kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

8月6日(木)

前日は乗馬にいったり、エクリプスの打ち合わせがあったりでてんやわんや。キモサベがオレのいうことを聞いてくれない。メリハリのきいた指示を出すことが大事。お腹の蹴り方が下手っぽい。蹴る準備運動で身体のバランスを崩してしまうのでしっかりと蹴れてない。メリハリがないからキモサベのほうは、ハエでもたかったのかな、と素知らぬそぶり。常歩の揺れにきっちり重心を安定させてのれていないのがもしれない。キモサベと呼吸があうと気持ちいいのだけど、今日はあまり呼吸が合わない。しかも熱波。馬場は照り返しがすごい。汗がとまらない。乗馬のあとはキモサベの全身のお手入れ。オレがダウン。動悸と汗がとまらない。ゲロでそう。キモサベが暑かろうと、鞍をはずしてやるとオレがキモサベの横でぜいぜいぜいぜいする。ちょっとだけよくなるとキモサベの全身を洗って汗を流してブラッシングする。はあはあ。
家に帰ってすぐに布団に横なる。エアコンと扇風機で体内にたまった熱を排出する。へんな冷や汗がとまらない。横なってやすんでいると左足のふくらはぎを強烈につる。ぎゃー、びくんびくん。死んだ。
食欲がない、ミネラルを補給しないと。せめて塩を。ごはんとお豆腐。お豆腐におかかをかけてめんつゆたっぷり。しょっぱみ多め。さっぱりしているのでなんとか食べられる。質素なごはんだ。でもうまし。

お風呂にはいってしっかりストレッチする。汗がだらだらでる。あかんあかん、すぐにでて扇風機で涼む。身体がまったく夏モードになっていない。

エクリプスの打ち合わせ。全員が全員、闇属性の生物。行方さん、河合さん、オレ。オレは人間ははじめて闇属性ながら昼を生きている。行方さん、河合さんも暑さで体調が万全とはいかないようだ。アイスブレイクでは、業界内の足の引っ張り合いの話で盛り上がる。自分の考えている正義や大義が怖くなるような話でもある。正義をふりかざすやつにろくなヤツはいない。みんなも正義の話をしよう。企画会議は行方さんの新案で議論が盛り上がる。SFのことはほとんどしらないけど、小松左京を読んでいることもあってSFを読む楽しさは質がちがう。同時代ゲームを読むのと霊長類南へを読んだときの同じ読書でもまったく体験が違うのに似ている。SFにはそのジャンルの楽しさがある。なんらかの生物としての制約を技術によってとりはらわれたときに人はどうなるだろうという、素朴な思考実験でも突き詰めていくとリアルすぎる世界として感じられる。一方で、オレは感情がどこにいったのだろうともおもう。虚構の世界もこの世界も灰色。オレを痛めつけるだけ。オレは気を張っていないと殺されてしまう。何事も興味がもてない、期待を感じられない。せめて性欲がもどってくれば、世界は違って見える気がする。偏向していてもいいから世界に彩りを取り戻したい。精のつく物を食べたいな。
良いなと思う理性が、感覚や悟性と不一致の状態。お酒をのんで誤魔化す。また飲んでしまった。おかげで今日の目覚めも最悪だ。

今日の仕事を開始する。チームビルディングのドキュメンテーションをしたりして午前中は終わり。午後からはRMIチームから浦野さんが別にチームに異動するとのこと。また新しいチームのチームビルディングを任せてもらえることになった。浦野さん、オレ、丹波さんの最小チーム。雑用をみんなで公平にやっていたけど、開発に集中できないので雑用をまとめてやるの新しいチームだ。クリティカルなミッションは上からふられていないので逆に言うと新しいことや挑戦ができるチームでもある。オレはチームビルダーとして浦野さんと面談する。学校で畜産勉強してきた異色の女性エンジニアだが、やはり意欲が異常に高い。わからないことがまだまだあるけど、なんでもやってみようという意気込みがむしろ神がかっている。すばらしいマインドだし素直に尊敬する。雑用みたいなところでもチームで成長するためのタスク、実験としてちょうどいいのも問題ないとのころ。スクラム開発についてはキャリア上ぜひやってみたいので、タスクの事業インパクト関係なくモチベーションは高いとのこと。十二歳とはこうあってほしい。十四歳になってならなければよかった。あとはチームの立ち上げにかかってくる。序盤だけリードして、あとは全員がチームの成長の仕方を考えられるようにしたい。

