kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

6月6日(土)

浅い眠り。頭の中身は流体金属で満たされている。毛布は少し重い。めくると鎖帷子よろしくじゃらじゃらと鳴る。できたらもう一眠りしたいがこのまま横になっていても気絶はできなさそう。
冷蔵庫にあったヨーグルトを食べてぼんやりする。何もしたくない。何もしなければ日記も書かなくて良いし、何もせずに一日が終わる。そんな毎日がずっと続けばオレはなにも成し遂げず優秀な糞袋として一生を終えるだろう。ハッピーエンドのような気がしないでもないが、一応回避するために考え方の方向性を変えてみよう。何事も実験だ。この部屋から出さえすれば状況は変わる。お弁当でも買ってサイクリングに行こう。

なんとか少しだけワクワクをねつ造する。バックウォッシュでランチをテイクアウトしてバックパックに積み込む。ひゃっはー、ペダルを全力でまわすんだい。海外線沿いの道はこれまでも何度も走ってきたが、海に続くたくさんの小道が毛細血管のように何カ所も伸びている。旅ではどうしても通りすぎてしまうが、その袋小路の先を探索するチャンスだ。小道に入ると道幅は一気に狭くなり勾配はきつく、路面は荒れる。時期的毛虫が枝から糸をたらしてぶらさがっているのでヤツらもやっかいである。たかってくる想像をするだけでゾクゾクする。行ったことのない道は頂上標高がわからない。ペースがわからない。せっかくだ、オレを殴る。短距離を想定したペダル回し。汗が一気に噴き出す。顎から汗がしたたる。息が上がる。うねうねと続くコーナーを超えるたびに峠を期待するが裏切られる。良い。足を止める要求を拒否する。指がしびれる。気管支が異音をあげる。時間を喪失する。峠に到達してあとは海まで下っていく。
防波堤に腰掛けてお弁当を食べる。海は灰色。波打ち際の岩場をあるくとフナムシが密集している。歩くたびに正確に退散していく。フナムシたちによるモーゼの海割り再現である。いつかフナムシをかわいいと思えるようになりたい。いや、やっぱり嘘、まだいい。
他の海岸も見て回る。主要道路に戻る。下った分だけ登る。高さはわかっている。ジャブとワンツーをガードの上から連打で殴りつけられるぐらいの負荷をかけて安全に登る。大通りにでる。汗がとまらない。ジャージも汗でぐっしょり。湿度も高いし日差しもないので一向に乾く気配がない。想定外の汗冷え。引き返し家に帰る。

風呂に入って汗をながすと頭がすっきりしている。非占領地からもどったハイテンションを利用して細々とした作業に手を付ける。特別定額給付の申請書を書く。受け取りたくない人がチェックするとは何のための項目なのか? 申請者だけに支給すればよくないか? 否定形の項目に対するチェックは、ユーザビリティからいってもアンチパターン。受給申請するものにチェックにしてチェックをつけさせたほうがより項目の意図、回答者の意図どちらも明白ではないだろうか。意思のない人に十万円を配ってしまうことより、意思のある人に間違って十万円を配れないほうがまずい。給付金の趣旨としてもそうではないか。おやおや、バカみたいに真面目に反論しようとしているオレが情けない。そんなことよりこの奇妙な項目を提案した人々とそれを承認した人々がいるというのが不気味だ。どういった要件だったのか、それとも目に見えない要件を勝手に感じ取ったものたちによる勘違いの連鎖なのか。奇妙で不気味でおぞましい。

手書きで何かを書くという行為は、この世で生きるのを諦めさせるための十の方法のうちのひとつである。今日は土曜日なので何か娯楽に興じたい。Steam を立ち上げたがいまいち気が重い。ユーロ トラック シミュレーター 2 日本語版 |オンラインコード版 の Project Japan Mod がバージョンアップするとかしたとか。「何もしない」というタスクにちょうどよいゲームではあるのだけど、引越後のハンコン設置もまだだし、設置場所も見つかっていない。とりあえずアップデートがあるゲームを更新しておきゲームは諦める。Amazon Prime ビデオのラインナップが更新された。ホラー映画を見たい。死の触覚を感じたい。死にたくないときちんと感じるチャンスがほしい。あとホラー映画はだいたいリア充が爆発する。楽しみだ。ライト/オフ(吹替版)を鑑賞。九十分スマホをいじらせないのはどんどん難しくなっていっている。展開ははやい。「ライトオン」「ライトオフ」の繰り返しが気持ちいい画。途中、水曜どうでしょう激闘!西表島を思い出して笑ってしまうが、こういった「挿入」はオレの個人的な楽しみ方なのでおすすめはしない。

