ノベルゲームのキャラクターの記号性がいやでいやで仕方ない。
「記号と象徴の違いってなに?」
と聞かれたら、即答して相手を納得させたい欲望と同じぐらい、ゲームのキャラクターにも記号から解放されてほしいと思う。
ゲームの設定資料集でよく、キャラクターのポーズ一覧があって表情が標本的に並べられていたりする。認知心理学の本じゃあるまいし、そこまで卑屈になることはないと思う。
人の視線の動線が相手の目のあたりをうろつくから、このアイディアを生かしてキャラクターから目をとってしまうといい。
まあ、これをエンターテイメントしながらやるのはアイディア勝負だ。
それと特定するための部位が殺がれた指示記号を、記号として存在させる試みは面白い。目のないキャラクターがいたら、生真面目なユーザはきっと、目がないバグがあるというのだろうと思うのだけれど、それは正しいと認めた上で仕様ですと答えるしかないだろうなぁ。
そういったキャラクターをみて、びっくりする。足場を失う。ただ、目がない、というだけの不自然だけではない違和感を感じるのは当然といえば当然だ。
概念的にいえば、キャラクターは線で書かれている。線は点からできている。点はもちろん空間を占めないし、大きさもない。
では、わたしたちが認識しているキャラクターってなんなんじゃろ? っていう風に考えるのは、思考の順当な流れだと思う。
たとえば、キャラクターの線を、近似多項式で規定したとすると、そのキャラクターの形状は数式であらわせる。
小説を書くときに、キャラクターをAをその近似多項式で常に記述する。
な、なんだ、この電波文章はー!
当然、後半にはいって、近似多項式を描画するんだけど、読み手はまず、その数式が何をいっていたのかわからない状態であり、画面に描画されたグラフ=キャラクターとの関連がわからないようにする。
エンターテイメントするにはもう一歩踏み込んで、解決に導くために、円とか直線とかいう今度は本当に概念的なキャラクターも出すとおもろい。
これ以上やるとあざといだけなんだが、テクスト内で擬人化されていた数式と実際の図像のギャップは利用しない手はない。
目が見えない病人を献身的に看病する女性の童話があったような気がする。
結局、オチはそれか...(´ω`)
まあ、あたしゃそういうわけのわからんアイディアを素描してだれか実現してくる人をまっているのだが、暇になったらそういうのも作るはいいかなぁと思う。
なんていうか、圧倒的な現実を書くんだ!
っていう、幼いころ感じたことをまだやりたいんだと思う。
現実なんてないんだよ...なんて決めてかかるまえに、たとえその結果同じ結論に到達するとしてもまだ遣り残したことがあると思う。