kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

9月24日(木)

スヌーズと戦う。夢の中でスマホを破壊したはずだ。でも目の前にある。悪心があるだけで眠気は比較的ましだ。朝のルーチンワークはすっかりなくなった。ひげは生え放題、鼻毛も伸び放題、歯磨きをやめて口をすすぐだけ。食器は限界まで放置。まだベランダの柵は越えていない。

仕事を開始する。徹底的にチャンネルをミュートした Slack は必要さ象限の情報しかながれてこない。自分の前々のタスクをこなす分には困らない。チャンネルが疎結合になっているコミュニケーション設計だろう。実際には失敗しているのだろうけど。シデムシ隊の最後の最後のひとりとして最後の砦をひとりで守っている。やることは沢山あるがつまらない。やることに価値がないわけではない。給料分の仕事とするには給料がたりない。オレのスキルは一切のびず、プロダクトの堅牢性はあがる。オレは時給分の仕事をもらったと思えばいいかもしれないが、成長できなかったという点、会社に依存した仕事しかできなる、社内発言力に影響する、転職も難しくなる、その補償を含めれば給料が低すぎる。ただの愚痴だ。誰も聞いてくるわけではない。誰かにいっても、「じゃあ、やめて転職すればいいじゃん、やりたいことやれるところへ。結局はいわれるままやってればそこそこ楽でノルマもなくダラダラやっててもなんともいわれない今の現場が最高だとおもってるんだろ? 文句ばかりいって。でさ、本当は何が批判したいのよ? 本音を言えよ、めんどさくい。プロダクトの価値と自分が価値が同時にあがるほうがめずらしだろうが。そこを我慢してプロダクトの成長から次の仕事にフォーカスしたらいいじゃん。誰もできない仕事できたんだろ。社内のプレゼンスは上がったよ。保守をすべてプロセスから改善してやれよ。未来永劫つかえる義寿だ、他者でもつかえる技術だ。お前はさ、権限がないとかいってごねてるだけで、権限とりにかねーよな。雑魚。はいはい、これは雑魚ですわー。けけけけけ」
昼メシはトーストにツナマヨと茹で玉とコーンポタージュ。胃が悪く食欲がないが、コンポタとトーストならなんとか入る。納豆ご飯もありかなとおもったけど、納豆を切らしていた。
午後になって倦怠感が半端ない。でもやるだけやる。シデムシ隊がリソース不足でモブワークができないソロワーク状況では分からないことはすべてSlackで然るべきメッセージをポストする必要がある。必要なチャンネルを探す。よくわからなければチャンネルソムリエがいるチャンネルで聞く。回答が返ってくるまで数分。オレはノイマン型CPUみたいにじっくり待つ。めぼしいチャンネルにジョインする。そこで問題と解決方法にむけた質問をする。返答がくるまで数十分。待っている間別のタスクをやる。はっときづいて、Slackをみかえす。一時間も経過している。リアクションがあってやり方が記述してある。だがやってみるがうまくいかない。返信する。応答まで数十分。そのあいださっきのタスクに戻る。……これがどんだけムダだというのだ。互いに。
Slack を閉じる。恋愛のことについて考えている。14歳だって恋愛はしていいはずだ。キモサベかわいいよなあ。なんていうか男の娘だからなのか、ちらちら見える漢らしさが胸をきゅんきゅんさせる。人間属恋愛対象はいないのだろうか。シデムシ隊の新鋭、浦野さんはどうであろうか? 悪くない。だが犯罪的だ。年齢差を犯罪的だという言い方はオレの勝手な言い方だ。罪はない。栞はどうであろうか? うーん、気が強いが間違っていない。婦女子であるがそこもオタク素養があって話もできなくもなさそうだ。ただ夫にデレデレである。爆発しろ。うちの会社にはキモサベに勝てる女子はおらんのか。

仕事がおわるとサイクリング。標高200メートルの小山を登る。追い込んでも思考が停止しない。もやもやがきえない。もっと追い込めば良かったのだろうけど、心拍二〇〇でもうっすらと仕事ってなんでやってるんだけっという言葉は頭の中で繰り返すことができる。ひどい、本当にひどい。帰りしな伊花多ヶ浜による。海は荒れている。堤防に座ってすこし見ている。コンビニで弁当でもかってきて食べればよかったな。穏やかなときはあれほど優しいのに、今日は波しぶきをあげてその飛沫が風にとんで降りかかってくるほどだ。でもこの荒々しい海は好きだ。