なんとか時間をつぶせたので夕食を食べる。冷やし中華は正義。
風呂に入って執筆作業をする。このまま日記を書いていて良いのか。内観療法としての日記はあまりうまくいっていない。どうしても自然の摂理にしたがってエントロピーの高い方へ高いへと誘導する。その誘導自体の意味するところを分解しなければ、本来の効果は得られない。体験を外部化し捉えるというのはいかにも真面目な方々が好きそうなアプローチだ。記述主義。行為としての書くということは、書かれたこととは乖離された現象を引き起こす。その現象を固定した情報としてひきだして分析なり記述したいのであれば(それはあまり意味がないが)、書く前と書いたあとのオレの差分を観察すればよい。オレの日記は対象を必要としない。オレも読者の対象ではない。日記は安定し、無意味に、どこかにおいておければよい。

6月5日(金)

五時覚醒、嗚呼、今日はダメな一日になりそうな予感。頑張って二度寝する。八時に身を起こす。脳みそが液体金属みたいにどろどろになって脳内でゆっくりとたゆたう。身体は流体多結晶合金のように流動的で重心がうまくとれない。身体を固定させると、安定した子泣き爺がおぶさってくる。毎度毎度、オレをダメにしようとくるが一体なんの得があってのことだ。山へ芝刈りへ行ったおじいさんのようにゆっくりと起き上がりのそりのそりと台所へ、水を飲む。空は青く灰色。今日は暑くなりそう。
シリアルをたべながら午前のアクティビティは何をしようかと考える。すべてが気が重い。海に飛び込んでそのまま沈んでいようか。オレは貝になりたい。占領下にある部屋からでさえすれば、なんにマシになるのだ。でも身体が重い。馬がいいなあ。

タンブルウィードにいくと先客のおばさまが乗馬をしている。速歩でしゅっとのっている。外からみていると事もなさげ。オレは前回馬上でバランスに四苦八苦していたが、どんだけ見苦しかったのだろうか。見栄や世間体ばかり気にするのは本当にアホみたいだが自分が見苦しいのは許せない。たとえば熊に襲われたら仁王立ちで死ぬことをよしと考えるが、実際は小便をもらしながら逃げまくったあげく背中に傷をおって死ぬはずで、そんな見苦しい姿は誰にも見せたくない。
今回も乗馬オプションをつけてもらう。今日も馬はキモサベ。心配そうにオレ見ている。頼りなくて申し訳ない。ゴルゴ先生が横について姿勢、バランスの取り方の復習、手綱をつかった指示。用語の説明。常歩(なみあし)、速歩(はやあし)、駈歩(かけあし)。速歩を少しだけ体験する。がっこんがっこん、こんなに上下するのか。でも楽しい。この圧倒感、力強さ、素敵、惚れる。馬の揺れに合わせて立つ、座るを繰り返す練習。鐙に力を加えるには重心が足の真上にないと立てない。独り相撲になるともうごちゃごちゃしてうまくいかない。次回の課題とする。
キモサベの顔と首をなでなでしてお礼を言うが、まったく箸に棒にもかからない感じにそっぽを向かれる。なにか、攻略の選択肢を間違ったところがあっただろうか。次回のイベントに期待する。

