kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

6月22日(月)

不登校になってから数ヶ月、久しぶりに学校に登校する。行く必要があるのかと少しだけ思うが、みんながいくものなのだからと考えてイヤイヤ登校する。席について授業がはじまる。そういえば今日の授業科目はなんだろう? 机の中にはいろいろなものがぎゅうぎゅうに詰まっている。数ヶ月置いてきぼりをくらって授業の内容がわからない。国語では存在論をやっていて、それがなぜ必要だと考えられたかを質問される。オレはわからない。クラスの生徒は黒板に目を向けたまま。緊張で吐きそうになる。チャイムが鳴り続けるまで立ち続けて授業は終わる。次は英語の授業。苦手な授業ばかりがつづく。学校なんてくるんじゃなかった。英語の教科書を探すがない。教科書忘れたの?、と声をかけられる。となりの席の女の子は昭和の制服を着ている。少し淡い栗色がかった髪の毛で愛嬌のある目鼻立ち。教科書を見せてもらうのは授業を理解するのに役立つが、パーソナルスペースを侵害されるから居心地が悪く結局は授業の内容が入ってこない。人間が二メートル以内にいることの不安。オレは十二歳になったころからソーシャルディスタンシングを心がけていた。次の授業は音楽。中島みゆきのファイトの合唱の練習。中島みゆきのファイトの歌詞なんてしらない。音楽なら適当に口をパクパクさせておけばいいのだから不安は少し減る。ところがさっきの女の子が譜面をみせてくれる。胸が苦しくなる。不安になっているときに優しくされるとこんなにオレは弱いのか。ちょろい。次の時間は何かの科目のテスト。プリントが配れる。女の子はオレの前の席に移動している。女の子が少しはにかみながらオレにプリントを渡す。女の子は詰め襟を着ている。顔を見てさっきの女の子で間違いないことを確認する。

目を覚ますと、十時すぎ。昨日からえんえんと三十時間ほど布団の上で過ごしてしまった。身体は流体金属化している。でも起き上がるエネルギーがかろうじて体内に残っている。なにがなんやらよくわからない。あやをふりはらい、朝の儀式に取りかかる。エネルギーがあるうちにオプション作業もやる。トイレ掃除、お布団干し、床、畳掃除。夢のことをさっさと忘れてしまいたい。あやに弱みは見せられない。
空腹。菓子パンと牛乳。味覚が残っている。おいしい。
昼からはオンラインで笹野マネージャーと復職後の働き方の相談。社内規則でオーケーなら自分のやりやすいようにと、要点はそれだけだった。配慮もあるのだろうが、投げやりにも見えた。オレが文句や愚痴をならべまくったせいで笹野マネージャーが呆れかえってしまったのか。笹野マネージャーはオレに期待していないし、オレも笹野マネージャーに期待していない。どこかに期待がなければ会話は成立しない。時間をうめるための雑談をする。エネルギーの損耗という言葉がひったりの時間。復職は木曜日からということにした。それ以外は何も決めない。自分がはじめたことだが、楽しく働けるかはオレががんばらなくてはいけない。

お昼に冷やし中華をたべる。食後ということもあって眠気とともに倦怠感が襲ってくる。この安全地帯にいたらダメになってしまう。強烈な誘惑。誘惑を拒否する動機がない。理由はなくてもそれを拒否して部屋の外にでなければならない。着替える。泣き出しそうな顔で袖を引くんじゃない。オレは手を振り払って玄関を出る。
過剰睡眠のあと特有の不安定な平衡感覚、浮遊感、少しの耳鳴り、時折脳内を走るしびれ。身体を自転車にあずけるとゆっくりとこぎ出す。全身に風を浴びると身体の各部位が立ち上がってくる。目的もなくのろのろと田舎道を走る。女縄市方面へ向かう。登りもローギアでのんびり登る。心拍はいっても一五〇程度。身体中心の世界が開いてきた。途中の林道に入る。いきなり勾配一五%、ローギアでも本気で踏まないと登らない。腕から玉の汗が噴き出してくる、ヘルメットから汗が止めどなく流れ出す。心拍一八〇。身体感覚が希薄になってくる。心臓、気管支、ピントが合わない眼球、モノラル音声になった聴覚だけが弱々しい回路でつながれたむき出しの身体。頂上付近は標高二四〇メートル。汗が止まらない。少しずつ他の身体部位も戻ってくる。山を下る。荒れた路面のギャップと洗い越しを抜けて海にでる。視界が開けるとピントを合わせるために普段使わない筋肉を使うようできしむような音が目の奥でする。人は少ない。水辺はとても綺麗でもう少しあたたくなったらシュノーケリングにきてみたい。少し休憩したあと、我文町に最短距離で帰る。主要道路は車通りが多く楽しくない。