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伊花多ヶ浜

家に帰る。風呂に入る。疲れすぎていると風呂に長く疲れない。すぐアチアチになってお風呂をでたくなる。ゆっくり入りたいのだけどなあ。
晩酌は唐揚げとブロッコリー。マヨネーズはたっぷり。ハイボールを濃いめにつくる。
執筆作業をする。日記なんてやめればいい。日記を書くぐらいなら、去人たちZEROのノベライズをやってしまえばいいのに。でも、去人たちZEROは本当につまらない。

クスリをのんで寝る。

9月23日(水)

目覚ましが鳴る。ゼロフレームで世界が切り替わる。オレは一フレ前に本当に寝ていたのだろうか? まるで映像の編集のような目覚めだ。週明け、仕事ができる。やることができた。

仕事を始める。一人になりたい。Slack のチャンネルを片っ端からミュートにしていく。もしかしたら一喝でミュートするプログラムを書いた方が早かったかもしれない。オレが思っていることを最も正しく伝える方法は対話によるコミュニケーションだ。オレはオレの思っていることを誰かに伝えたい。文字は素晴らしい。それは書くという行為があったという前提を理解し、いくつもの間違った世界を見せてくれるからだ。小説において文字はとても有効だ。幻想的な物語はテクストに限る。赤毛のアンが映像によりある程度固定化されてしまうなら、それは毎年毎年新作を出してもいいかもしれない。とにもかくにも、仕事上必要なコミュニケーションに幻想性は不要だ。逆に言えば、文字は不適格ですらある。Linux カーネルメーリングリストで議論されて開発、保守されているらしいが、メンバーの気が触れないのはどうかしている。課題、解決方法、解決方法の結果生み出すべき成果物、これを自然言語で正しく伝えることはできない。自然言語は不確実でリアルタイムのやりとりでなければ意味がない。
これでテキストによる非同期メッセージはこなくなった。オレは自分のライブ配信URLを公開する。ただもくもくと作業をしている、もし気になるのならばそこに来てくれれば良い。結果、退勤まで誰も来ない。オレは自分では解決できない問題を Slack でいくつか助けを求めたがソースを読めと言われた。誰が悪いわけでもない。もはやレガシー化したものを教えられる人が居ない。今やっている表示項目を変えるという些細なプロダクト改善にリバースエンジニアリングを含めたコード解析、コードリーディングをしてやっと解決した。Easy にしようとして SImple でなくなってしまったレガシーの例。Easy を目的につくられたライブラリは毎日更新されるぐらいでなければ、と思う。典型的な開発者のユースケースに答えてくれるファサードを作ろう。大いにけっこう。Easy の仕組みを理解してそれを越えたことをしようとしたときは Easy の仕組みを理解いして改変する必要がある。地獄である。欲しかったのはファサードですか? ビルダーですか?
先週に丹波さんへお願いしたプルリクエストをレビューの提案がある。単一責任の指摘。イラッとする。いや、正しいから。オレたちは本当にいま単一責任に注目すべきだろうか? 汚染されているコードがどんどんとマージされてくるのに、いまさら、このプロダクトに価値を与えないところで単一責任!? オレは散々愚痴をいうが、所詮負け戦だ。レガシーソフトウェアを改善するには新しい負債を作り込まないことは最低条件だ。再度レビューを投げる。
フラれまくる、細かい改修案件を地力で進める。くだらない。秒で終わるものばかり。実際には数時間かかる。改修前のコードを想像していないから、どこまでリファクタしていいものかも難しい。
チャットがほとんどことがすばらしい平穏を迎え入れた。仕事はオレが一人でやればいい。ほんとうに重要なことだけメンションでやりとりすれば良い。チャットはなんだったの。とりあえず知っておいた方がいいかな、はしっておく必要などまったくなかたったのだ。何よりも心にゆとりがうまれる。よし。

