kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

07月04日(月)

いつものように活力のない土日が終わった、ということ。現実逃避のために飲む酒は、うまいともまずいとも言えず、ただ憂鬱を保留しつづける。
先送りにされた憂鬱がどうなるか。憂鬱はトラブルに発展する。トラブルになりたくないから、何かをする。怒られたくないとか、誰かに嫌われたくないからすることばかり。
オレというアイデンティティは要らない。

無理矢理、目を覚ます。無理矢理、身体を起こす。
コーヒーをいれる。現実逃避の酒で脳みそも、胃袋も奇妙な甲高い音をたてている。後悔をする。

仕事を開始する。
オレができることはなにか、という自問自答のなかで、数分単位で自分のポジションを確認しながら、それっぽいことをいったり、テキトーなことを言ったりする。ほんとうに時々、自分のアイデンティティが立ち上がってくるタイミングで、自分の意見を述べたりする。まったく見当違いの意見かもしれないし、チームに欠けていた視点の補強になるかもしれない。別にアイデンティティは関係ない。純粋に意見を述べるとは相互に作用しあうなかで再現性のない出来事のきっかけになったというだけだと思う。替えのきかないイベントということもできるけど、ともすると、それは誰でもいいのだと思う。
オレにオリジナル性を求めて何になるだろうか。オリジナル性を何ものが担保できるというのか。

仕事を早々に終える。
沈鬱とした気持ちは変らない。これを憂鬱とみんな呼んでいるのだろうというそれ。でも、誰かの憂鬱を感じたことはない。憂鬱などと漢字で表現することが、誰かにとっては大げさに見えているのだろうと思う。別に知ったことではないが。

雨模様だったがすこしだけ散歩をする。
いやなことを忘れたくてお酒を飲む。寝る。

06月27日(月)

目が覚めて、だるい仕事内容があることをしっている。
だるい身体をなんとか起こして、仕事をする。

土日になんとなくみてしまった自分にとっては対応に困っていたチャットメッセージにニコニコチャットメッセージで応答する。
見たときに反応したらきっと歪んだ皮肉メッセージを返していただろう。でも、それをしたからとって自分の気が済むかもしれないけど、なにも状況をよくしない。
何事も無かったかのように相手の意をくんで、自分が折れる。返信すると心が楽になる。我を通すこと自体が目的なのは本当に自分の悪いところだ。そうしないと自分が偉いと思えないのだろう。

そうしていると、自分が仕事でとりあつかっているプロダクトと自分の距離感がわからなくなってくる。
開発者のつもりが、いつのまにか解説者になっていたり、プロダクトの批評家になっていたりする。思考停止したまま状況に応じて反応するだけの仕事をしていると、アイデンティティが失われる。集団でなにかをつくるなら、我を通すのでは無く状況に反応するほうが結果的に優れたプロダクトになる可能性が高いと思う。しかし、自分がどこにたっているのかと、どこにたっていたいのかは考えておいた方がいいなと思う。自分の時間を切り売りして対価を得る、という状況は変らないとしても、できるだけ意味のある形で売るべきだなとおもう。

なぜか自尊心が損なわれた感じがして、早退みたいにして勤務終了。布団にねころがって寝る。

06月26日(日)

早朝に目がさめる。もうどれぐらい寝ているのだろう。ずっと寝れていたらいいのに。目を閉じる。
次に目を開けたのは11時。悪夢を見ていた。悪夢はいつもように、一人きりにされること、親しい人から無視される夢。何度も何度もその夢をみるのだけど、毎度毎度、追いすがるように助けを求めている。誰かに依存するからそんな目にあうのだ。一人では生きていけないけど、依存はコントロールしよう。モジュール間の依存の分離可能性が低いシステムは成長できない。つまり、モジュールが分離可能性が低いシステムにおいては、モジュールは従属するしかない。何ものかを抑圧しようとするなら、自分たちで決定することができない状況におくことだ。

ずっと寝ていたので腰が悲鳴を上げている。喉も締めあげるような違和感がある。逆流性食道炎か。横になりすぎて食道があれているのかもしれない。

起き上がり、コーヒーを飲む。明日は月曜日と思うとベランダから飛び出して自由になりたい気がする。死にたいとかではない。自由になりたいだけ。
やるべきことは無数にある。でもやろうとは思えない。やった世界とやらなかった世界を想像する。無駄な想像を棄てる。