家についたあとは風呂に入る。風呂上がりにベランダで涼みながらアイスを食べる。うまい。楽しいとも幸せだとも感じないのはなぜなのだろうか。リビドーが枯渇して餓死しないために自給自足でかろうじてやりくりしている。デストルドーなんてものはないんだ。リビドーはどこにいった。自分の病気のことがわからなくなる。うつとはなんなのだろう。いまだに正確な原因は分かっていない病気。まったく効かない薬、日光浴でも良くならない、環境を変えても変わらない。うつ病の「症状」を気にしすぎていないか。オレは自立支援医療制度の申請書の中にあった食木崎先生の診断書を思い出す。自閉。オレはどうして自閉を忘れていたのだろうか。ドナ が大好きで、そんな世界に憧れていたじゃないか。ドナがみていたような豊かで無残な世界が好きで好きでたまらなかったはずなのだ。自閉という用語を正確に理解するのは難しいし、記述精神医学的に見たときにも様々な所作として現れるので素人には診断しようもない。しかし、ラカンを少しでも読もうとしたのに自閉をどうしてもっと理解したいと思わなかったのか。
エネルギーが切れる。自閉は何かのアイディアを示唆したし、ちょっとだけ楽しい世界になった。

6月20日(土)

結局何時に寝たのか覚えていない。スマホのアラームのスヌーズを連打する。あやはなにもせずに、オレがただ起きられるにむずがっているのを面白がっている。
いい加減におきる。九時。朝のルーティンワークを強迫的に終わらせる。良いことだ。コーヒーをいれて外をみながらゆっくりと飲む。ぼーっとすることが苦にならなくなってきたは成長だ。PCの前にいてはぼーっとすることもできない。何かを考えることはできても、ぢつと手を見るようなことはならない。

午前中にすこし執筆作業をする。途中、エアコンの取り付け業者から電話がかかってくる。ヨドバシのサポートからプッシュしてもらった翌日にレスポンスがあるのは期待以上である。工事が混在しているが来月になりますとのことで工事の予定日を伝えられる。終わらないタスクがついにおわる。見通しがだっただけでも心がすっきりする。しばらく執筆作業をするが、心が鬱々としてくる。あやが突然にあたししかあなたに興味がないってどう思う、と言う。それが最高だといつも言い返すのに今日は言い返せない。ここからさらに下がっていくと立ち直るのに苦労する。外出が大事だ。外出だ。あやを肘で押しのける。着替えて外にでる。
あやが背にぴったりと張り付くようについてくる。そんなにあたしのどこが嫌なのか、と問われる。そんな問いをしたら嫌われるのが分かりそうなものだが、オレはあやを無視する。あやを追い払いたい。腹もすいた。バックウォッシュにいこう。あやは人の前には姿を見せないし、マスターの宮内さんと雑談することで気分転換もできそう。店の前につくとあやはいつのまにかどこかへ消えている。中には男性客が一人。怖い。客はオレを見る。オレは目を合わせないようにする。カウンターの席を右端から一つ左の席を選ぶ。男性客とは最大距離。宮内さんはいつも会心の笑顔で迎えてくれる。それはそれでまぶしすぎて目は合わせられない。うつむき加減のまま、手探りでカウンターに座る。ハンバーグプレートランチを注文する。宮内さんは水を出してくれると男性客の紹介をしてくれる。宮内さんのご主人で今日はランチをバックウォッシュで摂っていたとのこと。余計に気まずい。極力目視を避けていたものだから紹介されると恥ずかしい。まだ若くしゅっとした男性で農業のコーディネーターをしているとのこと。さて、ここからが本番である。初見の方とどのように言葉のラリーを続けられるか。極めて集中した精神力が求められる。天気、時事、相手の専門分野についての聞きかじったことをアホのフリしてきちんと聞いて説明してもらう、休日の過ごし方など。オレがもっとも苦手としている作業。この作業が完了したときに心にダメージを負っていなければゲームに勝利したというちょっとした達成感は残る。トーク時間は十五分。二度ほど四秒の間ができた。三秒の間ができるとオレはすでに胸のあたりがむずむずしてくる。目を強くつぶったり、頭を抱えたり、腕をぐるぐるまわして間を持たせないといけなくなる。これが相手に異様にうつってしまうので、別の話題をこちらからふる覚悟をして一秒後には深掘りしたトークかまったく別のトークをはじめなければならない。我文町に移住するきっかけなどを聞くことで緊急事態を回避する。ご主人は要点を押さえてお話をしてすごく穏やかに語る。話も専門的で面白い。世界が明るければオレだってこんなに苦労していないのだろうと思う。
プレートランチがでてくると、ご主人は本を読み始めた。気を遣ってくれたようだ。その気の使い方がまたすこし心苦しい。すくなくともオレの中では妙な空気が三十秒ほど続く。ご主人はしばらくしてお仕事にもどっていかれた。何をしても勝てなかった戦いだったのだ。ランチはとてもおいしく癒やされる。外であやが待機しているかもしれない。もうちょっとゆっくりしたかったので食後はグァテマラのコーヒーをいれてもらい、宮内さんとカウンターごしに何気ないおしゃべりをする。一時間足らず滞在しお店をあとにする。外にあやはいない。新緑の川沿いを散歩しながら家に帰る。radikoで情報番組を聞く。