仕事おわり。外は薄暗い。ポタリングにでかける。夕暮れから夜へ。堺目。暗くなると気分が落ち着く。闇属性。色のない世界。
家に帰り風呂に入る。夜は執筆作業。執筆のモチベーションが下がってきている。時間が足りないなかでこの執筆作業はオレに何をもたらしているのか、という自問自答。おそらく、当初よりも気づきがすくなくなった。オレはふたりっきりであることで困っている事に気づいた。人の目線に触れるか触れないかで自己の認識が変わることに気づいた。オレには不満があっても文句を言う相手もいないし、助けをもとめようとして求める友人は一人も居ない。その制約において、どのように自分を御するかということに注力している。殻をやぶるには制約を突破するしかない。

薬を飲んで寝る。

8月4日(火)

仕事で我慢した日はお酒飲みすぎ問題が多発している。仕事でがんばって疲れたわけではない。ただ、嫌なところをぐっと抑えて、それが組織の一員として正しいとわかっているが、個人的には納得できないことをするときに、オレは適応できないらしい。でも、それは多くの人々が割り切ってできている。なぜオレはできないのだろう。仮説を立てる。オレは一貫した世界を生きている、ということはないか。逆に。いわゆる分人といわれるようなコンテキストスイッチをうまくやることが「社会的適応」と呼ばれているのではないかという仮説だ。仕事を仕事と割り切る、というのは代理パーソナリティやイマジナリーコンパニオンではないだろうか。公私混同しない、といったときに人はどこで「分別」をしているだろう。自意識が強ければ強いほど分別は明確な意識レイヤーで処理される。かりに代理パーソナリティがいるとすれば、スイッチすればあとは無自覚に正しく処理される。オレが仕事を始める前に植木等を憑依させると問題は解決かもしれない。そうそう、無責任艦長タイラー面白かったもんね。