仕事が終わるとサイクリングにでかける。仕事を抜く。明日は雨らしいので、今日が回せるチャンスだ。羊鳥ヶ岳逆周ルート。ドライブトレインの調子が悪くなってきている。シフトチェンジがいまいちテンポが遅れるようになってきた。3000㎞はしったらショップで点検してもらってくださいといったが、そろそろいった方がよさそう。もよりのスポーツ自転車ショップまで100㎞ぐらいあるので往路はいいとしては帰りは電車だな。坂道を登る。最高で10%程度のほどほどの坂道。海岸線沿いだとアップダウンが走破するには思いのほか体力がいる。万座のように単調登りだとペースも掴みやすいんだけど。
坂道を登る。夏も終わり。蝉がメスを求めて最後に鳴いている。弱ってるんじゃない。どうせもう死ぬのだ。全身全霊を込めて腹から鳴け。いけるさ。額からこぼれた汗が目に入ってしみる。頬伝って顎から汗がしたたる。苦しくて気持ちいい。登坂の中盤で心拍一八〇、呼吸は乱れている。ペースを落とすしかないのに、回し続ける。きっとこのまま回せば死ねる気がする。気管支がゼイゼイする。呼吸が荒くなるだけで酸素を有意義に取り込めなくなる。思いっきり吐き出す。思いっきり吸う。足を止めない。一定の角速度を維持せよ。耳鳴りがしてくる。手が震えてくる。太もも、ふくらはぎ、膝の折り曲げに異常蛾生じ始める。重だるい。腕は力が入らない。上半身を支えられない。ハンドルバーに寄りかかる。つらいときこそフォームを意識せよ。上半身を挙げて肺に空気が取り込まれるように、ペダルのリズムを崩さないように。まず、ケイデンスが破綻した。頂上の見えない上り坂をみて心が折れる。口の中に血の味が広がる。激しい呼吸をしすぎるとこの味がする。それはいいのだけど、オレにとってはオーバーワークのサインになっている。定期的に負荷をかけているならまだしも、週数回のエクササイズでこの負荷のかけ方は無謀だ。頭の中でそう合理化する。足をつく。ハンドルに肘をついてぜいぜいと空気を貪る。汗が次から次へとしたたりアスファルトにシミを作る。息も絶え絶えで岬に到達する。夕日を眺めながら小休止。オレが鳥だったらこの海原の上に飛び出して羽を広げているだろう。実際、トンビが気持ちよさそうに飛んでいる。

家に戻ると風呂に入る。二名の先客がいるか、あいさつをするだけで絶対に目を合わせない。今日、オレは在宅勤務のWEB会議サービスでも目を合わせなかった、いまになって目を合わせるわけにはいかない。目を合わせないのは失礼と聞いたことがある。逆に言おう、目を合わせるのは信頼できる人だけだ。なんの見返りもないのに、しらないおっさんとセックスしますか? オレにとってはその問いににている。でも見なければセックスしていい対象かどうかの判断基準すら手に入らない、というお叱りは十分にわかる。話をシンプルにしよう。オレはいまおっさんとセックスをできる余裕がない。イチも二もなく視線は避ける。
風呂を上がって晩酌。冷凍からあげに死ぬほど大根おろしをかけておろし唐揚げ。ポン酢で頂く。冷や奴は削り節とショウガ、めんつゆでいただく。お酒は濃いめのハイボール。血液検査の良かったとはいえ破綻的な生活に近い。さっさと飲んで寝るに限る。ロックのウィスキーで眠剤をあおる。医者が絶対に止めるやつだ。用法として百パーセント間違っている。そういえば、むかし、ハルシオンとお酒の組み合わせで迷妄したことがあったけっけな。鬼束ちひろもいっているように、効かない薬ばかりがちらばっている。

クスリは効いている、きっと。寝る。

9月26日(土)

金曜日はリーン開発の真逆をいく仕事。問い合わせ、回答待ち、問い合わせ回答待ち。それが並列で三本。ひなたぼっこしたり散歩したりしながら気分転換を試みるが効果は薄い。共に働くことのその心地よさだとつくづく思う。ただ、共に働くにはわたしたちはあまりにも人見知りしすぎているだけだ。あいつと一緒に仕事? 気持ち悪い。直接やりとりすんなんてなに言われるかわからない。みんながいる Slack を挟んで防御しなきゃ。オレなんか、彼のような優れたエンジニアの時間を奪ってはならない。slack で返信がくるのをまっていよう。日本の奥ゆかしさ、謙虚さのようなものもあるかもしれない。だけど、目的のための障害となっているようならば取り払うが良い。オレは障害を取り払おうともせずストレスをためた。