テレワークで公私の区別がつかなくなった忙しさがわからず仕事の割り当てがうまくできない、仕事ができる人だけにタスクが集まるなどなどテレワークの問題点を挙げている。良いところと悪いところがあるという切り口で終わる。オフィスでみんなで仕事をするのが当たり前、という固定観念は根強い。一方で身体だけオフィスにもちよって全員がディスプレイしか見ていないことだってある。私たちのやっている仕事とは何か、という WHY の共通認識がなければ、オフィスワークだろうがテレワークだろうが、価値のあるアウトプットはできない。その文脈で「オフィスワークのほうがやりやすい」というのは、ただただ機械的な時間管理の中でタスクを押し込み、忙しく仕事をしているように見えているだけに過ぎない。忙しくしてもアウトプットは変わらない。問題を複雑にしたり、時間効率、作業効率をさげて忙しくしているだけだからだ。いままでのオフィスワークとはなんだったのだろうか、という気づきから自分たちの業務プロセスの改善をすすめるチャンス。それに気づけない人が多いとすれば悲しい。この国がどこまで衰退していくのか、オレも何にも期待せずに一緒に衰退していく。墜ちていく感じ、けだるくて少しだけ心地よい。

二十一時からはエクリプス開発チームの第一回お楽しみ会、Left 4 Dead 2 をみんなでやってみようの会を開催。ラーメン大好き河合さん、行方さん、オレでマルチプレイ。単純なお遊びでもあるが、チームビルディングとしての要素も含めてみんなでやってみようという話になっていた。行方さんがFPS初心者向け、低プライス、協力プレイのなかで提案してくれた。最初はマルチでやるための準備に戸惑う。河合さんが Steam 自体でのマルチがそもそもはじめてのようで思ったようにいかない。河合さんがすまんのおと謝っている。オレにはこれに既視感を覚える。仕事でもそうだが、ペア作業、モブ作業において「自分のスキル不足でみんなの時間をとってすみません」「自分の理解不足ですみません」みたいな状況にであることがある。お互いの経験値が違うことが当たり前なのにおかしな話。オレは「そんなこともできないの」という圧力を個人的にも何度も受けてきたからこの感じが嫌い。得意不得意がありお互いにカバーし合って目標を達成しようというときには、相互の認識をあわせて互いに理解を深め合うことで問題解決に向けた質の良いやりとりが必要のはずである。「ショートカットでリファクタリングを選択してメソッド抽出を選択したあとにメソッド名をきめてメソッドシグネチャの設定をして、そのときに第二引数と第三引数の順番をかえて最後の引数にはデフォルト引数 null にしてしまって戻り値も void にしましょう、戻り値については参照で渡すようにすればいいとおもうので」と中途採用一週間目で苦手なIDEに四苦八苦しているエンジニアに言う人の気がしれない。無事にマルチでゲームをはじめる。経験者の行方さんがざっくりとレクチャーをしてくれる。オレと河合さんの質問責めにあうが、まあ聞け、というスタンス。河合さんも未成年児であるし、オレも十四歳、制御がきかない。どうしたらいいのと制止を振り切って聞くが行方さんは同時に質問されてもどうしようもないという感じで淡々と説明を続けてくれる。オレは少しはFPSをやっているので操作は問題さそう、でも武器やアイテムのことはよくわからない。経験者の指示にしたがってスマートに攻略するのをよしとするのか、なにも情報なしでその状態を楽しむのか、期待はすり合っていない。自然と生まれるリーダーシップや暗黙の期待がなんとなく見えてくる。暗黙の期待こそ危険だからそこをこのチームは乗り越えていく必要がある。プレイしていくと行方さんは経験者であることを活かして先陣をきり偵察、突破、探索を行う。河合さんは目に入るゾンビというゾンビに向かっていっていつの間にか迷子になっているがゾンビのキル数は多い。オレは死にたくない、絶対に死にたくないのでクソエイムで後方からゾンビを撃つ。ラッシュに対して行方さんは優位な位置を取ろう移動しながら戦い、河合さんは銃を構えてその場にとどまり押し返す勢いで殺していく。オレはとにもかくにも退きながら銃撃をするが押し込まれてしまい、最後には進退きわまりタコ殴りに合う。オレはゲーム的達成目標を放棄して、ただいまここで死なずについて行くことで動いている。戦場で倒れて足手まといにはなりたくないという習性。行方さんはゲームの特性を理解してクリアするためにテクニックをつかって進めて行くというのが見える。河合さんは好奇心を刺激されて目をらんらんとさせてゾンビワールドを堪能している。一つのステージをクリアしたかったが最後のエリアが突破できず、今日はお開き。何度か繰り返すことで問題に対する理解、対策を深めていくことはできたが突破はできず。ゲームの面白さはこの成長速度であり、マルチにおいてはその相互作用における刻一刻と変わる状況にある。
しかし、オレのエイムは味方にしか当たらない。戦力にならないというのもまったく足手まといである。悶々としたまま、薬を飲んで寝る。

6月19日(金)