二日酔いではないのでまだ酒量は破綻までいっていない。だがこのまま対策を講じなければ時間の問題。うつ性の倦怠感と飲み過ぎの倦怠感を抱えて仕事を開始する。Slack の未読消化をする。朝早く勤務開始すると新規メッセージがなく、心移りせず自分が判断が必要かどうかを落ち着いて判断しながら消化しやすい。それが終わると、カレンダーを確認して今日のイベントを確認して、今日の仕事のリズムを確認する。スクラムマスターとして担当しているプロジェクトチームのドラッカー風エクササイズの準備をする。スクラムどころかアジャイルの概念が浸透していない組織だ、スプリントプランニングですら紛糾した。HRT原則のためのドラッカー風エクササイズももちろん成功循環モデルを使うために大事だが、直近のプロジェクトタスクのなかでどんどんメンバー間の断絶を生んでいる状況を改善しなければならないのではないかと考える。心理的安全性は大事で急ぎ、現状のタスク進捗におけるコミュニケーションミスは大事で大至急。これをドラッカー風エクササイズ形式ばったエクササイズで公平、比較的に安全に議論したい。自分が何を期待されて、どこまで任されているかをはっきりさせて、メンバー内、POとのコミュニケーションロスを防ぎたい。間違っているとか、不快に思われるのを怖がって何も言えなくって居るチームメンバーに発言をつながして認識の差異に気づいてもらうチャンスにしたい。
オレはアジェンダをつくる。オレはドキュメンテーションが下手だ。どうしても些末なことまで網羅したくなる。本質じゃないけど自分が苦労していること。馬鹿らしいけどこんなことで苦労しているんだとどうしても伝えたいのだろう。メンヘラの悪いところだ。ドキュメントは読みやすさ、不偏さ(=変更の少なさ)は大事な因子だ。詳細な How や一時的な How を怒り狂って書き連ねるのは勇気がない。書かない勇気はそこだ。逆に白紙の頭の新人がきたときに知って欲しいのは WHY でありいまの How に正しい疑問をもってもらうことが大事だし、お叱りをうけてしかるべきだ。ドキュメントで言い訳して時間をかけている場合ではない。「ただし」「現時点では」と書きたくなったら書かない。
アジェンダが書き終わったあと、オレはこのプロジェクトのスクラムマスターのしんどさを感じ始める。リソース的にあいているメンバーが集められたメンバーたち、チームとなる蓋然性はなくたまたまそこに居合わせたエンジニアたち、価値観も行動様式も異なる。可能であれば、エンジニア個人のWHYが近しい人たちが集まっていて欲しいが、変化が激しいこの業界でそんなことをいってはいられない。とはいっても当社全体のミッションやビジョンにある程度は共感する何かがあってほしい。贅沢はいわない、少しで良い。正直、どういおうとエンジニアは生きるために、成長するため、自分のスキルが活かせる少しでも多い報酬を支払ってくれるスポンサーを探しているだけだ。それらはトレードオフで働いてみても良さそう、働いてもらった当社によい成果をもたらしそうというお互いの利害が一致したところで働くだけだ。合わなければ辞めるだけ。でも、この利害関係を考えられる人は少ない。従業員を企業のために活動すると決めてしまえば、その人は活きない。採用するときに活きるポジションを考慮するのが互いが幸せになる方法だ。採用する側が求職者に期待することと、求職者が入社後に望むポジション、キャリアパスのズレが大きければお断りする。その点、うちの会社はまだ試行錯誤だ。技術偏重は不安の証拠だろう。技術さえあればなんとかなるだろう。いや、スタートアップ企業なのだから、出来る人、ではなくて投資できる時期でもある。ポテンシャル採用を重視すべきだ、オレはそう思っている。離職率が高くてもいい、あくまでもビジネスの点で興味を失うという意味で。エンジニアがスケールする体制を構築しビジネスチームがいまのビジネスをスケールしてもらえればいい。
定時で仕事を終える。

仕事終わりで頭が切り替わらない。間違ってスマホで Slack を見てしまう。いけない、と思いすぐにログアウトする。自転車で伊花多ヶ浜に向かう。夕暮れ。まだ空気は熱気と湿度を抱えている。夏本番というところだろう。日暮れからが自転車の楽しみの時間だ。出勤時間をずらすがの良いかもしれない。十七時あたりに退勤して、十八時ぐらいからライドすると気温的にちょうどいいかもしれない。夕闇にライドは本当に癒やされるし。だれかオレの私生活にアジャイルコーチを入れて欲しい。なぜオレが活きているか、活きていて楽しいことは何かのWHYから一緒に問い直したいんだよね。あや、お前はダメだ。お前は扇動家じゃないか。そのてへぺろをやめなさい。海辺は日暮れにもかかわらず海水浴客がまだいる。海の家、海水浴客、潮の匂い……でもなぜかぜんぜん風情を感じない。見ていても心が癒やされない。コロナのはなしとリア充の話が混じるかも知れない、結局オレはそれを自然に受け入れられなかったということらしい。人混みが苦手。

家にかえって風呂に入る。なぜか風呂も今日は先客が多く四人。共同浴場で狭くはないし四人が多すぎるとは思わない。ただいつもが少ない分、窮屈だとは思う。ストレッチで身体をほぐして早々にあがる。