家にもどってお昼。軽い運動の疲労と倦怠感が相まって布団の磁力が増す。だめだ、シーツを洗濯してお布団使用禁止にする。気が乗らないが執筆作業。
十四時からは復職向けた生活改善のためのサポート役になってくれる笹野マネージャーとのオンラインミーティング。前回、ダークサイドマッキーの疲れっぷりからすると、もろもろが共有されていることはなさそう。復職がなしになった経緯やら設定されたミーティングの目的などを共有する。ミーティング枠だけ設けて、どういう趣旨かわからないミーティングに誰も文句をいわないんだから辛抱強い。現状の共有とともに、会社の開発状況も仕入れる。現状のリアーキテクトを進める「セプトアギンタ」プロジェクトが停滞しているとのこと。人員不足が原因だが代替できるスキルをもつエンジニアがいないらしい。うちの会社は組織を俯瞰できるヤツがだれもいないし、いなくなって初めて気づくようだ。開発は両輪がそろってはじめてうまくというが片輪すらガタガタだ。オレは失望したし失望したと正直に笹野マネージャーに伝えると苦笑いされる。オレは心配性で神経質で心を病んでしまったんだと思う。誰とも見えている世界が違う。ときどき助走を付けてとびだしたくなるのは正しいのかも知れない。

十六時まで一進一退の執筆をする。オレはオレに飽き始めている。オレは使えない、面白みもない。肩が重い。寝るまでの間、オレはオレを楽しませるために何をしたら良いか、思い浮かばない。ただ、身体を起こしていることにも限界がくる。どうでもよくなり布団に横になる。疲労感はあるが眠気はこなかった。豚の丸焼きをつくるみたいに、布団の上でごろりごろりと回転を続ける。一日の時間を短くして早く終わらせる儀式だ。これで一日を二十時間にすることに成功したことがある。一日よ、早く終われ。念じると時間は十八時。日も落ち始めている。目に見えてわかる時間経過、儀式は成功した。オレは一日を仕舞いはじめる。
夕食は冷凍餃子をいただく。最近の冷食は神がかっている。低価格で価格以上の味を提供する。一人分のおかずを自炊しようモノなら食材費も調理時間を含めたコストもトータルで勝ち目はない。補給としての食事は無味乾燥だ。食事は創作に似ていると思う。消費されるだけでいいのか、それを拒否するのか。料理はコスパを度外視した何かがある。冷凍餃子は静的であり構造的で、それを胃に収めるという行為は消費である。いわゆる「手料理」と記号化される料理は動的であり時空間的広がりをともなう、一般化が困難な演芸的な要素を含んでいる。一人暮らしで手料理が得意というのは、なんらかの幻想の中にいなければできないし、それは異常だが間違ってはいない。オレはオレを正常だと思うし、間違っているのと思うのだからオレの考えは論理的に間違っていないと信じている。料理も、創作も、他者を必要とする。もうずいぶんオレは料理にこだわらなくなってしまった。

満腹じゃ、ぽんぽんと腹鼓を打つ。外をみると明るい。月が見える。二十時過ぎ。もう寝ても文句はないだろう。オレは今日一日をうまくやった。パイパーマートにいって半額お惣菜を狙うなら最適な時間だった。ぶらぶら夜の農道を散歩して食糧を買いだめする。異界化した我文町の農道は延々と水田が続き、カエルの鳴き声であたりは静まりかえっている。思い描いた世界の終わりがやっと来たのかも知れないと錯覚する。ペダルをいくら回しても水田はつづきカエルの鳴き声はどんどん大きくなり無限にループする。現実に帰ってこれなくなるよ、と警告される。本当に悩んだけど、Uターンしてオレは来た道を引き返す。ハイパーマートで半額のお惣菜を買い込んで家に戻る。月は満月のように見えた。

6月4日(木)

