLしてプレイしてみた方が手っ取り早いと思います。

ゲームをプレイしたあと、それを誰かに勧めたい思うことがある。そのとき名作を引き合いに出して「○○みたいですごい!」とかいうのは楽だ。でも、そういう類型にはまらないやつがいるよね? っていうのが「去人たち」であったらうれしい。

この作品人によっては0点にも100点にもなり得るのですよ。ここまで人を選ぶと断言できる作品は久しぶりかもしれません。
序盤でハマれば楽しめますが、そうでなければただただ苦痛なだけ。

これは率直な思いなんだろうなと、私個人も共感する。共感するという言葉を使った瞬間に、このテキストはわたし個人が所有してるかのような錯覚も含めて。
「去人たち」の採点をしてくれるひとが沢山いたとして、最小点は0点で最高点は100点だと思っている。少なくとも、0点をつける人は知っているし100点をつける人も知っている。問題は採点者数が沢山いることと、平均点、中央点、標準偏差である。去人たちはどちらかといえば「偏り」について顕著な傾向が出るのではないかと思っているけど、なんせ評価しようがないよね。

難解な表現が盛りだくさんで知恵熱が出そうになったり、単語を一々調べてゲームを楽しむどころではなくなったりするかもしれませんが、このゲームにおいて重要なのは何となく楽しもうとする心。
書き手が理解させる気がないお話を読み手が完璧に理解しようとするなんて無理ですから、適当に読み進めて何となく理解した気になって楽しむのもありだと思うのです。

「難解な用語」ってこと自体が当時は手法だったと思う。SFでは新語を造る。新語は物語の中で自動的に言術される。
去人たちでは精神病とからめた「マニエラ」がぎりぎり利用法としての新語になっているが、その説明も最低限だ。辞書をひけばかることは書かない、っていうスタイルはもはや「常軌を逸している」という考えもよく分かる。

そしてさらに重要なのはえげつない描写に耐えられる精神力

あっ。これって「去人たち」っぽいのかなって思う。逆接的にっていうことなんだけど。
「えげつない描写」ってどういうことなんだって思うだろう。
「人は大量出血をしたら死ぬ」は当然だし意外性もない。
<Aは大量出血のため失血死した>は分かりやすいし、疑いも差し挟む余地もない。(そのものの言術を疑わないという前提に於いて)
では、この死を<異化>なりの文学表現をしてみよっか♪
どの血管から、毎秒何ミリリットルの血液が吹きだし、その血液がどのように周囲を濡らしたのか、みたいものを表現することはできる。けど、それってあんま価値ががない。もし、それが事実であっても。そう、価値は事実に優先するんじゃなかってこと。

万人向けではないのでお勧めはしにくいのですが面白いですよ。

まとめると、そういうことですよね!!! わかる!!!
(作り手側がいうことかよ……)

〈このゲームを楽しめそうな人〉
・難解な文章大好き
・よくわからないストーリーでもなんとなくで楽しめる
・狂気と電波と鬱にまみれたシナリオ大好き
・グロOK!切断、ぐちゃぐちゃ何でも来い!汚物も平気だよ!←重要
・差別表現が許容できる(白○、メ○ラなど)

「難解な文章好きな人」っているよね。最近小説ではなくなったけど。
狂気、鬱、電波はたいした問題じゃあない。世界に境界線を引けるかどうか、読み手にその素養があるかということになるだろう。
え? グロ? 「去人たち」は12歳以上ならプレイできる優良なコンテンツです! ぜひ!(すっとぽけ)
え? 差別表現? 障害者の「害」はひらがなの「がい」でかこうよ! とかいってる人よりはまだマトモだと思うんだけど!

最後になりましたが、プレイする前にHPの作品紹介を必ず読んでおきましょう。
何の説明の無いまま舞台に放りだされて、プレイヤーが混乱しているうちにどんどん話が進んでいきますので読んでおかないと意味不明になります。
現に私がそうでした

すでに、いまのHPを見ても理解不能です。ありがとうございました。

以下、感想

レビューと感想を切り分けて書くとか頭が下がるおもい。

〈テキスト〉
感想書くときにはいつもシナリオから書き始めるのですが、今回はテキストから。
とにかく異質。おそらくこれ書いた方はプレイヤーに理解させる気がありません。
プレイヤーに合わせるつもりはねぇ!付いて来れる奴だけ付いてこい!!ついて来れない奴?そんなの知らん!!!そんな印象。
また所々鬼気迫るような描写や圧倒されるものがあり、読んでいて楽しくはないのですが引き込まれて一気にプレイしてしまいました。