今日は買い物もしなかったので冷凍食品をやっつけておこうとおもう。冷凍庫のスペースを空けたあとに一気に買いだめ。冷凍お肉を大量に焼いて燃やし炒めを作る。中華だしでもやし炒めを作る。お肉は濃厚なエバラソースで煮詰めた状態にしてもやし炒めとからめる。ごはんにも合う濃い味だが、濃い味なのでお酒にもあう。ハイボールなんかは最適である。お酒を飲む。ハイボール
執筆作業をする。日記文学は好きじゃない。「朝のガスパール」がどうもうまく読めなかったという事例もたった一つの偏見ではある。いっぽうで日本が私小説というジャンルがあるぐらいに「私」に対して寛容、受容しやすい文化であると認識している。オレはこの日記が「誰かに読まれる可能性があるもの」と認識するか、この日記は「オレがオレのために書いた日記」として残すべきか? 直ぐには答えられない。恐怖。オレはこれをどのように書いているのだろうか? 世界が滅びれば良い、今にも、と本心でオレが思っているときにそんなことを書けないだろう。誰かに読まれる可能性があるときに、オレはきっとそれを許容しないと思う。とくに「読まれる可能性」などという荒唐無稽な想定をしてしまえば、極端な話、オレ以外の、オレが死んだあとも含むすべての人たちとなってしまう。永遠の未来に責任を持て、といわれるときに、責任をもつための方法は、今この時点においては、という前提をつくることだ。オレたちが日本書紀が書かれた時点においては、とか竹取物語が書かれた時点の文化では、という前置きで考えるのと似ている。オレは何をも書かないべきだと、思う。未来において過去のがこうであったろうという想定は正しく行われる可能性は担保されていない。その上で誤解を恐れずに書くというのはリスクが高すぎる。
リスク? それはあなたが死んだあとのことの話?
そう。だがその一方でその「仮の思考段階」に捕らわれたくない。フロイドが「夢の理論」についてそういったように。
わからない。おれはあやを睨む。パフォーマンスとして。あやは笑う。パフォーマンスとして。OK、状況は大局的に理解されたとオレは認識した。

明日は会社を休もう。疲れた。仕事を終わって、自己と仕事を関連させて日記を書いたのだ。明日は体調不良でお休みも仕方ないだろう。むしろ労働として対価を払って欲しいぐらいだ(うそ)。

薬をのんでねる。

8月3日(月)

目が開かない。昨日も早めに寝ようとして結局お酒を飲んでしまった。お酒を飲むとやっと解放された気がしてうれしくなる。結果どんどん飲み過ぎてしまう。今日はやるべきタスクもある、ネガティブだが会社身体の後押し駆動で起き上がる。
少しだけルーチンワークをする。お皿を洗って、ベッドのお手入れ。数分の作業なのにやっぱりやってよかったとおもう。自分が何かを完了させた、という事実は思いのほか今日一日を生きる勇気になる。

