最終日。成果が求められる日だ。旅を堪能して、申し訳程度の去人たち要素が罪悪感を抱く。もうね、この程度のことで罪悪感抱くとかなんだよと思うんだけど、自分ルールって本当に邪魔だ。誰に迷惑かけてるわけでもないのに、思い描いたイメージに付けづけないとイライラし始める。ものづくりでは良いのかもしれないけど、理性にコントロールされない我の部分ってもうね、手に余るんだよ。
などと、ぼやいていても仕方ない。去人たちの振り返りをしていて意識が内向しているんだろうなあ。
日がのぼってくると活動開始。洗濯、掃除、薪割り。氷点下の寒さでもきちんと着込んで少し動けばちょうどいい。風がほとんどなかったことに助けられたかもしれない。
今日は朝からきちんと作業しよう。ひなたぼっこしながら作業開始する。
1時間ほど集中して作業する。雑念が入り込むことが多い環境と自分自身の精神状態が散漫な状態が続いていたので、久しぶりに集中したという感覚が新鮮だった。
少し幸せな気持ちになって、作業の手をとめる。湯を沸かして紅茶を飲む。景色をぼんやりみている。壁を見ながら、象徴的なところにキャンプにきてしまったな、とか、進撃の巨人ってどうなったんだろうなとか自由に連想する。ここ数年、この短く断片的な連想が頻繁になって一貫して深い思考を阻害していた。昔もあったのかな。ただ、集中できただけなのかな。多種多様な情報に触れすぎて、どれも同じぐらいに興味を失ってしまったせいかな。昔は一つのことに強い興味があったからかな。
昔はよかったのかな、本当に?
そんな風にしりとり連想法的にシナプスを活動させていると時間があっという間に過ぎる。
いったん、頭からっぽにしよう。すぐそこに坂があるって本当に良い環境だなあと思う。山道は信号もないし、ペダル回した後はいつもと違う景色がある。
つかの間のサイクリングを楽しんだ後はキャンプ地に戻って作業をする。頭の中の腐ったキャッシュはクリアされている。
どうして、去人たちをつくっているんだろうな、去人たちをつくっていてよかったこと、悪かったこと、どうしてよかったのか、どうして悪かったかを延々と考え、ときにはイマジナリーフレンドと議論しながら。
総括すれば、振り返りでいろいろな洞察は生まれたけど、今回の Reboot Camp では大きな宿題が残った。
どうして、去人たちをつくっているのか。
いやだったり、しんどかったりするんだったら作らなければよい。迷惑をかける? ファンが何千人、何万人いるわけでもなし、もちろん頭を下げないといけないといけないこともあるけど、言ってしまえばその程度のことだ。
どうして、去人たちをつくっているのか。
という問いは、メンバーにもうまく説明できていない気がする。そのときは面白そうだから、とはいえるけど、そこから先を深掘りするのは少し危険な気がしていた。Reboot Camp でこの問題にたどり着くのはどこかで分かっていたのだろうけど、ずっと後回しにしてきたことでもう回避できないところまで来たんだと覚悟するしかった。面白そうだから作っているんだというもっともらしい理由は今は使えない。面白くもないのにまだ作ろうとしているのを認めないと。やめるにしても、方向転換するにしても、自分が何をしようとしているかを知る必要はあるんだろう。こういうときに、イマジナリーフレンドは役に立たない。イマジナリーフレンドは主体を持たないのかも。
これが小説なら、太陽がまぶしいという理由で象徴的な壁を爆破して村を一つ崩壊させたテロリストは幸せなキスをして物語は終わるんだけど、残念! これは終わらない夢なんだよね。
寒さに震えながら焚き火をする。あたりは静まりかえり、虫の音すらしない。薪がしゅうしゅう言いながら炎をあげる。見上げると星空がクリアに広がる。いろんなものとの距離感が曖昧になっている。でも、これならもう少し歩けるかもと思ったりした。