「テクストの可能性」とかいったら笑われるんだろうけど、10年前だって笑われていたのだけど、「アート」としてテクストみたいなものが、微妙に変形しながら存続しえるのではないか、ということを考えさせられた。
ただ、「圧倒されている場合じゃない」んだと、いま、ここでもいう。

〈シナリオ〉
2つのルートをやって初めて繋がるものもあってああなるほどねーと納得もできますが、これは人を選ぶと断言できます。
多分理解しようとすればするほど楽しめなくなります。作り手が理解させる気がありませんもん。

考えるな! 感じろ!

全体としては鳥肌の立つような展開やわずかながら萌えもあり、個人的には好きなシナリオですが人にお勧めすることはないでしょう。

なんか、フロイトユングみたな楽しいエピソードを思い浮かべました。
実際、去人たちⅡの部分では、それを想像させるような部分があったのではないかと、「勝手に」思ってます。
ただ、「きまった1つの正しい解釈がないから、おすすめできない」というの違うと思っている。

対してⅡは一定の水準以上ではありますが、あまり評価していません。
読めば読むほどこちらまで狂いそうになるテキストと相まって狂気に満ち溢れていますが、展開がよくわからなかったので楽しもうにも楽しめません。
『精神病十種』までは異常性を堪能しましたが、それ以降、具体的に言うと○が登場した辺りからは頭の上にクエスチョンマークが出っぱなしでした。
登場人物が死んでいく描写は圧倒されるものがあるのに肝心な部分が語られないので気持ち悪さが残ります。
これはものすごく惜しい。
どうやら筒井氏の『虚航船団』のオマージュであるらしいので、それを読んでいれば理解できるのかもしれませんが、読んでいない私にはなんのこっちゃ?でした。
また、ⅠとⅡの繋がりが分からないので最初に混乱しました。

「虚航船団」知ってれば楽しめるよ! っていうのはたしかに在る。でも、そうでなければならないとはいってない。たぶん、ここなんだろうとおもう。
かくいうわたしも、小説はラノベ以外一切読まないところで、いきなり「虚航船団」を読んだ。なんも理解できないし、冗長だし、投げだそうと思ったが、<楽しくて>最後まで読んでしまった。

結局Ⅰのラストは何だったのでしょうか?

っていうか、そもそもどっちが正史なのか気になる。

普段なら書き手の独り善がりなシナリオ(所謂ライターのオナニーというもの)は私にはマイナスポイントなんですが、本作の場合プラスにせざるを得ません。
むしろここまで徹底されるといいぞもっとやれ!!って思ってしまいます。このサークルとライターさんにはずっとこの路線を貫いて欲しい。

そもそもオナニーでなければならないよね。

ところでプレイ後に気づいたのですが、この作品にはCGがありません。ここにCGが欲しいのになーと思うこともなくプレイしていました。

できるできないはおいておいて。
最後に自分がのたれ死ぬ瞬間を最高のアングルとかカットでみせらても、死ぬゆく当人はどう感じるんだろう。
たぶん、そういうことじゃない?
いや、あったほうがいいと思っていることは黙っておくけれども。

〈キャラクター〉
評価不能……。個性的といえば聞こえはいいですが、アレな人が多いです。

キチガイを差別するのはやめて! このキチガイめ!
今は反省している

〈音楽〉
ここで+5点するくらい音楽がいい!音楽のせいで未だにアンインストールできません。

もっと褒めたってください。
サントラがほしい!?
こちらでどうぞ(宣伝乙)
www.dlsite.com

非常に評価がしにくいですが、シナリオはⅠ80点、Ⅱ70点の平均75点。それに音楽+5点で80点。
商業では絶対できない同人ならではと言う作品のため好き嫌いが分かれると思いますが、興味を持った方はまずは一度プレイしてみてください。
たまにはこういう毒たっぷりの作品は如何でしょうか。

多くの作品をレビューしてくれた方がここまで評価してくれるのはうれしい。
新しい視点、視座、価値観的なものを持たなければ、自分がこれまで好きな作品も正しく興奮できないんじゃないかってね。
現状で満足できるなら、それでいい。