仕事を始める。身体が重い。疲労ではないうつ性の倦怠感だ。疲労とうつ性の倦怠感の違いは、重力をどう感じるかの違いだ。皮膚の表面近くが重くなったように感じ、かつ物理的に重心がかかっている部分を中心に倦怠感を感じるのが意思で自由に対象部位を動かすことができるのが疲労性、首、型、胸部前面の圧迫感をともない意思で動かすことに強い抵抗があるのがうつ性の倦怠感である。今日のは完全に後者である。笹野マネージャーは基本的にはやったことを見える化するメンバーを評価する。だからオレはチケットににしたり、チャットにいろいろとやっていることを書き込むようにしている。くだらないこともチャットに書き込む。マネージャー向けというよりも自分がナニを考えているかを表明するためだ。オレの人となりをしっておいてもらえれば、初見のひとでも話しかけてくれるかもしれないし、初顔合わせのミーティングでも話しやすくなっているかもしれない。それにオレが一人で開発しているのではないと確信したい。それでオレは在宅になってからハードワークが過ぎるようになっている。見られていないからきちんとアウトプットしなければという亡霊に取り憑かれてしまった。その亡霊はオレを呪い殺そうとしている。オレは勤務時間に合理的な休憩を取ろうとしても、その休憩にストレスを感じている。死にたい。
午後は、バックログリファインメントのお時間。初心者スクラムチームのスクラムマスターとして支援する。事前になぜ、スクラムなのか、スクラムとはなんなのか、について説明した。あるいはそれがわからなくても実際にやってみて困って欲しいというスタンスである。沓掛さんは全員でこんなことをして何か意味がありますか、というスタンスできつい発言をする。技術やプロジェクトのすすめ方に対してイメージができているのだろう。質問の仕方があまりいけていない。自分が思っていることを明らかにせず、「それって意味があります?」という質問の仕方をするので相手はぎょっとしていまう。対話がに発展しない。「そもそもそれ意味があります?」は観点としてはよいが議論ではなく押しつけになってしまう。本人が意図するしないにせよ、それが質問を投げかけた相手を軽視するように聞こえてしまう語調も沓掛さんは損をしている。それをきちんと教えてあげた方が良い。エンジニアスキルは高い方なのだ、いまのままだとエンジニアスキルの高いがただただ人柄が良くない人と勘違いされてしまう。それはお互いに損だ。笹野マネージャーに1on1で何を話しているのか聞いてみよう。
結果、大人のオレはニコニコしながら内心カッカしている。スクラムをやりたくない人にスクラムを説明することに無力を感じる。オレがサイクリングがどれだけ楽しいものかをそのコンセプトから教えて、それに対象がなびかなかったら、次にわからなくてもいいから一回乗ってみようという。サドルの調整や空気圧の調整、シフトチェンジの説明をしているときに、自動車でよくないです?といわれたら、そうだね、というだろう。そこをこえて自転車の魅力を伝える必要があるだろうか。だって相手は代替案を見つけていてそちらにモチベーションがあるのだ。そちらでなにか困ったことや、そこで達成できない要求があるときにはじめて自転車が想像できるようになる。それでいい。ただ開発リーダーが沓掛さんだったていうことだけだ。スクラムではなく軍事的リーダーシップでよかったのだ。笹野マネージャーがその権限を渡すのをちょっと躊躇ったのが問題である。マネージャーの難しいところである。状況につっこまなければその人の人となりはわからない。わかったときには状況の真っ只中でいまさら変更もできない。
オレはミーティングが終わると現実の逃避のため小さなリファクタリングをやる。幸い、いろんなエンジニアが助けてくれる。結果うまくリファクタリングできた。モブワークはできなかったが、チャットによる非同期コミュニケーションで良い感じにタスクが完了できたのはコミュニケーションチャンネルのうまい使い分けになった。個人的には仕事で今日1つ良いことが達成できたのは助かる。
仕事の最後はスクラムマスターに就任しましたよという、プロダクトオーナーとプロジェクトマネージャーへの顔合わせ。顔合わせのはずが、全員が困っていますよ、ということを聞けた。これはオレの人徳だろう。みんな困っていると表明してくれたのだ、これはスクラムマスターの腕のみせどころである。困っていることを共有する場がないことと、各ロールが何を期待しているかわかっていないということだ。みんなが個人のコミュニケーション能力が高すぎるために、フォーマルな組織コミュニケーションができいのだ。リア充どもがあつまるからそうなるのだ。リア充が同種を嗅ぎ分ける能力やそのコンテキストを共有できない人間を人数にいれないのににている。高いスキルをもった個人エンジニアがプロダクトオーナーやプロジェクトマネージャーと対話してプロダクトを作り上げる。超速でプロダクトは完成しリリースできる。でも作ったエンジニアが去ると誰も保守、運用がままならない。リリースするまで全員がハッピーな開発であった。でもプロダクトの寿命は続く。
吐きそう。退勤する。

自転車に乗る。オレはだれにも自転車の素晴らしさを語りたくない。もう語りたくない。オレが好きなのだ。自転車ぐらいそうさせてほしい。オレは短パンTシャツのラフなかっこうのまま自転車に乗る。これぞポタリングのよいところだ。ピチピチした服なんて着る必要はないのだ。風が気持ちいい。ペダルが軽い。のんびりのんびりペダルを回す。仕事を忘れる。忘れられないけど。夕陽が綺麗。ミンミンゼミが少し鳴き、ひぐらしもすこし鳴く。蝉は生存戦略として鳴く時間をずらしているらしい。他の蝉が鳴いていない時間に鳴くことでメスにその声を聞いてほしいのだろう。世界に奥行きはないが、紙芝居のように背景が移動する。それは楽しい。山を越えるときだけ奥行きが生まれる。きっと左右に木々がたちならび立体感を感じられるからだろう。

家にかえると、風呂にはいる。お酒をのみながら執筆作業をする。この執筆作業はもう形骸化してしまった。変化はないのだろう。もうやめてしまってもいいのではないかと思う。習慣ということもできるが、惰性だろう。一ヶ月後、オレが自死するのならそういう物語として読むこともできるだろうが、オレは自死つもりもない。オチもないし、読む楽しさもない。日記ってなんでつけるのだろうか?