オレたちはいろいろな世界に住んでいる。オレ的現実世界やネット的現実世界。むかし、ネット的現実世界とテレビ的現実世界は明確に分離していたが最近では境界がほとんどなくなってきた。代表してネット的現実世界と呼ぶことにしている。ネット的現実世界の居心地が悪くなって SNS を見る頻度を減らした。ネット的現実世界との同期を遅延させると起こったことはオレ的現実世界がネット的現実世界にかろうじて抵抗できる程度までに成長したことだ。確固たる超自我の構築に失敗しているオレたち十二歳から十四歳までの子どもたちには、ネット的現実世界に適合できない。正確には過剰適応してしまう。無尽蔵に肥大化した超自我に圧倒され、あらゆる機会を奪われた自己はエネルギーを失って灰色人間を作り出す。SNS をすてて、全裸になり山を切り開いてそこに希望者を募ってみんなが幸せになる国を作ろう。憲法第一条、SNS を捨てよう。同、第二条、国民はみな全裸とする。
復職からの挫折で心はずっしり重い。何不自由ない。空は晴れ晴れと。山は青々と。見える世界は灰色。どこが壊れたのだろう。
今後の計画。平日の午前はアクティビティ、散歩、低山ハイク、サイクリングで知らない道をのんびり回る、なんでもいい身体を動かす。午後は執筆作業。十六時まで活動できたらあとは力をぬいて遊ぶ。ゲームでも動画でもエッチなことでもなんでもしてよい。仕事っぽいことはしない。したければ、明日の十時を楽しみに待つ。
頭で思っていることは簡単だが、本当にしたいのは生きるのを諦めたいのだから、どんだけバカバカしいことだと思っているかは容易に想像がつくだろう。いずれにせよ、この状態のオレは殴らないと治らない。山にいって殴るしかない。まだ我文町にきてルート攻略できていない伊灰山ルートをサイクリングする。ルートの最高標高は四百九十メートル。ゆるゆると十二キロの登り。山頂付近では勾配十五%を超える激坂と悪路。きらきらとまぶしい灰色の世界を進む。山に入り、木々のトンネルを抜ける。激坂は踏む。意地でも。汗が滝のように流れる。殴り続ける。死んでしまえばいいのである。登山道入り口で小一時間の休憩。ひどい世界だなあと思う。お昼時になる。山を下っていく。途中にカフェを見つける。森のカフェ赤窯。入り口がわからないので探して入ってく。自家製の窯でピザが食べられるらしい。ピザを食べるならお酒も飲みたくなる。ウーロン茶で我慢する。カリカリの生地とチーズがカロリーを失った身体に優しく染み渡る。終いにコーヒーも追加注文する。森の中のオープンカフェは天気が良ければ最高である。この景色に色があったらどんなにすばらしいのだろうか。
近くの席では奥様方がずいぶんと下世話な話をしている。中学のお子さんがおられるママ友だろうか。スカートの丈を直さないといけないのだ、今時、中学生の膝が見えたぐらいで興奮するヤツがいるか、アハハハ!との陽気さである。まあ、身を律したロリコン紳士、ロリコン淑女たちの想像力はある意味すごいので見える見えないで語れないのがすごいところだとご認識いただくのがよろしかろうと博識ぶって独りごちる。オレも変態として立派に生きている。森のオープンカフェというシチュエーション的には台無しといいたいところだが、自然を有り難がっているのはこの町でオレぐらいなのだ。よそ者のオレが文句を言う筋合いはない。ママ友のおしゃべりはノンストップでつづく。とある母親がいて中学になる娘が車のクラクションの音を聞くとパニック発作を起こすので耳栓をつけさせている、製薬会社につとめる父が自宅で仕事をすると薬品が影響して発作がおきる、そう訴えて病院を受診していた、という。虐待ではないか、という噂話だった。もちろん軽々に判断できることではないが、もっともシンプルなのはその母親は妄想持ちではないだろうか。もちろん噂話で何がわかるわけでもない。でも仮にそうだとするなら、周囲の人間は虐待だ捉えているのかと思いぞっとする。多くの妄想をもつ人は見た目ではわらかないし、それが妄想だとわかるときはじっと我慢している。健常人とキチガイに明確な境界があると思っているのかも知れない。キチガイの世界は徐々に徐々に現実を浸食して現実を拡張しゆがめていく。オレたちがキチガイでないというのも、それがある指標をつかって分類したときにざっくり多数派というだけだ。でもそれは不都合だから気づかないように生きているし、社会の仕組みもそれを下支えしている。
オレはお代はらい山を下りる。山道には狸がいた。この山には具がいる。でもハクビシンかもしれない。標高百メートルぐらいまで急降下する。蒸し暑い。あんな話、あるのだろうか。オレは狸にバカされたのではないか。本当にあのカフェはあったのだろうか。来週また行ってみよう。