疑問点+雑談

レビューや感想なんていどうでもいいんですよ。

あの国民的アニメを垂れ流しながらプレイしていたせいか、プレイ中何度もタツヲをタラヲと見間違えました。
そしてそのたびにあの声が頭の中で何度も流れて、別の意味でおかしくなりそうになりました……。

いったい、なんのことでしょうか。
色川武大とか知らないです。

翠子がありすを認識できたのは義体だったから?
翠子やタツヲは何時自分たちの正体を知ったのか?
Ⅰのありすルートで何故実体のないありすが料理ができて、且つ主人公と一緒に食事もできたのか?

SF考証があいまいなのはいかんよ!
っていうか、その仕組み自体は最強すぎて…っていうことで……解決してない?
このあたりの説明ってさ、「そういうもの」ってかいたらそうなっちゃう小説もあるけど、科学的に妥当かはあるよね。
あると思うんだけどなあ(妄想)

Ⅱの疑問点は……ほぼ全て
一番の疑問は虎は何かの比喩表現だったのか?ということですね。後最後に猫が喋り出すのも分からない。
もしかするとこの2つは『虚航船団』にあるシーンなのかもしれませんが。

応答になっていないかもしれませんが「虚航船団」のラストは最高のシーンだと思っています。
1,2,3章を読んできて、あのラスト。
去人たちは形式的にそれをなぞらえたのはまちがいないとおもいます。ただ、それがどのような意味であるかは、ただのオマージュなのか、そうでないのか。それは読み手にしか分からないのではないかと思う。


唯幻論大全

唯幻論大全

去人たちレビュー応答:その3

今回は、ふりーむの感想、レビューに応答していこう。


www.freem.ne.jp


敬称などは省いて引用しているのでご了承いただきたい。

No.9999 - 2007-11-15 12:00:17 - kimura

kimura さんは昔にわたしたちが想定したプレイヤーイメージだったかもしれない。

タイトルからして筒井康隆虚人たち』のオマージュであるように、
SF的ガジェットが多く、メタフィクションな色の濃い作品となっている。
難解な用語が頻出するが、その説明はほとんど省略されるところはギブスン的。

虚人たちのオマージュであることを知っていて、SF界隈のキーワードをある程度持っているプレイヤー。
この選択は到達可能なプレイヤーの範囲を恐ろしく狭める選択だったと今では思う。
マーケットアナリストが Google Analytics の画面とキーワードトレンドを突きつけて
「去人たち、ダメ、ゼッタイ!」
とわめき立てそうな作品である。
それは正しいと思う。なにか間違っていると指摘できるところもない。
違うのは制作者にとっての目的に合致しているかしていないかだと思う。

それでも、こういうレビューは本当に前向きになれた。
SFガジェットをきちんとたのしみ、メタフィケーション(メタフィクションをそれとして受容し解釈すること)するプレイヤーは実在していると知った。
公開から7年目にして。

No.10000 - 2007-10-30 01:07:14 - fff

展開がどうこう以前に、唐突で理解しがたいところが多く観られたよ。

シナリオは上記の通り難解なところもあるけれど、日常など、
全体的に面白く、一読の価値はあった。

多くのレビューは「理解」に関して言及している。
「理解できないこと」はメリットではない。それが理解できる可能性があったとしても。
フリーゲームを批評的にプレイする人はほとんどいないし、さらに「理解困難さ」にどういう意味を見出すかなんてしったこっちゃない。
わたしもそうだが、休日になんとなくフリーゲームをプレイするときに、何かを読み取ってやろうとか、批評的にやってやろうなんて思わない。
であるから、これは率直な感想だと思うし、それでも「一読の価値がある」のなら、本当にうれしく思う。

No.10001 - 2006-08-24 11:48:49 - KURO

ストーリーで少々無理を感じたところもいくつかありましたが、丁寧に作りこまれており、なかなか面白かったです。

おおむね好意的なレビューばかりなので、記事全体のバランスがとれていない気がする。
正直、悪口よりは褒められたほうがうれしい。でも、これはわたしの個人的な見解ということにしておこう。
「誤解されて褒められるより、誤解されて悪口言われた方がマシ」とか言い出しそうなシナリオライターもいるだろう。
まあ、本質的には大差ないように思うけど。