起きて、風呂に入る。風呂で瞑想する。水面に映る像をぼんやりとみる。考えることをやめる。損得勘定で固着していた思考が解きほぐされる。

サイクリングにでかける。サイクリングコースはのぼり、くだりが多いコースが好き。運動が好きなのではない。自分が動くと景色が変ることが好きなのかもしれない。登りで負荷をかけると、ふとももやふくらはぎがオレのものではないように思える。けだるく、いうことはきかない。ありがとう。
心臓、汗、呼吸、ふともも、ふくらはぎが個別に悲鳴をあげる。この個別の悲鳴を統御することが不可能という混乱が面白い。現在の心拍数、現在のケイデンス、脚の残り具合。より早く登ることはあまり考えない。気持ちよく登ることしか考えない。オレはケイデンスで登る。ケイデンスと心拍数をみながらひたすらのぼる。耳鳴りがしてくる。意識が朦朧とすれくれば、ペダルはゆるめる。残念ながら家に帰るまでがサイクリング。最低限の自制心は維持しなければならない。

今日のサイクリングの最高標高はたかだか400メートル弱。それでもこの肥満した身体をできるかぎりの速度で押し上げることができたのだから良かった。

山頂から下り、コンビニでアイスをかって、海辺に向かう。
海開きはまだだが、気温は30℃近い。砂浜で上を見上げると青空。重力が逆転したらあの無限の空に落ちていくんやなあっておもうと、股間がヒュンってするぐらいの青空。
曇り空が好きだったのに、ちょっとだけ晴天が気になった。

06月25日(土)

暖かくなってからはなるべく自転車に乗るようにしている。ペダルを回しているときは、なんとはなしにリラックスできる。
ペダルを回したからと言って解決することはない。楽しいとも違う。ただ流れていく景色によって少ししだけ息が楽になる感じ。

早朝に目を覚ますと、雨が降りそうだった。今日は自転車に乗らずに寝ていよう。
次に、13時に目を覚ます。すべきことはあるが、やりたいことはない。長時間睡眠にさらされたぼんやりした頭はじんわりと世俗から切り離してくれる。ずっと眠っていれたらどんなにいいかなと思う。それに身を委ねる。ふたたび目をつむる。
次は19時に目を覚まし、おなじように再び目を閉じた。
いずれ、月曜日がくるのに、と思うと恐怖を感じる。いずれ、来年がくる。いずれ、思考も曖昧になり、身体も動かなくなる。若いときには、思考が飛躍過ぎとたしなめられた。だけれど、もう経験として明らかになった。あれから、十余年、なにかをしようとして何もしなかった。結果はこのようで、見合った結果。嘆くというよりは納得してそうだろうそうだろうとかみしめている。

何もリスクをとっていないのだから、何も得ていないという、当然の状況。想定外のことはない。損益のコントロールできており、心配事と希望はつねに均衡している。これを維持しようとする自分の意志を批判もしようとも思わない。

妄想できないところに自分は追い詰められたのかもと気づいたけれど、そういう風に自分を追い込んだのも自分だったのかと思う。不確実性から遠ざかろうとすれば、自室で自分の気を狂わせるしかないっていう馬鹿げた話。オレはまともに、狂えやしない。

07月28日(水)

不眠症でぼりぼりとプロチゾラムを食べていた。気付いたらタタミの上で寝ていた。午前6時。眠気はない。頭は鈍重。仕事を開始する。
頭が冴えていないので Slack チャンネルの棚卸し。ほとんどみていないチャンネルから退出。
その後、アイスカフェオレをがぶがぶと水のように読み、目を覚ます。仕事を再開する。

オレはチームから脱退したため、ソロ活動がメインになっている。なんといってもオレは念願は精神障害者3級に認定されたからな。何がおいしい? 障害は所得税控除がめっちゃおいしいんじゃ。すんません、きちんと働いている方支えて頂いて、我々障害者はまともな生活ができております。感謝感謝。