今日はタンブルウィードに行くと決めて前日の寝る時間まで調整した。やる気満々である。キモサベにあげるおやつをハイパーマートで買う。ゴルゴ先生の強烈な視線やぜったい仲良くなれない圧倒的な強い先生感に怯えてはいるがキモサベに会うために仕方ない。ムダなおしゃべり一切なしでも気まずい思いがしないのはいい。間に馬がいてくれるのでオレは馬さんと楽しんでいればいい。ムダなおしゃべりがある床屋とマッサージ屋だけは本当に大嫌いである。まるで話しかけるほうがよいサービスだと勘違いしているみたいだ。何回かかよって、短い相づちしか打たないことに気づいてやっと社交辞令で終わるようになる。最初は苦痛である。今日はキモサベにのれることに。キモサベはベテランの余裕で洗い場に繋がれている。おはようとあいさつをするとキモサベ興味なさそう。このツンデレがまたかわいい。見てるけど見てないふり。草食動物としてそもそもかなりの視野で周囲を捉えているがお前にはとくに中止すべき存在じゃないから、という。まあよい、あのキモサベの筋肉隆々の肩とお頚を触りたい! 触りたい! それじゃあ失礼しますね、とキモサベの目をのぞき込みながら声をかける。頚を愛撫してあげて、多少敏感な鬐甲をわさわして膁もマッサージする。さらに我慢できなくなって、腰に全身でぎゅーっとする。ひゃーあったかいなり~。たべちゃいたいよう。しかしタンブルウィードのお馬さんたちはゴルゴ先生の方針ですごく穏やかな性格。だからこそこんなこともできる。ゴルゴ先生がボスとなって絶対の信頼を寄せているからこそ、ゴルゴ先生の生徒には警戒が和らいでいる。でもゴルゴ先生がなんどいっているが、臆病な動物なので常に暴れることがありえる、それは動物の本能として、そうなったら人間には手がつけられない。捕食する側の動物であるオレと捕食される側の動物であるキモサベの間には遺伝子レベルで越えられない壁があることを理解しないとなあ。人は生き物を理解するときに、感情移入的に理解すること頃がある。つまり人間の感情で理解できない行動をする動物を排除する気持ちが働いてしまう。感情では鳴く、論理的な共感こそが異種間交流には大前提となるだろう。お馬さんの本もっと読まねば。今日のレッスンも軽速歩。オレは馬上で四苦八苦。キモサベは接待モード。ゴルゴ先生の指示が飛ぶ。キモサベの自由に走らせないで。あくまでも人間が指示してるんだとキモサベに指示して。指示したつもりでは意味がない。キモサベに伝わってないとおもったらもっとやり方を試行錯誤してみて。手綱ひきすぎ、キモサベの頚があがっていたら引きすぎ、平行になるぐらいに、ただしつねに手綱は張って得る状態で。手綱をもっている手は固定しないで、頚の動きに合わせて柔軟にあわせられるように。じゃないとキモサベが走りにくいよ。馬上では椅子のように座るのでは亡くて丸太のように座る、動くのは腰だけで上半身は動かない。足首の力抜いて、もっとリラックスして立ち座りする。鐙はもっと指先側で踏んで。自分が進みたい進路をイメージしてズレてからからじゃなくて早めに指示だす。毎度のことだが頭がパンクする。どれか一つに注力するとどれ以外がおろそかになる。リーン開発のことを考えると同時にやるのは理にかなっていない。一つひとつ課題を解決していくのはダメなんですか? とゴルゴ先生に問う。一つを完璧にして次のことをやってもあまり効果がない、すべての動作が有機的に連動してはじめて人馬一体なのです。その説明はオレには完璧だった。麻酔だけはピカイチ、医療器具の扱いだけはピカイチ、切開だけは世界一、縫合だけなら神業、そんなチームに手術されたくない。目的のために連携して技術を発揮できることに意味がある。チームとはそういうものだ。30分のレッスンが終わるとキモサベの身体を拭いてあげる。良いからだ。前は結構、蕁麻疹がでていたのだけどだいぶよくなった。ストレスもへったのかな。力加減いかがですかーなどと、マッサージ師さながらにキモサベにはなしかける。目線はこっちをちょっとみてるけど感情はない。キモサベのこのツンデレが最高にかわいい。他の馬さんは身体をよじったりイヤイヤしたりする。気持ちいいところはぎゅーっと身体を寄せてきたりする。きゃーかわいい。たべちゃいたい。キモサベはおしりをきれいにしてもらうのが好き。ふきふきすると尻尾をあげてゴシゴシ待ちする。ただ今日はハエがでてきたので尻尾によるムチ攻撃がたまに入る。これはご褒美なのだろうか。最後にバナナを一緒に食べる。オレも朝飯抜きだ。おやつみると目の色が変わるから面白い。冷たい目線からの突然の凝視である。笑っちゃう。バナナをあげると手のひらべちゃあ、ヨダレ、ヨダレ! 鼻息を荒げながらうまうま食べる。キモサベにさよならを告げてレッスンを修了。