涼しい朝。身体がすこし熱っぽい気がする。あやも少しぼんやりしているよう。復職に向けてだらだらしているわけにもいかない。朝のルーティンワークだけを希望に起き上がる。扉を開け放つ。曇り空。一昨日の深酒が内臓に負担をかけたようでやはり調子が悪い。
ルーチンワークを終えて畳に寝転がる。悪心がひどい。胃薬を大量の水で流し込む。オレの代謝力を促すしかない。スマホでカレンダーを確認する。お昼から人事のマッキーと産業医の先生との面談結果を踏まえた相談。人と会うのはそれだけ。自立支援医療制度の申請もしたい。自己負担が一割になるので家計的に助かる。傷病手当がなかなか振り込まれなくてキャッシュフローが悪くなっている。フルタイムで働けるようになるのはいつになるかも分からない。それでも生活収支を見直していない。お金は大事だけど、考えるのには精神力をかなり消費する。悪い先延ばしのクセがでている。なんにせよ、支出を減らせることには越したことがない。目覚ましのタイマーをセットして横になる。

剣と魔法の世界で日本の里山みたいなところでパーティーを組んで冒険していた気がする。オレは相変わらずなにか嫌な思いをしていた。パーティーじゃないと生き残れない、でも一人がいいようだ。
目を覚ます。お昼だろうか、あやはいない。マッキーとの面談は直ぐに終わる。復職後のリスクの確認、再燃の可能性があること、人事として最低限の契約関係の確認。最後にかるい雑談をする。会社の組織体制が変わったといっていた。会社の組織や体制、福利厚生、給料、働きやすさ、理想を語って現実を変えるように働きかけようとしてきた。でも自分にはそれだけのメンタルはなかった。対象にも自分にも期待したらオレはいきていけない。何より、オレはオレがなんとか働くことだけで手一杯だ。現実逃避や投射をして文句をいって楽しんでいる場合ではない。マッキーの話に、一歩前進しましたね、よくなるといいですね、と社交辞令を返すにとどめた。具体的に働き方は笹野マネージャーと最終調整をしてくださいとのことで、そのミーティングを月曜にすることになった。

悪心が相変わらずあったが、我文町役所にいって自立支援医療制度申請の手続きをする。窓口はすいている、直ぐに対応してくれる。申請書を担当者と一緒に書く。しゃきっとしたベテラン風の女性とまだ若い新人風の男性。男性のほうは少しぼんやりしているようで見ているこちらも心配。指さししながら記入する場所を指示してくれるのだが、どうも指先が定まらない。あとから気づいたが、オレは外出するとどうしてもバリアをはっている、それが相手に緊張を与えたかもしれない。申し訳ない。無事に申請が完了するとオレは二人に深く頭を下げて家に帰る。

ポップコーンがなんとなく食べたい。お菓子が食べたい。お菓子を食べるために何か映画でも見よう。 サード が Prime Video になっていたので見る。寺山修司というワードが気になっているだけでどういう人かすらもわからない。宮沢章夫サブカルを語るときにときどき出てくるし、「観客は立ち会いを許された覗き魔である」という寺山の言葉は感覚的に良くわかるし興味がある。映画は「ホームベース」について考える映画。わたしたちはホームベースについて問われたときに存在論的に語ることができる。でも誰もがそれをできるわけではない。ただそこにいて「ホームベースとはなにか?」を強く問うという人間を描いた映画。精一杯背伸びしていうなら見ても良い映画だった。ベースランニングの画は象徴的な場面というのを前面に出して恐れないシンプルで印象的演出。いまは間がもたないからあんまりやらないかもしれがないが個人的に好き。

復職のことを考えてエアコンの設置を急ぎたい。もちろんヨドバシカメラのサポートが言うように数日待てば業者からかかってくると思う、という推測ベースの問題解決方法の提案は成功していない。今日のサポートはさらに混雑しているよう。例のヨドバシカメラのテーマソングを電話越しに三十分聞かされる。今回電話サポート担当の方は解決策が直ぐたどり着いたよう。工事業者に確認して折電しますね、とのこと。前のサポート担当の方は架電時間短縮の鬼だったと思って良いのだろうか。いろいろな人がいるから世界は面白い。これまでのさまざまな事情もあるので、引き留めてこちらが持っている情報をお伝えする。何かあったときに往復回数が少ない方がトータルの架電時間は減らせる。みんなハッピーにこしたことはない。十分ほどして折電。現在、順番待ちになっていて見込みがつかないとのこと、急ぎ対応していただくようプッシュしておいたとの回答。順番待ちで見込みがつなかないような仕事のやり方でいいのかはわからないけど、これは前から。人的リソースが不確実なのか、資材なのか工事時間が不確実なのか。でも目安がつなければ調達計画そのものもうまくいかないのではないだろうか。やばい、また精神を病んでしまうようなところに首を突っ込んでいる。どうにもならないことに気を揉んでもしょうがない。なるようにしかならない。オレは来世で全能の神にでもならない限り、不平不満はなくならないだろう。死にたい。

朝起きてからの悪心が続いている。胃薬と睡眠薬を飲む。眠ってしまいたい。眠くなるまで執筆作業。お酒が飲みたい。お酒をのんで抑制系を解放し全能になっておわりたいという衝動は、今日の一日の過ごし方に原因があるのかもしれない。沢の鶴 米だけの酒 [ 日本酒 1800ml ] を初挑戦。冷やだと生酛特有のクセがつよい。肴を選ぶ日本酒。身体の負担を減らしたいのでぬる燗にする。こうするとクセがマイルドになり飲みやすい。酔いが回ってくると気分が落ち込んでくる。自棄になってあやにも日本酒を勧めたが固持する。胸が苦しい。布団はいってなんとか寝ようと苦労する。