家に帰り執筆作業をし、風呂に入る。共同浴場には湯温計あるのだが、四十度から四十二度の間でゆらゆらしている。ゆるめのお湯でないと入れないオレはいつも四十度をありがたがっているが、今日は四十二度である。やせ我慢してはいるしかない。考えてみれば、こんな状態でオレは地獄にいくのを恐れないのはなぜなのだろうか。死んだらオレはオレでないと高をくくっていると痛い目をみそうだ。

湯上がり後、ぼんやりとしている。座禅を組んでみたがやはり、集中できない。本でも読もう。iPad を水没させて以来なにもよめていない。Kindle を引っ張り出してきて Android で読書環境を再構築する。GoogleDrive + SideBooks を採用する。最新ではない Kindle HD ではもっさりはあるが読書には困らない。

寝るまでまだ時間がある。海まで散歩に行く。夜の海に怖いイメージを持っていたが浜辺は穏やか。夜の海も気分転換の選択肢として今後とも使えそうだ。闇が怖くないというのもさみしい。十二歳のオレは何に何を見ていたかまだ思い出せない。

6月3日(水)

目覚めが一日の底。ここからどう上がっていくか。前日は二十時間睡眠という悪性うつの典型みたいな一日をすごした。お布団のネオジム磁石化とよんでいる凶悪な誘因力でもってオレを布団に縛り付ける。この時間が長く続くと今度はオレが磁化してしまい抜け出せなくなる。人生の終わり。
目覚めとともに磁気が弱まっていることに気づき、転がって緊急脱出する。全身に力が入らず吸い寄せられる。部屋を脱出するのだ。一日ぶりに大浴場にいく。風呂で人にであう。幻のようにみえるが実在する。非占領下。心拍数があがる。

自室に戻る。磁化した身体は布団に吸着しやすい。逃げる。快晴。外出タスクをねつ造する。タンブルウィードに行く。アイスコーヒーを注文して自分も馬になったみたいに顔まねをしながら仲良くなろうと試みる。おかみさんが再び乗馬をすすめてきた。オプション料が高いがなんでも危険に地帯に踏み込んで世界がなくなってしまえば良いのにという病的心理状態、オレは提案を受ける。

乗馬のトレーナーはアイスコーヒーを淹れてくれたおかみさんのご主人で鋭い眼光を持つゴルゴ似。しゅっとしている。無骨、いや、無愛想? 立ち居振る舞いが様になりすぎている。くわえたばこなんて、だらしなさがでるものだが様になりすぎて怖い。人間同士のあいさつはほっておいて、馬とのあいさつ。紹介された「キモサベ」は二十歳でセン馬の超ベテラン。セン馬は去勢されて馬と教えてもらう。道理で悲しい目をしているわけだ。オレはキモサベについ共感を抱く。馬にまたがる。視線が思ったよりも高く、生き物であるからしてどこまで自分の体重をかけていいのか、かけたら申し訳ないという気持ちでいっぱいになる。キモサベはしょうがねえやつだなあと呆れている。キモサベとオレの期待がすりあっていないのだ。ゴルゴはお構いなしである。はじめてなんてこんなものなのだろう。お尻のところでしっかりと乗る。揺れは腰の部分で受けて重心がずれないようにする。足で上半身、手でバランスととらないようする。手綱はほとんど張るような状態、手は身体の中心、あまり広げない、拳一個分あけて置く。鐙はつま先法で踏んでかかとを落とす。馬に身体を任せる。肩の力を抜く。上半身はぐにゃぐにゃにならないように。馬から背筋は直角に。目線は行きたい方向を見る。手綱が伸びてきたら短く持ち直す。
三十分の乗馬体験はあっというまに終わる。キモサベの首を撫でて感謝を述べると、キモサベはしょうがないグズ野郎だぜとそっぽを向く。なんでもかんでも謝っていれば寄り添ってくれるわけじゃない。馬はよく知っているようだ。じゃあ、またな、よろしくおねがいします、先生というと馬もしょうがないなあといういななき。お願いされたら断れないのは助かる。会計しながらおかみさんに感想を聞かれる。良かったと答えるしかないが、実際は謎のような感覚。脳を取り出して分解されて独立した器官をばらばらに動かせるという自己の分解体験と同時にキモサベという圧倒的な他者のもと再統合されようとする気持ちよさ。人馬一体とはどのような状態を指すのだろうか、先が気になる。