「ストーリーに無理があっても、丁寧に作り込まれている」という指摘は、上述のレビューでもいくつか共通する点があるとおもう。
超展開と呼ばれるような因果関係を無視したり、飛躍に飛躍を重ねた展開に発展するストーリーでも、とまどいつつ、プレイし続けられる作品はいくらでもある。
プレイし続けるモチベーションが維持できているから。そこでは因果関係や、ストーリの整合性は一旦置いておいてもプレイを続ける欲求を提供する何かが残っている。
むしろ個人的には綺麗すぎたり、予想できる展開の作品は投げたしたりするから、「無理」も意外性や予測不可能性という意味では価値になり得るのだろうと思う。

ただ、三、四話ぐらいから一気に戦争チックなストーリーに急変して登場人物がばたばた死んでいくんですが、ほとんど出番ないままに死んでいく人もいたんでもっと活躍する場面が見たかったです。個人的にそういう場面も切のうて好きですが。
二話までの主人公の日常(?)は非常に好きだったので毎回そんなカンジでやってほしかったなーと思います。

「ほとんど出番なく死んでいく人」というのも、感慨深いモノを感じてしまった。わたしたちって、「ほとんど出番なく死んでいく」よね。当人たちは激しく憤ったり、嘆いたり、生きる意味はなんだろうとか煩悶しつつ、でも、結局ほとんど出番なく死んでいく。「ほとんど出番なく死んでいく」キャラクターが活躍しているところを見てみたいとわたしも思う。でもそれをするのは、わたしたちではない誰かにやってほしいと思う。わたしたちが送り出した「去人たち」はもう、どうやってもここに連れ戻す事はできない。それができるのはあなた方なのだと思う。去人たちは相対的にみたときに、ある地点においては「来る人たち」なのかもしれないでしょ。



巨人たち (1976年)

巨人たち (1976年)

去人たちレビュー応答:その2

去人たちのレビューを公開していただいた方には、感謝している。ちょっと誤解されてしまうのではないかと思い、先に書いておこう。
<去人たちの悪口レビューがあるのですが、これこれについてどう思いますか?>
というシチュエーションをよく思っている。


去人たちは良くできた作品だと思っていない作者がいるとおもうか? お前はアホか?
「いや、だって<敢えて>アホをする人だっているでしょう?」
「なるほどなるほ……………………………………………………………………で?」
「で?」
「で? でっていう? つまり、あなたは真のアホなんですか?」
「ああ、そういう意味で言うと真のアホです。ありがとうございます。Kowa@suhito14歳でございます」

  • -


今回はこちらのレビューを取り上げさせていただきます。

Soundwing フリゲレビュー - 去人たち 完全版Ⅱ


独自の開発環境で作成。タイトル画面がスタイリッシュ。

独自の開発環境が必要だったのは本当にへんな考え方だったように思う。
いや、最終的に本当に必要だったんだけど。
表現ってできることが提示された瞬間に表現なんていえなくなっちゃう。言語で表現可能な範囲って規程されちゃうと、言語もつまらなくなってしまうよね。

新事実が出てきても詳細に説明しようとはせず、なんとなく匂わせる形で提示していくので、自分なりに補完しながら読まなければ訳がわからなくなります。

あー、わかるわかる。
あれやってくと読者死んじゃう。誰かがさ、きちんと一線を画して説明台詞を言わなきゃならないと思うんだ。説明台詞ってどんなに毒を消しても説明台詞なんだけどそれをやらなきゃならないんだよね。それやらないって、読者の殆どは去っていく……っていうか、去る前にググったらよいようなきもするけどね。

主人公と翠子が熱い!

結局、今年の夏コミ(2016)に
主人公×翠子(R18)
はあったんですかね……
快楽原則と生殖行為の間の非実存的結合って本編でも書き得ていないことなのでめっちゃ気になるし是非見てみたいんだよね。
これってSFの中でもメジャーだしね。星新一は子どもが生まれなくしちゃったけど、それでいいの?
みたいな。

カオスなこのゲームにふさわしい終わり方もグッド。美しさすら感じさせる締め。

この感想は正直嬉しい。
明確な回答はないまま、「その〆」にて閉じるわけだが、そこで閉じられた何某かは一体なんなんだったのだろうと、今も私たちも思っている。
終わり方はありふれている。その過程に注目して欲しい。ほんとうに、その結論で納得できる過程であったろうか?

