kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

07月17日(日)

暑くなってきたのに、海に行っていない。
濡れるのが嫌いなので、あまり水物のアクティビティはしないのだけれど、たまにやるぶんには非日常感があってよい。
いつか泳ごうと度付きのゴーグルも準備していたし、せっかくなので泳ぎにいく。

自転車の後輪がスローパンクしていたのだけど、いよいよ走行不能である。
グラベルロードでもグラベル側に寄せた設定ではあるが、刻一刻と路面状況は変化する。ダウンヒルでは高速でガレた路面になったり、障害物に遭遇する。降雨後の路面には真新しい尖った礫が転がっている。
ホイール交換してから初めてのチューブ交換。ビードがリムと一体化していて、これビードがちがちのパターン? とおもったけど経年の密着ではがせば楽々系だった。せっかくなので、650B のエアボリュームでインフレータが足りるのか試しておく。結論としては、応急処置には十分。ただし圧がたりない。小型携帯ポンプとインフレータの両方を持っていた方がよさそう。
せっかくなのでホイールも拭いてきれいにする。グラベルを乗っているとどうしても傷はつくが、それはそれでよい。

時間は夕方近く。一般の海水浴客もほとんどいない。波は高い。
素足がにがてなので、砂浜でもマリンシューズスタイル。
久しぶりに水につかったのもあるが、泳げない。波が高いのでなおさら。海辺の波の押し引きが強くて、油断すると沖に流されがち。遠浅だとはいえ、まともに泳げない状態なのでやばさしか感じない。荒れた海辺では、視界ぜろなので度付きのゴーグルに意味もない。
1時間ばかり波に揉まれて終了。シュノーケリングにしておけばよかった。

ただ、海につかっているだけなのに、これ簡単に死ねるっていうのに気づくと、海の楽しみ方がわかる。
へとへとになって家にかえり、ビールを飲む。夏なのに、なにか季節とオレの感覚はズレている。キンキンに冷えたビールだけが夏とオレを緩やかに同期してくれる。

07月16日(土)

毎日まいにち、お茶碗すり切り一杯ほどのお薬を飲んでいると、自分の多少の問題を微調整する薬物的調整とは思えなくなってくる。
お薬がオレの振る舞いを決定する実体のような気がしてくる。
頭の中では理屈はわかっている。ある点での障害によってシステム全体の機能が低下している。だからその障害点を改善してやることで全体は自律的機能を快復していくだろう。

閉じて越境しない自律的システムとしての自己は目的がない。

他者に問いかけられ、働きかけられる自身と、他者に問いかけ、働きかける自身が同時並列に行われる状況が嫌いだった。解決したい問題は解決しようと思案している内に別の状況へと移行する。状況を固定してじっくり考え対処したいと思う。今の問題の背景は〇〇であり、真因は〇〇だと確信できる、だから自分は〇〇という対策アクションを実行する。線分AB上を等速移動する点Pは問題を単純化していると気づいたとき、もう14歳ですらなかった。15歳になると、線分AB上を等速移動する点Pは、どこにも存在しないが、誰かが、自分がそれを点Pと設定してよい、ということに気づく。だから、点Pには興味がなくなった気がする。

だからなんだっていう話だけれど、「線分AB上を等速移動する点P」を否定し続けても疲れるという話かなとおもう。
「線分AB上を等速移動する点P」なんて知らなければよかったと嘆いていてもどうしようもないし。

07月15日(金)

ふりかえってみると、個人的な時間配分はわかりやすかった。一日の三分の一は布団の上にいる。仕事も三分の一。酒を飲んでいる時間も三分の一。どれに金をかけるべきか?
睡眠、休息の質があがればそれ以外の活動の質が上昇する。いわゆる基板となるものであり、これが副次的に効果をもたらすのでここに投資する効果はかなり高いと想像できる。
なぜ仕事をするか、というコンテキストにおいて仕事から得られる価値は語れない。勤労は義務といわれても、じっさいピンとこない。死にたくないから生きている、ぐらいのレベルであってほしいのだけれど。このレベルの議論を放棄すれば、生きるための金銭を得るために労働力を切り売りしているっていう話で良いのかもしれない。生きている時間内の質を上げるために資金が必要になることもある。
酒を飲む時間は実質でいうと一日の三分の一は実現できていないのかもしれない。でも、理想的にはその程度が望ましいと個人的には考えている。

何のために睡眠が必要なのか。何のために仕事に従事する必要があるのか。何のためにお酒を飲む必要があるのか。

世の中には気が狂っていない正常なたくさんの人がいて気が狂っている人を受け入れて共存しようとしてくれている。
ただ、その反転した世界を、たくさんの正常な人にも想像してもらえたらいいなと思った。たぶん、想像してくれている人もいる。

07月13日(水)

前日は深酒をしたために、起き上がれない。
社会性を破綻させていいなら、体調不良でお休みにすればよい。
しかし、個人的な事情としてそのソリューションは早々に破綻しそう。
明日も、明後日も、来年も、再来年も「体調不良」でお休みできる実績づくりになってしまう。一度ついた嘘は二度三度とついてしまうことに抵抗感が薄れる。

這いつくばっても起き上がり仕事をする。
生活を破綻させると知っていながらお酒を飲むって、ダメな人間だからっていう。
二日酔いになってべろんべろんになって、何を得ているのか。

07月12日(火)

寝付きが悪くて睡眠不足。
仕方なく早朝から仕事をする。

布団から起き上がれないときには、寝起き一杯のコーヒーを頭の中で想像する。香りと自分がマゾヒストだと実感できる苦みのある液体。オレのかくプログラムの半分はコーヒーでできている。
誰かの書いた枯れたコードに変更を加えるために、テストコードをかく。依存が多すぎるクラス、ユースケースからは必然性を感じないクラスへの依存。新規にテストコードをかくのは発見に満ちあふれている。コーヒーをがぶのみしているカフェインジャンキーは動くプロダクションコードを書くことに執着して保守性を忘れてしまう。保守性を考慮しないわけじゃない、忘れようとし忘れたいがために集中といういいわけをする。すぐに動くコードができあがったことに発注者は賞賛する。卓越した職人であるから工数が短いという妄想を棄ててほしい。個人的な経験ではあからさまな保守性に欠陥がある。

物事は変化し続ける。変らないものにチャンスはない。設計と呼ばれるものもある瞬間には正しいけど、すぐに正しさは損なわれていく。アップデートし続けることが価値を生み出す根源的土台となる。どんなに潜在的ポテンシャルをもっている企画でも、アップデートしつづけることができなければ、短命に終わる。
アジャイルには観念がない。

仕事には身が入らなかった。粛々とタスクをこなしてはやめに退勤する。
1時間ばかりの SST インドアサイクリング。脳内の思考を殺してキャッシュをクリアする。すべてが過去になる。

風呂に入ってキンキンに冷えたビールを飲む。今日が報われる。
オレは文章を書く練習をして本当にまた何かを書けるようになるだろうか。
エクリチュールの意味もわすれた。シニフィエシニフィアンもよくわからない。
機械的にコアダンプを吐き出すだけで、それはそれとして意味があるようにおもうし、技術についても興味が持てない。

他者や、相対化に疲れて、一旦休むときにそういう地点があるよね、と思っている。
うまくやる方法は何かあるのかもしれないが、それもいいかと受け入れて頑張らないようにする。
お酒がおいしい。