一度家に帰って昼食をとり熱っぽい脳を覚ますためにペダルを回す。風呂に入って汗を流す。疲労感。このあとに産業医による復職判定面談だが別に筋肉を使うわけでもなしよいだろう。心理カウンセラーと産業医のオンライン面談。事実状況の確認ばかりなのでイライラしてしまう。事前に書面による回答を我慢してやったものだから、口頭である必要がないじゃないかと思ってしまった。イライラはすぐに顔にでるし、いつも冷静になったあとに後悔する。いかん。要約すると、まだ復職しないことをおすすめするとの意見だった。食木崎先生とは違う判断。なるほど、オレは食木崎先生に転移しているといっていたではないか。所見のドクターの意見は貴重かもしれない。
そのあと、人事部のマッキーと面談。久しぶりにみるマッキーはダークモードになっている。みな、コロナ禍でいろいろ抱えているのだろう。産業医の意見をふまえてどうしましょうかなどと雑談をして、もうちょっと様子みましょうか、ということになる。定期的に面談をいれるなどして復職できるようサポートしてもらう。マッキーはダークなアニメばかりをみてゴールデンウィークを過ごしたとのこと。あそびあそばせぐらいにしといたほうがいいですよ、ちょっとだけフォロー。

適当に冷凍食品を温めて軽い食事をとる。エクリプスのミーティングの準備をしないといけないが腰が重い。安定した生活の基盤となるお仕事が上手くできない状態で、何かを作るなんて気持ちにならない。状況を改善される未来を期待してエクリプスの作業はあがきながら滑空するしかないだろう。体調が優れないことをメンバーにつたえてミーティングを開始する。アイスブレイク。河合さんはコロナ第二波で日本が滅んでしまえばいい、キャハハと愉快そうに笑う。人類が滅びれば地球はもっと良くなるだろう。前向きな考えである。音楽の話になると二人の話題には全くついていけない。行方さんはそもそも音楽関係の商業クリエイターだし、河合さんはサブカル系に泥沼までにはまり込んだ女史である。戸川純筋肉少女帯をおすすめしてくれるからなんとなく安心するがその界隈を網羅した広く深はなしはちんぷんかんぷんである。オタクはすげえなといういうと、自分もオタクじゃないかと指を指されて笑われる。オレのどこにオタク要素があるのだろう? 自身をもって議論できそうなジャンルは何もない。唯一マニアとおもっていた筒井康隆についてもずっぼり記憶がなくなってきている。オタクという称号はなにかと免罪符になるので欲しいところだが、オタクだといけることは何もない。オレは抗弁したがどうしてもオタクだと河合さんがひかないのでむっとしたが引くことにする。オタクを尊いモノとして先入観ではなく実質で判定すべきである。アイスブレイクを終了して本題に入る。
インセプションデッキの最後、オレたちの最強チームとは何かを考える。これができれば短縮版インセプションデッキは完了である。プロダクトオーナー、プロジェクトマネージャーの全体を見渡す役割をそれぞれ一人ずつ、プログラマーチーム、グラフィッカーチーム、コンポーザーチーム、ライターチームの職能チームを各二人ずつとり、属人性の排除とチーム開発としての創発を促す。私たちが創ろうとしているものは、分業化によって低コストで作成できるとりあえずの同人作品を否定している。よし、と思える一方、心がずっしり重い、吐き気のような感覚。そのあとにドラッカー風エクササイズを行い、今回のワークショップは終了する。ゲーム開発のしっかりしたプロジェクト管理、チームビルディングはオレの経験値を高めてくれる。何が気に食わないのかわからない。世界が灰色で感情も動かない。ぶっ壊れている。安ワインをすこし飲むが酔いもしない。薬を飲んで寝る。

6月1日(月)