土曜日もやっぱり外にでるのがいいなあ。部屋にもどってお風呂にはいってのんびりする。軽速歩で内股の筋肉が張っている。よくもみもみする。お昼は冷凍食材とパスタ。冷凍ささみ肉を解凍、冷凍ブロッコリを解凍。マヨネーズと黒酢ドレッシングを賭けて食べるだけのシンプル料理。だがタンパク質もとれて手間の割に味もかなりいい。パスタはペペロンチーノをいただく。その後、昼寝。疲れもあってかきもちいい。

夜はドラマを見ながらハイボール。プラージュ~訳ありばかりのシェアハウス~ 第1話 から一気にみる。最後まで見られるドラマが最近少ない中で最後までみられた。ドラマの筋というよりも仲里依紗演じる小池美羽がよかった。視線移動やまばたきのタイミング、あれを小説で説明してもイメージが湧きにくい。たぶんマンガでも困難ではないだろうか。他の映画やドラマでもそういうのをみていたのかもしれないが、今回はとくにその演技が気にとまって、仲里依紗が次はいつでてくるんだろうとワクワクして見られた。多少、大げさな演技なのかもしれないが、オレもあんな風なのかなとおもうと、よくみんなオレに話かけてくれるなと思う。

無理してでも外出することは体調を回復させてくれる。どん底をみていまここに居る。またいつどん底に戻るかもわからない。逆に考えるんだ。今のうちに終わらせるのもありかもしれない。クスリを飲んで寝る。

11月某日

前日の夜から絶食、眠るために少しだけお酒を飲んだ。時間は六時半。いつもは出るのをしぶるふとんからもさっと起き上がる。ウツが甘えだと言われる仕草である。大腸内視鏡の検査なんて苦痛に決まっている。でもその苦痛と出口が入り口になっちゃうんであろうワクワクと、自分の身体を試す、測定することが大好きな好奇心とが入り交じった朝だ。朝起きてパソコンをつけてエロアニメを見る。異種姦触手モノである。俺も数時間後にはそうなるんだと思うとこれまでに見たことがないほどに陰茎が怒張し、ウェザータッチでちょっと触れただけなのに大量に射精してしまい、日焼けした畳みに白濁した液が飛びってしまう。今日はしごく真っ当な医学的検査なのに俺は何をやっているんだろう。ティッシュで畳を服ながらつぶやく。俺って最低だ。