眠剤を飲んで寝る。

8月2日(日)

今日はタンブルウィードに行くんだ。覚悟をきめて予約した。七時に目が覚める。十時間ほど睡眠をとった。それでも布団から起き上がれない。はあ、今日も生きる動機がない世界が出てしまったようだ。天気は良く鳥の声が響き渡っている。空気の湿度もいくらか低くなった気がする。LINE でキャンセルの連絡さえいれればこのまま布団に寝転がっていればいい。目を閉じる。まどろむ。寝ていたときの夢を思い出す。オレは夢のなかで恋活をしている。マッチングアプリか街コンかわからないけど、なんか結果的には一人を選べる状態のオレ。十四歳末期になって人生二度目のモテ期がきたと。しかし、どうも脳内が怒張した陰茎に支配されているらしく、付き合うということではなくて、きゃっきゃうふふしたいだけらしい。うまくことを運ぶことができれば夢精できるチャンスである、オレはしっかり考えて好みの子にアプローチする。しかし相手は蔑んだ目を向けて去って行ってしまう。オレは戸惑いながら追いかける。見失ってメッセージを沢山おくっていまどこにいるのかを聞く。周りは田園で、なんの音もしない。誰もいない。オレ以外のなにもかも作り物のセットのようになっている。
二度寝しそうになって目を開ける。十五分しか経っていない。十四歳末期のモテ期は幻想だったし勃起も夢想にしかすぎなかった。情けない……ちがう、そういうことじゃない、よくわからない脱力感。このままだと今日も終わる。でも終わらせたらオレは死んでしまう。布団から這い出す。風呂に入る。半分ねぼけながら身体を洗い、ぬるめの風呂に長く浸かる。世界の遠近感がもどってくる。のっぺりとした世界に奥行きができる。風呂から上がって出かける準備をする。冷凍おにぎりを温めて食べる。