6月18日(木)

前日の深酒がオレをダメにしている。アルコールが抜けてないようで酩酊感が残っている。めんどくさい。タンブルウィードでキモサベとの乗馬をする予約をしていた。絶対に遅れてはいけないし、キャンセルもしてはいけない。昔からオレの世界ではそうなっている。アルコールが原因の失敗を一度すると抜け出せなくなる。
足の接地感がない。朝の段取りが簡単に思い出すことができない。着替えてたり、水を飲んだり、食器をあらったり、歯を磨いたり、動線が安定しない。本気の酒量管理の必要性を感じる。約束に遅れそう、忘れ物はないか、オレの身体のどこか欠けていないか、死んでいることを忘れて同じ日常を繰り返していないか、致命的な勘違いをしているのではないか不安を抱えつつ出かける。天気が良い。白色でコントラストのない世界。

タンブルウィードにいくとキモサベが洗い場で待っている。ちょっと眠そうな目をしている。首を愛撫してやる。キモサベは穏やかにふむうと鼻をならす。馬は人をどれぐらいで個体として区別できるようになるのだろう。キモサベに聞いてみるが、のらりくらりと質問をはぐらかされる。耳を伏せて聞いていないフリをしているよう。まだまだ相手にしてもらえてないようだ。やはりもっとニンジンをもってこなければ。
レッスンはぐるぐるまわる。回る方向を変える「手前をかえる」練習。騎乗していると癒やされる。キモサベがどっしりかまえている。男の娘らしさに惚れる。オレもいつかは対等になってキモサベにも喜んでほしいと思う。

レッスンが終わって家に帰る。二日酔いと頭痛と胃がくちゃくちゃになっている。買い置きのヨーグルトを流し込むと布団に横になる。少し身体が楽になる。頭の中のカレンダーを確認する。十七時から産業医との面談、復職可能かどうか。前回の面談から二週間が経つのか。早い。傷病手当金を酒に変える生活はもう終わりにしたい。原点を喪失した地平面で相対距離をはかることもなく、どのようなベクトルで移動しているかも分からず、ただ自力で座標点を宣言する生活。昔はその座標点の精度に根拠なく自信がもてたのだけれど、いまではすこしだけ不安になった。

十六時。だいぶ身体は楽になっている。面談の準備をする。産業医の先生との面談は恥ずかしいからカメラを横におく。これだと視線がわからないので、がっつり視線を外すことへの抵抗感がへる。直近に週間の生活リズム、身体症状、精神症状、トラブルのヒアリング。台本があるみたいにすんなり進む。初見で生活に破綻がなさそうなのが伝わったと考えよう。復職可能という意見書になるとのこと。いよいよ復職。産業医の先生は物腰が柔らかく切々と問いかけてくる、その感じでどうしても先生の視線追ってしまう。声トーンに感じられる言語外の情報に意味を与えるために仕草や視線のデータを補助的に使いたくなってしまう。あえて異様な話し方をして相手を言語世界から身体世界へ引っ張り出すという考えは面白い。自分もどこかの機会でやってみよう。

まともな食事とっていない。夜は冷やし中華。気分転換にタスクが山積みになっているDQウォークをやる。DQウォークが歩かなくてもやることが沢山あるタスクゲーになってしまったのがちょっと残念。それにまんまとはまって義務感のようにレベル上げをしたりレイドと戦ったり。