仕事は簡単。どちらかというプロジェクトマネージャー、という役職をやっていればわかることですが、ソロでワークするということは、プロジェクトマネージャー兼プログラマーなのです。たとえばフリーランスで外注要員のかたも「勝手に」そういう振る舞いを期待されたりしますよね。
オレは、「こうしたい」という要件に向かったときに、真っ先に考えるのかステークホルダーなのだ。仕様、設計、実装はまあ自分のレイヤーでなんとでもなる。ステークホルダーだけは「制御するのは難しい」というのが経験則だからだ。

まず、目的に到達するための道筋をシミュレーションする。自分たちだけががんばる、関係者にもがんばってもらうパターン。この組み合わせでどの方針で行くかがきまる。今回は関係者には負担をかけず、われわれサーバーサイドで互換性を維持する、という方策を考えた。トータル工数のはなしではなく、プロダクトに価値が生まれるのがそっちが早いからだ。

話は変わる。今日は下半期の評価フィードバッグである。
評価フィードバッグの結論は

  • ベースアップ
  • 現状意地
  • ベースダウン

がある。ただし、さすがにベースダウンは「よっぽど」でなければないので、維持かアップするかの2つである。
そして当社は平均昇給率を4%と公言している。IT業界平均、俺の年齢から考えれば「普通にあたらけば」 2.0万のベースアップが基本になる。


上半期は休職こそしたものの、じぶんなりにやれることはやった。
リモートワーク×ソロなのでコーディングは進んだし、実績も申し分ないと感じていた。
だが結果は、ベースアップゼロ。

いくつかストーリーを考えた。
平均給与×平均昇給率3%×従業員。昇給率の大体予算は4000万ほどあるはずだ。それを消費するもよし、あまらすのもよし、それは評価を決定する人多たちだ。

# 仮説1.予算は一部の会社のメインプロジェクトメンバーに配分された
いわゆる見舞金として振る舞われた。下半期の実績とかではなくこれからさきのプロジェクトととして。
当社は有名なエンジニア、技術者にその能力以上の対価を払っている(と思っている)。
知名度は大事だ。「△△業界で有名な○○さんが働いているならイイ会社に違いない」という意味で仕事をやってほしいといういみで高単価で依頼している可能性はある。

# 仮説2.予算は若手をメインに分配された
新卒採用されたメンバーは初任給が低いのでベースアップがあった。でも全体の人数からしても、昇給率4%の予算を使い切ることはなさそう。これだけの要員はなさそうだ。

# 仮説3.優秀なエンジニアへの再投資
これはあるのかなと思っている。当社の採用している技術スタッグがニッチなのでどうしてもその業界の「権威」的な方々が集まってきてしまう。
そういった人たちは技術雑誌に記事を投稿したりして、「業界内」での評判がすこぶるよい。そこにおいて当社サービスの改善につながる、という首脳部の考えがあるならそれはそれで否定するものではない。


さあ、お朝も終わった仕事しよう。
午後からは上半期の評価フィードバッグ。

正直期待していない。ベースアップしたら、おーそれをよくやったなといいたいぐらい。だから「なし・なし」のフィードバッグ、を予期している。
事実、そのとおりで「及第点の仕事をしている」という評価。

オレ「この評価はアベレージと思っていいです?」
上司「いいでしょ」
オレ「昇給率4%と食い違いますが?」
上司「ぼく、あれ分かってないんですよね。過去、マネージャーとしてやってきて平均4%だと感じたことはりません」
オレ「社長がウソをいっているか、偏った昇給を行っている、という認識でいいですか?」
上司「……」

冷静になった。上司は社長じゃない。恨みをもって問い詰める相手でもない。上司はむしろ、被害者に近い。
オレは嗤って上司に言う。
「公平でないことを公平でないというのは大事なことだから。でも上司にいってもそれはうまくいかないのもわかります。でも、たぶん、昇給率を公表したことが間違いなんだろうと。それだけは伝えて起きたいと思いました」

人がやりたがらない仕事をやろうとした。それはポイントアップである。だが、その人がやりたがらない仕事を効率化したところで、誰も褒めてくれない。
給料に感心をもつ上司がそこの効率化に興味をもっていないからだ。下層のゴミはいつでも替えがいて、辞めようがどうしようが感心をもっていない。文句をいってやめても別の人間を雇うだけだ。そしてそいつが辞めたあとでもなんとでもなる人材だ。

業界の問題ではないだろう。
コスト削減と業務知識、運用知識、保守知識がこれほどまでなんにも理解されないとは。