kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

07月13日(水)

前日は深酒をしたために、起き上がれない。
社会性を破綻させていいなら、体調不良でお休みにすればよい。
しかし、個人的な事情としてそのソリューションは早々に破綻しそう。
明日も、明後日も、来年も、再来年も「体調不良」でお休みできる実績づくりになってしまう。一度ついた嘘は二度三度とついてしまうことに抵抗感が薄れる。

這いつくばっても起き上がり仕事をする。
生活を破綻させると知っていながらお酒を飲むって、ダメな人間だからっていう。
二日酔いになってべろんべろんになって、何を得ているのか。

07月12日(火)

寝付きが悪くて睡眠不足。
仕方なく早朝から仕事をする。

布団から起き上がれないときには、寝起き一杯のコーヒーを頭の中で想像する。香りと自分がマゾヒストだと実感できる苦みのある液体。オレのかくプログラムの半分はコーヒーでできている。
誰かの書いた枯れたコードに変更を加えるために、テストコードをかく。依存が多すぎるクラス、ユースケースからは必然性を感じないクラスへの依存。新規にテストコードをかくのは発見に満ちあふれている。コーヒーをがぶのみしているカフェインジャンキーは動くプロダクションコードを書くことに執着して保守性を忘れてしまう。保守性を考慮しないわけじゃない、忘れようとし忘れたいがために集中といういいわけをする。すぐに動くコードができあがったことに発注者は賞賛する。卓越した職人であるから工数が短いという妄想を棄ててほしい。個人的な経験ではあからさまな保守性に欠陥がある。

物事は変化し続ける。変らないものにチャンスはない。設計と呼ばれるものもある瞬間には正しいけど、すぐに正しさは損なわれていく。アップデートし続けることが価値を生み出す根源的土台となる。どんなに潜在的ポテンシャルをもっている企画でも、アップデートしつづけることができなければ、短命に終わる。
アジャイルには観念がない。

仕事には身が入らなかった。粛々とタスクをこなしてはやめに退勤する。
1時間ばかりの SST インドアサイクリング。脳内の思考を殺してキャッシュをクリアする。すべてが過去になる。

風呂に入ってキンキンに冷えたビールを飲む。今日が報われる。
オレは文章を書く練習をして本当にまた何かを書けるようになるだろうか。
エクリチュールの意味もわすれた。シニフィエシニフィアンもよくわからない。
機械的にコアダンプを吐き出すだけで、それはそれとして意味があるようにおもうし、技術についても興味が持てない。

他者や、相対化に疲れて、一旦休むときにそういう地点があるよね、と思っている。
うまくやる方法は何かあるのかもしれないが、それもいいかと受け入れて頑張らないようにする。
お酒がおいしい。

07月11日(月)

朝は雨が降っていた。
思考を殺す。なにも考えない、なにも考えない。

なにも考えなくても仕事はでき、なにも考えずに仕事を終える。
オレは誰かの期待を先読みしてその期待に勝手に応える機械ではない。なにも察しない、やりたいなと思ったことがあればやればいい。指示があったことについてはそつなくこなせばいい。
状況が整っていない。自我は棄ててしまう。自我が芽生えていい状況だと判断すれば、そのときこそきっちりと小さく動く必要がある。いまはじっとしていればよい。

早退する。雨はあがっている。
なにも考えない、というのはストレスがたまる。イライラしている。何も考えないと、脳内は言葉にならないもやもやがぐるぐるして、気が狂いそうになる。言葉にならないので喜怒哀楽のどれともいえない。なんともいえず、ずっとなにものかにせっつかれている感じ。相手が見えないのにけんかを売られているのかっていう。

退勤してクライム多めのサイクリングにでかける。
毎日毎日、負荷をかけているせいで脚はヘトヘト感。心拍数が160以上になると、心的ストレスが減少していく傾向がある。心拍が160を超えてくるあたりから苦しさが強くなる。心拍のつらさ、脚が言うことをきかなくなる。180付近で限界。限界をこえて190までいくと意識がとびかける。
ダンシングの練習。呼吸が乱れる。ペダリングが乱れる。腕とペダリングのリズムがくずれる。呼吸を優先しようとするとさらにリズムがくずれる。結局、がむしゃらになってのぼる。
高強度の有酸素運動が増えた。運動能力をもっとあげるにはさらに負荷をかけないといけない。このまま、FTP 250 w めざすのもいいかもしれない。