二十一時からはエクリプスのミーティング。議事録をつくりながら今日は何をしたら良いのかを思い出す。プロダクト五段階のうちの第一段階、「プロット原案作成」の段階。どういったものを作っていくのか、という企画の方向性決める段階。具体的に物語のプロットをもちよってコンペティション形式で選定を進めていく。
ミーティングでは「プロット原案作成」の達成基準を明確にする。テーマ、あらすじ、オチ、主要登場人物が決まっていること、それらがエレベーターピッチに適合していること。まだ物語のディテールには踏み込まない。次にタスクの洗い出し。各人がやってみたいシナリオの案を作る、それらをワークショップでみんなに共有し、いいところ、改良したいところなどの情報を集める。その上で一つのシナリオを選定するのか、改良したり、アイディアを組み合わせたシナリオを作るのか、議論で決定する。選定されたシナリオが詳細だけこだわってしまっているケースを防ぎ、プロジェクトという大きいスコープにおいて俯瞰として正しいことをしていることを確認するためにエレベーターピッチとの適合性をチェックする。
オレはプロットを作るプロセスになじみがないのでラーメン大好き河合さんが普段の仕事の進め方でどうしているかを提案してもらう。
「プロット原案作成」までの道しるべができたので実際にラーメン大好き河合さんと行方さんもちよったプロット案を共有してもらう。あらすじとその結末から、葛藤、対立、成長や和解、浄化に至る要点はなんとなく想像できるし、仕掛けも迫力がある。ラーメン大好き河合さんの作家としての現役感がオーラのように立ち上っている。行方さんのプロット提案は舞台装置とその装置を構成する部品感の相互作用とそれによって引き起こされる物語、人物の反応のアプローチ。装置の動作はジレンマ、不条理をきちんと出現させるし、冷たく粛々と稼働する装置の様子は独特の世界観を期待させる。
オレにはどのプロットも良いと思えた。創作においては「熱量」こそをもっとも大切。熱量においては太刀打ちできない。仮に小手先のデータ重視の物語構築で何かできたとして、オレが楽しくないのが問題だ。熱量が決定的に欠けている。そこが致命的だ。オレは職業作家ではないしそれをやりたいと一切思わない。
ラーメン大好き河合さんはオレにも何か案を提示してほしいと強く要請された。確約はできないけどといって一旦返答する。嘘はいえない。
打ち合わせ終了。睡眠不足もあって直ぐに布団にはいる。打ち合わせの直後は頭がフル回転していてなかなか寝付けない。プロットの提案についてすこし考える。小手先のやり方でデータを蓄積して案をつくるのならばできるだろうかと思う。もしダメでもその分析は理解は今後の企画会議でも使えるかも知れない。それに漫然としているとあの熱量だからおいてけぼりにされるかもしれない。理解を進めるという目的をもって個人ワークをするのは大切だろう。十二歳だったころ、超虚構という雑駁とした用語だけをたよりに @lice とシナリオを続けていた。お互いにゼロから何をつくる能力は低い。筒井康隆を下敷きに思考をする場所だった。その議論自体がエキサイティングで酒もはいって支離滅裂でその体験の異様さだけが十四歳のいまも強く残っている。なんのために去人たちを作っていたのか、思い出せない。創作するという行為においてもっとも大事なのは創作するという意欲を持ち続けること。それが結果的に良い作品を作る。嫉妬や反抗心でつくるのもいいのだけど、そこをきっかけに創作活動をライフワークとしていけるようなモチベーションに変えられる体験をして欲しい。それが作品を受容する側のメリットにもなる。情報の流通速度の革新は九十年代の創作者、受容者から本質的な時間を奪ってしまったような気がする。その進化を受け止めてそれを自分の脳であり身体の一部として扱えるようには未だに成長できていない。作り手にも消費者にも期待しない。今、彼らは自然すぎる。血管を切れば血が噴き出すように、彼らはある意味においてとても自然でそこに期待はない。でも、それはオレが病気で悲観的だからかもしれない。オレはゼロ年代に九十年代の生き方をして十年代にゼロ年代の生き方をしていたような気がする。大きな物語が明確に失われたゼロ年代、去人たちをつくりあぐねてもがき、十年代半ばには、物語たちが炎上し焼け落ちた無残な屋台骨だけさらしつづける荒野に立っていることに気づいてに絶句した。オレが変わることを放棄し、世界が変わってくれればという投げやりな態度に陥ってからはただただ世界が滅ぶのを待ち望んでいた。でも、世界は滅びなかった。復職可能だろうと不可能だろうと、そこの根にある言い表せない失望感は消えない。伝えようとすら思わない。
眠る。

6月17日(水)

八時にスマホの目覚ましがなる。スヌーズを連打する。昨日の夜、飲んだ酒が少し残っている。ラジオを付けて世界の同期から始める方法もある。あえて同期をせずに自意識に閉じこもって創作脳に仕立てる方法もある。同期をすれば外に出かけられる身体に仕上げられるし、同期をしなければ創作脳あるいは陰々滅々とした日にしやすくすることもできる。オレは前者を選択する。NHKラジオを聞く。どうでもよいニュース。朝のルーチンワークといっしょにやるとちょうどいい。さいわい、あやは寝過ごしている。昨日の夜、徹底的に無視してやったのがよかったかもしれない。