タンブルウィードにいくと日曜日なので乗馬のお客さんが沢山きている。女将さんとゴルゴ先生がにあいさつをする。キモサベのうらほりとブラッシングして準備をする。キモサベの前世は魔法少女だと思っている。光を吸い込む深い瞳でじっとみて、話を聞いている。ほとんどのことには動じないが、イライラが最大に達すると呪術をかけてくる。まずはキモサベと天気の話をする。梅雨明けたけどこれから暑くなるし人間の相手するのも大変よね。せやね。あらー、梅雨がおわってたてがみもまとまるようになった、かわいいじゃん。せやろか、それならよかったわ。みたいな。セン馬のキモサベちゃんかわいいよ。レッスンはゴルゴ先生がとマンツーマンになる。軽速歩の所作がメイン。キモサベは朝一のお寝坊さんキャラなので、最初はのんびりのんびり。ゴルゴ先生が喝をいれるがそれでものんびり。 どんどん蹴って合図してあげてください、というゴルゴ先生の指示がくるが、オレはキモサベの呪詛が怖くてそろりそろりと蹴る。するとゴルゴ先生は、馬に分かるようにしっかり合図してあげてという。キモサベは人の心を読んでいる気がします。常歩の調子がでてくると軽速歩。鐙、つま先、かかと、太もも、ふくらはぎ、腰、手。すべてに意識をして統合する。さらには馬の足並みに合わせて立ちと座るタイミングを合わせる。これを大雑把にいうと馬と呼吸を合わせて、となる。自意識の世界を生きるバラバラの身体器官をもったオレと、現実を生きるキモサベのシンクロという人間離れした業である。でもそんなことができたらセックスぐらい気持ちいいだろうなと思う。女装した魔法少女とそんな気持ちいいことしたらこっちの世界に帰ってこれない可能性が非常に高い。はぁはぁ。馬上で立つ、ということでも手こずっていたが、これに余裕が出てくる。次に相手、キモサベのことを考えられるようになる。キモサベが楽しく走れるようにすることを考えると呼吸を感じられるようになる。呼吸に合わせようとすると不自然になる。身体に力がはいる。合わせに行ってしまうと、身体に力が入ってしまうし、直線とコーナーの足並みのズレに対応できない。考えるのではなく感じる。レッスンの時間は直ぐに終わる。ゴルゴ先生が良い感じですよ、という評価。一人相撲から相手のことがほんのちょっとだけわかった。うれしい。レッスンが終わるとキモサベのお手入れ。オレと入れ替えでお姉様方が三頭で乗馬のレッスン。お姉様方がムチをもって騎乗すると様になる。家畜人ヤプーをみているみたい。あのムチでオレも叩いてほしいなあ。ぼうっと馬場をみているとゴルゴ先生から指示がでる。キモサベの鞍はずしてあげて。オレは慌てて鞍をはずす。キモサベは不機嫌そうである。やばいやばい。呪詛かけられちゃう。鞍をつけていると馬があつくて汗をかくし疲れてしまう。いそいで外してあげる。いやー、ごめんごめん。全身を水洗いする。キモサベはデリケートゾーンも洗ってもらうのが好き。お尻の穴を洗うときに尻尾をあげるのかわいい。女将さんいわく、他の子は嫌がることもあるので様子を見ながらやってね、とのこと。全身を洗ったあとタオルで拭いてあげる。そのあとに脚を洗う。うらほり。球節の奥まで手でガシガシ洗う。顔も拭いてあげる。最後にブラッシングして毛並みを整える。完璧。自転車を洗車したあとの気持ちよさに似ている。すっきり。そのあとは厩舎にキモサベをしまっちゃう。キモサベに次もまた頼むよというと鼻面を寄せてくるのかわいい。厩舎からでてくると先生が馬術を楽しんでいる。ゴルゴ先生が笑っているっだと。真面目でとっつきにくい先生だけどすごく馬上ではすごく楽しそう。馬もいままでに見たことのない動きをしている。まるでダンスを踊っているみたいである。あんなん楽しいにきまってるじゃん。馬も操られていることを心地よく思っているみたいにリラックスした表情、筋肉が躍動している。いいなあ。次回の予約をする。体調わるいのでっていうと女将さんにいうと心配そうにしてくれる。最後は断薬して完治ってことですよね、といわれるのでそうですね、と返す。女将さんもお薬を飲んでいるらしい。そうなんだと思う。とても明るい人なので意外だが、オレも会社では明るいとかユーモアあるとかいわれるものな、そりゃ、見た目じゃわからない。女将さんが癲狂院じゃダメなんじゃない、とのこと。内科的な評判は地元では悪いのかもしれない……。それでなくてもいまちょっと不安感でてるんだよな。すくなくとも精神科としては、個人的にはフィットしているのでよしとしよう。

家にかえるとカップラーメンを食べる。ここで一息ついて引きこもると運動が足りない。サイクリングにでかけたい。サイクリングは伊花多ヶ浜を目的に定めてあとは適当にぶらつこう。日射しはつよいが湿度が低いのと風が吹いているのでちょうどいい。日光浴には最高である。うつ退散。伊花多ヶ浜はかなりの人出になっている。個人的には経済を回してみるというトライはかまわない。えぐい話、人のライフサイクルよりも人が集団となって運営する企業のライフサイクルのほうが長く、かつ起業から成熟した企業までの成長に多くの時間がかかるからだ。それらは正しさはなく、バランスでしかない。そのために正しい観測、計測、統計と計画、意思決定が必要。誰かの恣意的な判断でこれ以上は死んでも良いとかダメとかではダメだ。そのうえで、これ以上の死亡率を許容するというのが責任だ。

家に帰って風呂にはいる。早めに夕食をとり、執筆作業をする。明日は仕事。

薬を飲んで寝る。

7月31日(金)