とにかく世界観の作り方、そして理解しきれなくても雰囲気だけ黙らせる文章のパワーがすごい。


また、賛辞をいただいた。たぶんこう感じられたのではないか。
「訳が分からないが、トンデモない自信だ」

おそらく、かなりの大きさを占めるのだろうと思うが、我々が我々なりに気色のよい意見を補足できないかと考えた。
わたしたちはあなた方を受容状態にしようとはしなかった。読み手を受容状態にしない作品とはなにか? 不条理作品である。
「太陽が眩しかったから人を殺した」
という罪人が終身刑になって誰が同情できるであろうか?
これはカミュの異邦人だが、かの作品については被告の言術が少なすぎて弁護が難しい。それが高尚な文学なんだろうけどね。
不条理の説明責任という点では去人たちのほうが優れている(=趣がない)といっていいのではないか。

「人を殺すのに理由はない」というのと「人を殺すのには、些細な個人的な理由があればいい」

というのは対比として大きな違いがあると思う。

とぼけた主人公の発言を中心とするコメディ面は面白いし、翠子は良い萌えキャラ。終盤のアリスも可愛い。

翠子やアリスはいったい、どこに存在しているのか?
ちょっと、考えさせようというあたりが、あざとくて最低だと思ってしまう
とか、言及しちゃうのがもう絶望的。




レビューされるのすげえたのしいね。


異邦人 (新潮文庫)

異邦人 (新潮文庫)

去人たちレビュー応答:その1

みなさん、ユニークなレビューを書いてもらっているので、是非個人的に応答したいなと思ったのでかいていきます。

今回取り上げるレビュー

ためておいたレビュー放出! い~びる☆あいっ! io 止マナイ雨ニ病ミナガラ(体験版) 去人たち(と「Χ:Khi ~サイレンス・イヴ~ 序章」?) エイト・ストーリーズ 第七号車


このレビューでは最上級の褒め言葉をいただけた。

フリーゲーム界の電波ゲーを選ぶとすれば、きっと上位に食い込んでくる

正直、この手の賛辞は半分嬉しくて半分残念だったりする。なぜなら「電波」という現代用語が指示する対象が非現実性を含んでいるかのような印象を醸し出しているからである。
とはいいつつも、

電波ゲームというより、雰囲気を楽しむゲームというか、独特な……カテゴリーわけを拒否するゲームというか、独自の世界を構築しているように思う。

という個人的な感想の部分に深く楽しい気分になる。
わたしたちが「ドグラ・マグラ」を説明するときに電波といって導入したがるのと似ている。ここではこの後者の感想についてとくに言及していこう。
正直、去人たちは筒井康隆のオマージュである。であれば、独自の世界感などはない。文体模写やリスペクトがそこにあるだけで形式的にはなんら新しいところはない。それが新しいとか独自とか思えるのはそれはただ、「筒井康隆が新しい文学」をやっていただけのことだ。そしてわたしたちは、その新しい、いや、「新しすぎて腹を抱えて笑った」形式をなぞっただけだと思う。去人たちⅡなどはついニヤニヤしてしまうセクションの集まりでできているはずである。それは模倣であればなおさらだが、模倣以前ですらニヤニヤできるものになっていてほしいと思う。

応答は一旦おいておいて

ただ、翠子がかわいい。そして声がいい。

ノベルゲームの一つの醍醐味。
周防ハルカさんいろいろやってはるんや! ってしらないで依頼してた自分たちはすごく反省してます。
周防ハルカさんにとても感謝しております。
ほかのボイスアクターの方もそうですが、長台詞とかちょっとおかしい語尾とか気にしながらアフレコしてくれたのはきっと大変やったろうなとおもって、ここであたらめて感謝の気持ちを。

虚航船団 (新潮文庫)

虚航船団 (新潮文庫)

kow@suhito が双星の陰陽師のOPをそれとなく書く

kow@suhito は「双星の陰陽師」を一切、なにも知りません。ですので、ファンの方には不愉快な記述があるかもしれないので、そういう方は、下記のコンテンツへジャンプしてください。

筒井康隆 - 公式サイト

え? デリダってだりだって?