ツナマヨをぬった厚切りトーストを食べる。今日は予定がない。珍しいことに生きるのが面倒くさくない。生きているメリットを考えている。躁と鬱の波を表す三角関数の周期は上振れにはいったようだ。いずれ下降し、そしてまた生きるのを諦め始めるだろう。だから今のうちに生きているメリットを享受しなくては。シュノーケリングの「練習」に出かける準備をする。フィンをつけたときの所作、水温が低いときの所作、離岸流にのったときの所作、シュノーケルの緊急排水、シュノーケリング時の潜水と排水の所作、オレは前回の失敗から自身に課題を見出していた。失敗しても死なない場所できちんと失敗しにいきたかった。自転車で三〇分ほどかけて伊花多ヶ浜にいく。砂浜。すくなくともいきなり深い場所はない。パドルスポーツをしている方が何人がいるかスイムスポーツはいない。シュノーケリングは浜辺でやっても透明度がなくてレジャーにならない。足がつく水位で立つ。フィンが邪魔して立ちにくい。何度か繰り返して立てるようにはなった。だが緊急時に立とうとすることがゲームオーバーだ。フィンの抵抗はかなりあるという学習をした。脚がつく水位で海底面をタッチの練習。潜水時の身体状態のチェックとシュノーケルの排水作業。シュノーケルはかんぜん水没することがわかる、だから潜るまえに肺に空気を吸い込み浮上後に一気に吐き出してシュノーケル内の海水を排出する必要がある。大きく息をすって……潜水……浮上、排水。肺を空気で満たすと潜水能力が低下する、慌てて水を搔いて潜る、予想以上に時間が経過する、あわてて浮上する、排水が浮上しきりまえにやる。不完全、吸気で海水を飲んでしまう、げほげほ。運動神経が良いとはいわないが、音痴でもないとおもっていたのでこの結果はがっかり。焦りが大きい。海水のせいか浅い水深でも耳が痛い、耳抜きしてみようと余計なことを考える、潜水速度が遅くて必要以上に大きな運動をして酸素を消費する。トラブルからの浮上の見切りの甘さ。でも一度失敗するとほっとする。失敗の原因も体験として理解できる。思ったより潜れないし浮上も遅い前提でマージンをもって吸気、排水を心がける。余裕が生まれると海中という状況の中でも冷静な判断ができる。わざわざ素数を数えなくても場を乗り越えられるようになる。次は足のつかない場所へ移動する。三メートルないかどうか。海水浴でいうほんのちょっと沖。何かあっても足はつけない、ただ緊迫感は急に上がる。潜って上がる、シュノーケルの排水。よし、問題ない。でもちょっと待てよ。浮上、排水後ちょうど波を被ってしまったらどうだろう? オレは一旦足のつく位置にもどってシミュレーションする。オレの排水は本気なので次の一手は吸う以外ない。排水後、シュノーケルに海水が満たされているシチュエーションでは死亡した。排水を完全にやろうとして肺の空気を全部使ってしまうことは御法度である。短く一気に吐き出して排水すること、そしてゆっくりすって海水が残っていればもう一度排水できる空気を持っておく必要がある。オレは潜って排水を失敗させて、再度排水するというシミュレーションを繰り返す。二度目は肺活量が足りない。吸うときにゆっくりとすることで海水を飲むことなく次回に完全排水するスキルを身につける。よし、オレはまずまずの生存率を身につけた。一時間でのオレの成長は楽しい。たぶん自己流で正しくはないけど自分なりに仮説検証を物理的な身体をつかって行うのはとても楽しい。人生のアジャイル化による一番のミクロな不確定要素は自身の身体データと感情データである。ふりかえりではそのデータともとに意見を出し次のアクション、タスクに落とし込んでいく必要がある。データの精度は次のタスクへ大きな影響を与える。ここで精度を高めようと頭に電極などを仕込む試みは大概失敗する。そこの精度を上げるのは困難だからだ。では身体データや感情データに誤差が大きく含まれているとしたときにどう対処するか、それはスプリント期間を短くするということに尽きる。効果が得られ亡ければすぐやめるということではない。学習曲線にはいつだって谷ができる。これを前提にして、「見込みがあるか」という問いを自分にする機会を短い頻度で与えるということであり、また別のタスク候補と比較して「諦めるか」という極めて相対的な議論の繰り返しを行うということ。今回の件は数十分を1スプリントとしてそれを繰り返すことでオレは成長できた。さらにふりかえりのなかで、ほんとうの緊急時に対応するためには別の対処方法を身につけておく必要があるのではないか、という仮説を提起できた。その仮説が提起するのは死なないという頻度はすくないが重大なリスクでそれは無視できないという判断のもと絶対に「避難訓練」しておくべきことだとと判断する。当たり前のことかもしれないが、これをその場で身をもって体感することが人生の楽しみだと思う。個物的なオレのリスク管理はオレにしかできない。特に今日のオレはオレはまだ死なないことを前提に考えることを推奨している。

家にかえると、猛烈に眠い。なぜ水に入ったあとは眠くなるのか。買い置きのおにぎりとカップラーメンをたべて仮眠をとる。十五時から人事部のマッキーさんと面談がある。寝過ごせない。タイマーをかけて寝る。