自転車で名破市の病院まで向かう。腹ぺこで水分もあまりとっていないがらヘトヘトになる。病院につくと受付をすませて腸内洗浄液、3リッターのたっぷり下剤を飲む。これがなんと昼間までちぴちぴとやる。俺なら居酒屋に3時間いたら4リッターからのビールは干せる自信がある。仕組みは簡単だ。浸透圧的に吸収されない水分を時間をかけながらチビチビ経口摂取する。そうするな腸内にたまっているお通じが押し流されてじゃばじゃばでてくるという仕組みである。これを何度もくりかえし、出口からでてくる液体がほぼ透明になるまで繰り返す。また腸のうねうね折りまがった部分にはお通じが残りやすいので歩きながら振動させてみてね、などというわけである。まずい洗浄液、院内ウォーキング。
1時間ほどするがまだ便意はこず。2時間ほどするとぎゅるるるぅとくる。でちゃぅぅぅぅ。排出された弁はまっちゃっちゃ。これが透明になるまで出し続けるのか...
何度もくりかえすが、俺が排出する弁は泥かヘドロみたいに色がついている。人造人間、というかゴーレムなんやろうな、俺は。だって生きてる実感ないし、生まれてきたことに一切、全く、自信ないもんなあ。看護師さんが、 kow さんは便の色どうです? よくなりました? と聞かれるが、まだ泥水ですとこたえる。わかりました、じゃあ次出した後みせてください、いけるかどうか確認します。もう12時をまわっていて検査の時間がせまっているのでいけるかどうかを判断するらしい。あんまり人にうんこみられたことがないからなあ、なんか恥ずかしい。びちゃびちゃやし。立派な自慢できる極太のやつでもないしなあ。恥ずかしいなあ。でもそれがなぜか気持ちいいなあ。そういえば家畜人ヤプーを読んでいたときもキンモーとおもっていたけど合理的で抑制される気持ちよさにとても共感出来た気がする。
などどやっていると、差し込み。トイレにこもってほぼ水分を排出する。しゃーしゃしゃー。高圧洗浄機かよ。跳ね返りが怖い。うーむ、まだちょっと残ってるなあ。生まれて初めて病院のトイレにある呼出ボタンを押す。看護師さんがきてくれて排出内容から検査の可否を判断してくれる。はずかしい。
「いいですね、kow さん、これならいけますよ」
はあ、よかった。俺が幼いころ、うんこは贈り物だったのにな。いまはどうして恥ずかしいのだろう。もしかしたら、俺にはうんこを贈り物として受け取ってくれる親が存在しなかったのかもしれない。確かに、育ての親は俺のことを橋の下で拾ってきたと何度も明言していた。俺がうんこが嫌いな理由がいま分かった気がする。

腸内が洗浄されたあとは、鎮静剤を点滴で投与する。もちろん説明はない。なんとなく鎮静剤なのだと察する。ぼーっとするとかふらふらすとか、きっとそういうタイプの点滴である。だが、俺には効かない。効いているんだろうけど、ドキドキが半端ない。今朝見てしまったエロ動画の触手とそれらが出たり入ったりしているところをみていたせいだとおもう。そんなことされたら、性別関係なくやばいに決まっている。ふう、俺はここが公共の場であることを思い出し素数を数える。まさか勃起したままカメラを挿入されるわけにはいかない。
「先生、ごめんなさい、術着を汚してしまいました」
「いや、いいんだよ、いますぐにわたしが綺麗にしてあげるからね」
ぎゃー、ヘンタイだー。こんなことは絶対にあってはならないのです。素数です、素数を数えるのです。ふうふう。

さて、いよいよ本番です。俺は完全にビジネスモードです。おう、かまわぬ、やってくれたまえ。
「はーい、じゃあ、ゼリー塗りますね-」
年配の看護師さんが手袋をはめてジェルをつける。そして俺のアナルにガツンとくる一発を見舞う。嘘だろ、もうちょっと優しくしてくれるとおもったのに。俺の……俺のバージンが……しくしく。いや、そこまで期待はしてなかったけど、挿入速度がマジではやいねん。もうちょっとゆっくりでもいいと思うんだ。個人的にはそういう乱暴な扱い好きなんだけれども。

そしていよいよ、超長い触手が侵入してきます。しかも、わざわざ、Live で画面を見せる仕組みです。俺の腸内を犯しながらその画像を俺にもリアルタイムで共有するというものでとても親切である。もはや、そういうプレイだ。俺は直腸部分が弱点なので挿入直後の呻く。せ、先生、や、優しくして。先生は関係ありません。これは医療行為です。
腸はつづら折りになっていてその中を内視鏡が進んでいきます。やり方はかんたん、無理矢理押し込んでうねうねと奥に進んでいくのです。コーナーを曲がる度にみぞおちにボディブローを食らったような重い感覚を伴います。俺はアガーアガーとわめきますが、先生はそのうち気持ちよくなるさみたいな感じで意にも介しません。目からは涙が、鼻から鼻水、口からはヨダレ、内視鏡の映像は涙で歪んで何もみえません。うーん綺麗なもんですねえ、などと先生はいいますが、俺は陵辱されて苦痛のどん底なのです。