家にかえって風呂にはいる。ハイボールと焼き鳥。
ウツのフェーズにはいると、本当にひどい。自分の状況についていえば、ネットをうばって座敷牢に閉じ込めておけばいいとすら思う。激しい劣等感や自罰感情が日常的に優位になる。
理屈、理性、抑圧から逃れるための苦肉の策。理屈によって自分を超無力化して、結果理屈から解放されようという虚しい試み。当然その試みは挫折する。挫折しつづけるなかで、全世界を敵に回すことになる。そして全世界が敵であってほしいと願ようになるのが正しいかもしれないが。わざわざ敵を作りにいく、という駆け引きをするが当然、失敗する。それが駆け引きだと思っているのは当人だけであり、他者はその文脈を理解できない。これは無限に相対化できる話かもしれない。
結果、ウツのフェーズが終わりかけにおいてイチかバチかの賭に出てしまうパターンが多い。
自意識が世界を構成しているみたいな、他者との依存方向を一方化する考え方は思考システムの安全弁がないために極端に稼働するか、あっというまに破綻すると思う。
ある境界を越えると、破綻するかも、と知っていながら、その言葉にできない破綻に魅入られてそれを止めようと思う判断も停止する。
最後の最期に、誰も選んでいない破綻に自分が立ち会えるという魅力に抗うのは本当に難しい。

オレは野放しになっているけど、イチかバチかなんて馬鹿げたことを考えないでいてほしい。

07月10日(日)

起きた。何も不満はない。やりたいこともない。なのに焦燥感に追い詰められる。
頭を壁に打ち付けて痛みを感じる。すこしだけ焦燥感が薄れる。もう一度、寝る。

15時ごろに目覚める。悪夢を見ていた気がするが何も思い出せない。
このまま休日が終わるのか。焦燥感に責め立てられる。目をつむって逃れようとする。
入眠しかけの妄想。悪夢の中でオレが人を殺そうとしていたことが再生される。裏切られたと逆恨みしているのが自分。相手を殺そうとしている。逆恨みともわかっているようだ。ただ、やり場のない怒りで無関係な何かを破壊したいだけなのがわかっているみたいだった。自分が間違っていることを認めずに危害をくわえようとするが結局実行できずにうだうだしている。なぜか情けなくも感じるし、それで良かったとも思う。

眠るのを諦めてぼんやりとする。なんとなく投票に行く。
行かなくてもいいかなと思ってはいる。意味なんか無い。その場かぎりの、正しいこと、理想になんの共感もないのかなと思う。できもしないことだけど、正しいから主張する。どこに向かうべきかを示すことは大事なのはわかっているけれど、個人的な問題として明日どう生きればいいかも分からないのに、未来の話をされても何の関心もわかない。

仕事もプライベートもすべてが薄っぺらい。
圧倒的な絶望もないし、希望もない。感情の起伏もない。
なに不自由なくやっているのに、なにが不満なんだろう。分相応、それ以上に恵まれている。

お酒を飲むがなかなか酔えない。寝る。

07月08日(金)

仕事にモチベーションがあがらない。会社のお偉いさんが悪いんだと、テキトーに非難できれば気が楽なのだけど。
無反省に誰かに責任を押しつけられるほど簡単な話ではない。個人的な評価は永遠に個人性から逃れられない。

全社タウンミーティングが開催されたが、お偉いさんは達成できない目標に、納得できる回答をを続ける。想像の範囲をこえない。理解もできるし共感もできる。そんなのは5分も説明してもらえれば十分だ。では、次の打ち手はなんなのか、という話をしよう。でもその話もいつもどおり決まっている。不確実だから試行錯誤してやっていく。なるほど。でもそれは基本的な行動指針っていうだけで一生言い続けていい。直近、具体的に、我々は、何をしたらよいのか。
良いことは何でもやろう、という方針はいつも達成不可能な目標になる。

そうそうに退勤、サイクリング。脳みそが過活動。脳みそ優位の状況になっている。身体感覚が希薄。もっふりとした薄い繭に覆われて思考だけが自意識を無視してぐるぐるしている。
こういうときには瞑想するか、サイクリングするか。今日は比較的涼しいし、サイクリングしよう。
2時間ほどペダルを回す。アップダウンの激しいルートを選んだ。脚に披露が蓄積していておもだるい。勾配10%になるとケイデンスがさがってトルク勝負になる。右膝に痛みがあり、ふくらはぎ、ふとももは負荷をあげるたびに拒否反応をみせる。思考は鈍磨する。肉体優位に入れ替わる。汗は延々としたたる。頭のなかはまっしろ。ただ、道があるからペダルを回す。

汗でべとべとの服を洗濯し、風呂に入る。
たぶん、いまのまま、何にもしなくても、何にもしないまま、あたりさわりなく一生を終えることってできるんじゃないかって、楽観的に想像する。それは相当恵まれているとすら思う。
とはいえ、どんな状況でも死ぬのは怖いんだろうなと想像するし、怖いのはいやだなあとおもう。
今一番興味があることが、死ぬまでの過程がどれだけ心理的に平穏であるかだけっていうのも変な話だ。そんな生き方やめちまえばいいのに。