今日は復職日。復職日だ。でも違う。時計は九時。身体が動かない。なぜかと布団の中で問う。強烈な倦怠感。十分な睡眠時間をとったか? とった。眠気はあるか。あるが、起きられないほどではない。起きたらやる儀式はなにか。顔を洗い、歯を磨き、ひげを剃り、パジャマから着替えて簡単な朝食を摂ること。できるか? できない。なぜか、強烈な倦怠感。なぜそれにあらがえないのか。朝、起きることに価値を見いだせない、あるいは報酬がない。次に目覚めると十一時になっている。すると電話がなる。エアコンの設置について。この部屋にはエアコンがない。夏に向けてエアコンを設置しなければならない。業者からの連絡であった。適当にあしらうと、一瞬この部屋が非占領地になる。戦闘地域、身体がこわばりすっと身体を起こす。朝のルーチンワークをこなす。
復職日であったなら、今頃は Slack の未読メッセージを死ぬほど読んでいる時間だろう。良かったとおもう。くだらない雑談や、そのご決定されたかどういう議論に変化したのかわからないチャットメッセージを保留したまま読む必要がないのだ。いや、オレは復職したらチャットのすべてのメッセージを既読にすべきなのだということを知る。
朝食とも昼食ともいえぬシリアルを食べ、ぼんやりと外を眺める。身体は重く身体的実感はこの部屋にいる限りない。しかしこの部屋の外にでて身を危険にさらすことはできない。地方特有の奇異な目線にさらされて皮膚を焼かれて死ぬわけにはいかない。それでなくともオレは自分の素性をべらべらとしゃべりすぎている。曇り空をみながら、運動しなければと思う。お腹は樽のように膨らんで許容量がだいぶ増えてしまった。ルールに従って単純作業をすれば完了するもの。そうだ、オレはZWIFT用の室内機のチェーンを交換していなかった。今回はお試しでミッシングリンクも買っていていろいろと新しいことがある。チェーンの伸び率をはかれば 1.0 になっており、ZWIFT 時のチェーン鳴りものびによるものであると仮定している。ショップに持ち込んでカスタムしてもらうときに、チェーンも見てくださいといったのだが、目視や感覚でやってくれていたようで交換してくれなかったのである。のびが物理的に測れると知ったのは素人にとっては朗報である。何年も前に買った自転車メンテナンス本をみながらチェーン交換をする。結局ショップでやってもらうことが多かったので人生で二度目。まずは余分なチェーンを切る。とはいっても自信がない。今つかっているチェーンを基準に長さを調整する。そこにKCMCのミッシングリンクを組み込む。チェーンのクリーニングをするときにいつも見失うので、色がちがうリンクがあると助かるし、旅先でトラブったときにも簡単に応急処置できるのは心強い。最初、ディレイラーに通す位置をまちがってガガガガガガと異音がしまくってぎゅああと騒ぎたてる。じーっとみると通す穴が違っていたので修正する。すっと無音状態のペダリングになる。最高。ハイ、ローのディレイラーの調整をちょっとだけする。ここがいつも延々とおわらない。ドリフみたいにハイがちょうどいいとローがうまくいかない。ローがちょうどいいとハイがイマイチになる。いったん妥協して最低限の調整にする。
十四時。逆に時間が過ぎない。復職していれば、今頃誰かとデイリーミーティングしているかもしれない。オレはスリップして置いてけぼりにされている。よくない焦燥感である。オレは「やることリスト」を整理する。もはや MUST のやることリストは残っていない。部屋を掃除していた時期が懐かしい。
チーム・ジャーニーを読もう。休職前に買ったのだが積ん読になっていた。カイゼン・ジャーニーはエクリプスの導入でも使った良書であった。個人ではなくチームに焦点をあてるとどのようになるのか、という点について仕入れたい情報はいくらでもあった。個からチームという視点移動は大きく観点も変わってくる。なぜ、チームで開発しなければらないのかについてはカイゼン・ジャーニーで「自分の経験や思考をよりどころにすると自分自身が限界になる」という明快な回答を得た。自分の世界の精度のみを議論したいのであれば個人で作るべきが、世界の質そのものを議論したいのであればチームで開発する必要があるだろうと考えていた。
気持ちがあがってきたところで儀式的に風呂にはいって焦らす。お風呂で座禅を組んで頭を空っぽにする。まだこなれないので空っぽにするどころか座禅の作法だけで脳内が占領される。一種の集中ではある。今はあまり深くは考えない。
チームとグループの違いとはなにかについては深く考えさせられる。同人ゲームサークルはチームであるべきか? と問いかける動機にすらなにえる。チームプレイかチームワークかという二項対立は同人ゲームにとってかなりタフな問いかけである。前者が職域を越えない官僚的部分最適集団とするなら後者は全体最適を目的とした自由意志を発揮する個人の集団だ。プロセスに従っていれば叱責されないという消極的な理由でただそうしているエンジニアのいかに多いことか。目の前にあるタスクを忙しそうにこなしていくのは、忙しくしていることに意義を見出すアドレナリンジャンキーをとても高揚させるだろうが、プロダクトに対する価値向上にはコミットしてない。
チームの構造のアンチパターンもよく理解できる。オレの会社は「個人商店を経営する烏合の衆」だ。高いスキルをもったエンジニアがやまほどいるのにアウトプットが少ない。負債のせいだというが,オレは言い訳ではないかと思う。何に重みをを置くかが決まっていないので「負債」をすべて倒そうとするのだ。個人的な信念とプロダクトとして理想の峻別ができていない。だから個人商店状態になっている。また高いエンジニアスキルをもっているがために、互いが互いの領域に踏み込まない。ルールを設定できない。vi や emacs の非本質的宗教論争やコードフォーマッタ強制や final 強制までもがルール化されずコミッターのえり好みでプロダクトとしてリリースされる。自由で良い、という解釈でみなは自由にコードを書いているが、オレにはよくわからない。オレたちはコードに意図をもって書くだけでいいのだろうか。それが共有されないならそのコードが「動く」以上になんの意味があるだろうのか?
時間は十七時。やはりチームは嫌いだ。だがチームで何かをやりたい。でないとオレは生きていられない。生きてないよりはマシだ。自分が原因になった何かがオレの世界には必要である。
チェーン交換済みの自転車で ZWIF でペダルを回す。ペダリングでささやくような金属擦過音。スプロケットもほぼ新品、チェーンもほぼ新品。ギアチェンジもカッキーン、という軽快な音。好き。ひたすら登る。登りに登る。240W、心拍 180 、ダメからもしれない。当然さぼっていた。サボっていたせいか、高湿度なせいもあるか、汗は湯水のようにあふれ出す。きつい。手がしびれる。肺が悲鳴を上げる。三十分。ペダルを止める。ヒルクライムのトレーニングを本気で再開しなければ。