検査がおります。結果をきちんと聞きたかったのですが、腸の違和感でうまくきけません。逆に言うとポリープもなかったようだし気になる所見もなかったのかなと勝手に想像しました。あと、痔は結局あったの、なかったの?
「はい、kow さん、この車椅子にのっていくださいね。すこしベッドで休憩しましょう」
おい、人生初車椅子がここなのか。だから鎮静剤あんま効いてる気がしないんですが。意識レベルと身体レベルは別やろうし、ここは専門家のいうことを聞いておこう。
車椅子で仮眠ベッドまで運ばれる感じ、すごく嫌だけど、考え方をかえれば疾病利得のもっとも気持ち胃行為でもある。はあ、俺はなんでも利害関係で考えるようになってしまった。死にたい。
ベッドに横になる。看護師さんが毛布を掛けてくれる。

知らない天井を見つめながら思う。医療の現場はカンバンである。ただカンバンというプロセスとアジャイルというプロセスの併存が現場のモチベーションを支えている。適切な医療処置と寄り添いがセットになって価値を届けられるサービスとなっている。(これがいいかどうかはおいておくとして)利用崩壊とはこの原則を実現できなくなることだろう。理を捨て実を取る医療になったとき、それは誇りのある仕事ではないと、それまで誇りをもって仕事をしてきた医療従事者は思うんだろうなとおもった。


俺は腹ぺこのまま家にかえる。絶食しているから優しい食事でもたべようか。
酒はうまい。肉もうまい。米もうまい。これは俺の勝手な世界だ。クスリを飲んで寝る。

11月17日(火)

日記を放置していた間にいろいろな事はあったが、人生を総括したときには些細なことにちがない。今日は病院巡りのために一日、会社に休みをもらった。半休でもよかったのかもしれないが、病院にいくだけで俺のメンタルがボロボロになるのは想像に難くない。

名破市の病院まで自転車で40分。朝の空気は冷たく、山間の空気はきんっと張り詰めている。もうちょっとペダルをまわして体温をあげていこうと思うが、このコントロールがうまくいかない。すぐにじゃばじゃば汗がでてきて、身体が温まるまえに汗冷えが始まる。自律神経がぶっ壊れている。低速巡航で進む。指先がかじかむ。ツール・ド・フランスでは標高2000メートルまで登って気温は1度ぐらいだった。過酷すぎる。

病院につくと受付をすませる。体調がわるい。自分本位になっている。いまになっておもうと、一番オレがダメ人間なときだった。オレはぶっきらぼうに、名前を告げて、予約してると告げる。受付の女の子は名前からカルテを検索してくれたようだ。オレは、再検査の予約をしています、の言葉がいえなかったこを後悔する。他者の居る世界に足を踏み入れていない。分別がない。

病院の待合はコロナ対策でソーシャルディスタンシングを行っている。ご年配の方が多く、足腰が不自由な方が多い。診察の順番になると白髪の豪胆な内科医。いなかのおっちゃんってこうだよね、というグイグイでフラットな話しぶり。14歳ならまあ精密検査しなくてもいいきがするけど、まあ、一度やっておくといいよ。うむ、オレもそのつもりだ。いろいろめんどくさいんだけど、検査について後から看護師から説明きいて。おれは頷く。内科医もコンプライアンス的に説明しないといけいない事項を淡々と伝えているだけ。こまごまと書面に書かれたことにオレは興味がない。まれにおこる問題、1%未満、当院ではおこったことがありません、安心してください、という謎の説明。次はオレにおこらない理由などなにもないのだから安心などできない。確率とその事象が発生してしまうということの間には生の真実が垣間見える。
結局、俺は大腸内視鏡の検査を受けることになった。大量の下血まではしていないので進行したガンではないだろう。アナルに振動するピンクの医療器具をを挿入して強にして楽しんでいたのがきっと悪かったのだとおもう。

家に帰る。冷えた身体を温めるために温泉に浸かる。仮にガンだとして、俺はうまく死ぬことができるのだろうか。「死にたい」「消えたい」「記憶喪失になりたい」「人に迷惑をかけたくない」
嫌になる。気分は重い。早々にクスリを飲んでねる。