なにか機械音が鳴っている。はっ……枕のしたにスマホをしまい込んで隠蔽しようとしている。寝坊したか、ぞっとする。まさかの三分前。目覚ましが鳴る前に目が覚める症候群とにている。脳は休めていないのだろう。急いでパソコンをつける。今日のマッキーは影がない、元気とはおもわないが。やあやあお元気ですかなどという言葉を交わす、この時間がお互いの間合いを計る時間である。天気と湿度と梅雨の話をしたらさあ、次はどちらが主導権を握るか、という緊迫したアイスブレイク。オレは面倒くさいのでいつも主導権をとる。どのミーティングでもそうだが、誰かが何か話題を振ってくれるだろうと黙る。どのミーティングでもそうだから知っている。誰にも嫌われずに生きていくことはできない。もし相手が一秒以上黙ったら相手はオレのことに好感を持っていない。だから、オレが話題を振るようにしている。相手のことを好いているならまだしもお互い興味を持っていない同士、どうなってもいいではないか。これがオレが相手に興味をもっている場合には困る。去人たちに興味をもっている人だ。去人たちに興味を持っている人には失望して欲しくない。オレはおれを超えて相手の望むオレになりたいといつも思っている。作者論? そんなのどうだっていい。とりいることだ。相手の妄想としてのオレやオレたちを綺麗に華麗に演じるにこしたことはない。本性は、徐々に、失望にならないように、本当に少しずつ。陽キャ陰キャの違いをマッキーと笑いながら話す。会社のシステム開発をやっているVAR部でリモート飲み会が開催されるようですよ、という話を聞いて誘われる。オレはマッキーに「そんなのに出たらウツでしんじゃいますよ」という。マッキーとオレは笑う。「でも経費はでるみたいですよ。領収書でおいしいお酒かったらいいじゃないですか?」という。「でも死にたくないです」という。さすがは根はダークなマッキー笑ってくれた。この類いのブラックジョークは結構わらってもらうことが難しい。
アイスブレイクが済んだところで復職の話をする。笹野マネージャーからもせっつかれているのかもしれない。オレがこうやってマッキーと笹野マネージャーに二重人格で話をしていることに罪悪感を覚える。境界性人格障害者が相手に取り入ろうとする症状は社会的には凶悪であるからして申し訳ないとは思っている。オレにはオレが分からないというと責められる、だからオレはオレをあなた方ようにパーソナライズしてきた。これには精神科医も気づかない。あなた用のオレの違和感に気づくためにはオレのマニアになるしかない。統覚のもとに人がある、kow@suhito も制約を超えることはでなかった。おれがありのままに話せることがいいことかどうかは別だ。人格があってしかるべきだとももう。あるいはその両面の矛盾を許容できる鈍感さが必要かもしれない。@liceと話したときオレはオレたちだったし誰もオレを責めなかった。オレたちの無謀さを笑ってくれた。でもは@liceは気が狂っていた。最初にヤマシタさんと話したときにそうかなと思ったことがあるが、残念、彼は天才だった。天才は直感で正しい道を選ぶことができる。天才たちの名誉のためにいうがこれは決して楽なことじゃない。悩んで悩んで失敗も何度もしてそしてポイントとなる重要な分岐点で正しい選択肢を選択できる人々のことだ。努力はもちろんそこにあり最後に経験をもとに直感で最後の選択をできる人々のことだ。オレや@liceはそうではなかった。もしかしたらヤマシタさんもそうかもしれない。成功しようといいながら、それは失敗するため、理想と良いながらそれは絶対に達成できないもので、結局は破滅を望んでいた。理想は高くそれは自身が死んでも良いために、言葉にはしないけれども、死ぬために正義感や正しさを常に言葉にする最低の人間たちだった。若きウェルテルの悩みに共感するような精神薄弱な社会があったのだから、オレたちは深刻に考えなかった。ハイデガーを引き合いにだして企投しているほうが社会的に悪ではないかと議論を提起している場合でもない。一回性の、いまここにしかいないオレをどうするかについての判断をオレが正しくする方法について語りたいだけなのだ。
そんなことを考えているとミーティングの時間は終了した。復職するなら、来週か再来週からでしょうねという話。根拠ではなくプロセスの話として。死ぬまで生きろ、と命令されて生まれた人間は困るのではないですか? と考えたがこの会話の文脈ではかなり危ない。オレは黙る。いいね、と親指をたててマッキーに合図する。

ミーティングが終わったあと、オレはサイクリングに出かける。女縄市までゆっくりとサイクリング。クライムはのんびりのびのび、心拍が一六〇が上限になるようにゆるゆる登る。物理時間はゆっくりと進む。だけど心拍一八〇の時間と比べれば効率は良い。心拍数を倍にすれば倍の距離を進むといったシンプルな世界ではない。いまのオレがたどり着きたい場所と、オレたちと称するオレと同時代のたどり着きたい場所は全く違う。人は後者に賞状を進呈する。前者については評価を保留しがちである。本人たちがそうであるように、評価する人々も恐れている。ツール・ド・名破が開催されるなら、オレはスタート後数分後だけはトップを走りたい。名破を誰よりも走ってきたという強欲さのためだけに。ツール・ド・名破はもうちょっとまってほしい。まだ走り込んでいない。

家に帰って風呂に入る。風呂は気持ちいい。座禅を組む。世界はビッグバン当初のように圧縮する。一気に膨れ上がる。無限大の宇宙に対するオレの呼吸を意識する。それでも宇宙は物理法則とでもいうように膨張する。客観的宇宙と客観的宇宙が相克する。どちらも直近の地球的世界観には影響はない。哲学が探究するように、オレは無と有の堺目に注目する。オレが虚数空間にいてこのいまこのような混乱にこまれているとき、オレはこのように悩むと言うのだろうか? この問いは最高に良い。そこにおいてオレは肉体に頓着しないはずだらからだ。なにせよ、まだ、この宇宙はない。ある自我Aがうまれることが自明な宇宙がある。あなたは自我Aです。宇宙を作ってみますか? オレたちは回答に困窮する。なぜなら元が人間だから。自意識こそが判断を阻害する。何かを語るために生き残らなければならないのです。

語る? ほうほう、あなたは語り、聞かせるなにかなのですね? オレは苦笑いを浮かべる。

時間が経つ。オレは明日の予定を考える。てんこ盛りだ。酒盛りをしている場合ではない。薬を飲んで寝る。