そのたびごとにただ一つ、世界の終焉〈1〉

そのたびごとにただ一つ、世界の終焉〈1〉

オープニング

京都

京都ってさ、やっぱり碁盤の目のようになってるよね。あれってすごくいいんですよ。マッピングしやすいし、迷うことがすくない。
大阪なんてだいたいにおいて都市計画がメチャクチャなので、北に直線道路だとおもったらもういつの間にか真西にってるわけ。あれはほんとうに良くない。今の進行方向が北だとおもって自信満々に右折したら、その実方角は南だからね。もうやんなっちゃう。えっ? 陰陽師がどうしたって? 陰陽師って間違ったエロいイメージしかないんだよなあ。たぶん、ほとんどがあかほりさとるのなんかのアニメの影響だとおもんだけど。
そのイコン的な、陰陽師がつきまとう3人みたいのはさ、運命とか宿命とかっていうのは、人間の自由意志を軽んじているので嫌いだって、いってる架空の人物がいたとおもうけど、まあ、それはそうだよなと思うので、そこに対しては抵抗していくのかいかないのか、楽しみだなと思う。
※原作のことはなにも知らずに書いています

子どもの二人

絵面から判断して何がわるいのか。さあ、絵面から解釈してみようか♪
めっちゃ、ほこりっぽい。完全にこれはアレルギー性の反応である。かくいうわたしもハウスダウトでくしゃみはとまらなくなる。これに至っても生理反応でありいたしかたない。ところで、格子状の影ができてるんですが、どういう窓なんですかね?
右手にめっちゃ包帯まいてるけど、ちょっとほどけてるのはどういうことなんだろう? っていうか包帯なのか? ここにきて包帯のゲシュタルト崩壊である。包帯が象徴として使用されているに違いないと確信するまえに、いやいや、そんなはずはないと自分自身でたしなめてみる。
 っていうかあれ、包帯とはかぎらないよね。マスキングテープかも知れない。それは語られていないのだから確定することはできなのだ。
あっ、わかった。察した。これはあれですよね、象徴としての包帯ですよね。ミサンガとかウッタラ-サンガみたいな、なにか呪術的なにかに違いなくて、それがうまくいかなくて、絶望の号泣ということに違いない。
しかし、ほこりっぽさによる発作的アレルギー反応っていう線がすてられないのが解釈をより複雑にしている名シーンである。

少女は棺桶にすがりついて涙を流す

ここでは読み手に対するミスリードを提供していると考えていいだろう。大小2つの棺桶をよく見て欲しい。一番大事なのはこの仕上がりである。それぞれの木目調はまさに完璧であり、これに一切なんの価値もなくなった死人をいれて、埋葬するなんてなんてもったいないことだろう。(おそらく)陰陽師的な因果を拒否し、人間的な自由意志を確信し棺桶職人に弟子入りした少女は、親方のつくった棺桶を目の当たりにして自分の未熟さを痛感し涙するシーンだと想像する。
結果、自由意志をすてて宿命や運命に流されるまま少女は棺桶職人を諦める、という流れになることが想像できる。
ちなみに、このシーンにおける月明かりに照らされた木の影のような演出は、マイナス×マイナスがプラスになる、という秘められたイメージであり、あらゆるネガティブ性のなかにおいても失われない実存としての人間性を暗喩していることに誰もがすぐに気付くだろう。

金髪美少女は日本の神社で悪意を抱く

金髪美少女は表面的にはきゃぴっ☆としているが、腹の中では恐ろしいことを思い描いている、ということをこの中で描いている。これは非常にレイシスト的な表現であるとおもいがちだが、ちょっと待って欲しい。光源の位置と金髪美少女の位置から、鳥居の影はどう考えて別の影である。あぶないあぶない。また、ミスリードに誘導されそのまま怒りの矛先を自らのコンプレックスに起因する読者中心の解釈にとらわれるところであった。まさにこの演出自体が受容者へたいする痛烈な批判であると解釈する。
さて、ところで、この光源からこの影ができる経緯にあたり、科学的な検証を実施してみたが、カメラの手前に紙人形的なものが存在していることがあきらかになった。
あ、LIMBOおもしろいですよね。