二十一時からは、エクリプスチームでオンライン映画鑑賞会。DVDを持ち寄って映画をみようという会である。オレはこの手のディスコミュニケーションが好きだ。視線を直視せず会話ができるからだ。対象を直視しないというはとても助かる。今回のタイトルは『エコール』で行方さんの推薦だ。端的にいえば、強調された幼女の無垢性とそれに呼応するように強調された世界を描いた作品。モノトーンな映像美は少女たちを際立たせるが一方で別の世界の境界線を定義する。後半の展開は世界の終わりとハードボイルドワンダーランド、灰羽連盟を突破してくるので個人的には好感が持てる。暗喩は笑ってしまうが、あれはあれでいい。あれ以外ないというが。

誰かと一緒に映画をみるというのも久しぶりな気がした。何年ぶりだろう。映画を見るはディスコミュニケーションだが誰でも言い訳ではないし、映画のタイトルも大事である。同人オタクでどうかしているラーメン大好き河合さんと基本的には女児の行方さんなので気まずい思いこそしないが、どこまで突っ込んで話して良いかがわからない。ましてや最近はジェンダーがの話がうるさく、意図しないところで怒られるのはこりごりである。河合さんと行方さんがつーかーの間柄よろしくエコールの「際」を雑に話しながら明確化してくれたのでそのラインを限界としてオレは話したがどうもしっくりこない。

なんかエクリプスチームで議論するときにいつも悲しい気持ちになることに気づく。なんだろうと考える。あー、「はーい、二人組つくってー」という体育の時間の先生のかけ声である。もう、慣れたと思ったのにな。