蛍・水辺・三本の竹

当然だが、これらはすべて隠喩のは明白である。なのでリアリティを軸に現実的な解釈をしても快楽は一切発生しない。竹が水生植物でないことをいくらたらたら文句をいったところで、誰も得をしない。三本の竹がとくに光源的に強調されているのはなぜか? まずは蛍がそこを照らしているからだ、と考えるべきだろう。ただし、物理エンジンの精度などという問題をこえて蛍の位置関係と光源はどうかしている。であるから、この空間は非ユークリッド空間であることはまずの前提となるであろう。簡単にいえば、この世ならざる世界である。
また、蛍というとくに日本的な表現を利用している点でもその点についても論拠となるだろう。蛍は、人の霊が変じてなったものと考えられていたわけであり、タケはいまでこそどこにでもあるが、日本古来の文化として呪具として利用され、神霊が宿ると信じられていてどにでも手に入るものではなかった。配置としての人と蛍と竹のなかと、コントラストの妙がこの物語の解釈のしかたを仄めかしている。

夕日と巨人

夕日と巨人とレンズフレアレンズフレアというのはメタフィクションのなかでとても難しい扱いである。レンズフレアが描かれている以上、この像は肉眼ではないということを表している。客観的な世界のなかで、日常世界に巨人がたちあらわれることをどのように感じるべきか、ということの方向性を示唆されていると感じざるを得ない。あ、ということは、安心してみて良いシーンなのかな、と考えてみてはどうだろうか? レイアウトの良さとか色合いとか素直にかんじたらいいのである。物語や意味は構成を考えるのではなく、感じるシーンなのだと。
ふう、と呼吸をはく。わたしはそのとき、棺桶屋の職人とかいってたけど、本当にあってたかなあ、などと少々現実的な疑問が脳裏をちらをかすめたが、個人的な問題なので黙っておこう。

ふたたび水辺からお送りする二人

ってか、おい、結構、水深ありそうだけど! なんていうのは、やぼ。アートが分かってない。たとえば、映画で水から這い上がってくるシーンなんかを思い起こして欲しい。現実的な水の表現なんてヤバイのである。髪の毛なんかびっしょびっしょでもうまとわりついて、誰だかわからないに決まっている。
であるから、このシーンもまた、非現実的な象徴的なシーンだと解釈できる。
現実的はハウスダストアレルギーの少年と、現実的には棺桶職人に弟子入りして挫折した少女は、この非現実的な空間にたまたま居合わせて、そして互いが互いに相手を求めるのである。まさに意味の垂直な大騒ぎであると言わざるを得ない。受け手は自分の今までの解釈を確信するか疑うかの自由を実感しながら、ふとサブリミナル的に入り込んでくる、殺人的な縦巻きロールの髪型の女性はいったい、いつ登場するのであろうかと、ワクワクすることすらできるのである。あるいは、あれは幻であったのかもしれない、などとと自分を疑うことすら快楽である。

そして戦闘へ……

さて、わたしやあなたがたの期待はどうあろうと、物語は進行をとめない。直視しろよ、現実を、と言わんばかりである。
このあたりに関しては前回のニコ生で @yama_ic さんが見どころをつぶさに語ってくれているので、補足することは無粋というものだろう。この二人の少年少女が協調して巨人を斃すところを映像の中で満喫できる時間である。同じ時間を別カメから別の角度で見せるのは胸熱だと実感する。

成熟した少年少女は過去の自分たちに手をさしのべる(回想は死亡フラグ

ハウスダストアレルギーがしんどいのかもしれないし、棺桶屋に弟子入りして挫折したのが本当につらかったかもしれない。だけど、いま未来の自分から過去の自分に手をさしのべて、それでいいんだといわんばかりである。代償行為、通過儀礼のような表現なのかもしれないが、これは時間的な倒錯であり、リニアに進む時間の中で解釈は自由で或るということと同時に解釈がいかに恣意的であるか、という警告メッセージである。なぜなら、このシーン全体が死亡フラグを予期していて、これはドラマツルギー的な予定調和であるからである。

最後に二人は幸せなキスをして終わる

嘘だけど。
今回、目については語らなかった。アニメをみるとき、個人的にはキャラクターの目を追うことがしばしばある。だが、今回は個人的な感想はどうでもいいと考え意識的に除外した。
まあ、これも嘘なんだけどね。

まとめ

この、アニメのOPをみて感じたことと、どう解釈したかは大きな隔たりがあるということだけはここに書き記しておこう。
みんなも双星の陰陽師をみて、感想を書こう!


ではまた、次のオープニングで。