アラーム止める。身体の鉛化がはじまっている。これは疲労ではなくてうつ性のけだるさである。ずりずりとベッドから這い出す。出てしまえば起きられる。一度膝立ちになってため息をつく。あやが手を差し伸べてくれる。手を取って立ち上がる。でもよくよく考えると気持ち悪い。すぐにさっと手を離す。朝の儀式をすべてやる気力はない。いいぞ、良い感じに悪化してる。良いパターンが崩れてきたら対処が必要だ。ベランダにでて身体を垂直に据え置く。ぼーっとする。蝉の声がする。夏っぽい。夏っぽいと思うとほんのりと十歳のころを思い出す。臭い。草の臭い。雨の降ったアスファルト臭い。カブトムシとスイカの臭い。へんな感じ。たぶん、死にたい。

仕事を開始する。しょうもないドキュメント作業。死にたい。なぜオレがこれをしているのだろうか。はっ、しまったオレは仕事の意義を考えて疲弊して失敗しているじゃないか。仕事はお金の為だ。プロダクトオーナーが主催するユーザーストーリーマッピングのミーティングにファシリテートの支援として参加する。沓掛さんが沢尻エリカっぽい発言ぱっかり。拗ねるのはよしなさいよ拗ねるのは、大人なんだから。「『別に』っていうことは理解できないところはないって意味と認識よいですか」と質問するがオレもイライラしてもはや攻撃的になっていた。オレにこんな馬鹿げた質問をさせないでくれ。口論になり、メンバーが間にはいってくれる。しっかりしたスキルももっていて、自分の中では思っていることがある。それと違うと話には否定的な態度だけとって議論に参加しないのはずるい。オレはそこまで支援しにゃならんのか……そのレベルの支援は想定しないんだ。
午後はSpotify大規模アジャイル開発手法について個人的な情報収集をする。面白い取り組みであるが、アジャイルが人間的課題を克服しつつある状態が前提となる、ということを忘れているとその論理的整合性にとらわれていかにも失敗しそうでもある。アジャイルで価値が最大化できてない、という本質的なレベルな問題にフォーカスして議論できていることがかなりの高難易度だ。人はコンピューターのように動かない。アジャイルはその困難さに立ち向かうところから始まる。すくなくともオレの組織では適用できるような組織モデルではない。将来的な目標に据えるのは良いが、死ぬほどステップを踏まないといけない。そのステップを踏んでくれるエンジニアがいるのか、ゴールに到達するまえに辞めちゃいそうな人ばっかりだけどなあ。やらないともっとすぐ辞めるかもしれないから、なんにせよ、やったらいいのか。そうかそうか。価値を届けたいだけなのに、なんだよこの迂遠さは。

疲れがピーク。早めに退勤する。肉体的な疲れはほとんどないはずだ。女縄市までサイクリング。山を越えて海へ。サボっているし、あまり食欲もないのもあって、エネルギー不足を感じる。へとへと、汗だく。防潮堤の上で大の字になって休む。海辺には海水浴を楽しむ外国人家族がはしゃいでいる。ほんとうに楽しそう。英語でなにをいっているかはわからないけど、ちょーエキサイティングみたいな感じ。海と空をながめているとその声もいいものに感じる。リア充ばくはつしろとも思わない。海は人の心に余裕を与えてくるかもしれない。ただ自転車でヘトヘトになっているだけかもしれない。けだるさは残っている、でもなにか厄のようなものが祓われた感じがする。海で夕陽をながめる。釣り人が大物かかったっぽいのをじーっとみながら、アイコンタクトかわす。いける、いけるよ! 結局ばらしてしまって、オレもがっかりする。釣り人もしゃかりきじゃない。のんびりとまた釣り糸をたらす。いいなあ。

家に帰る。汗だく。風呂にはいって汗を流す。すっかり日が暮れる。食欲がない。頭の中でメニューをならべてなにか食べたいものがないか検索する。ラーメンを想像すると食指が動く。汗をかいたからだろう。濃い濃い味のラーメンがたべたい。インスタントラーメンに冷凍ブロッコリーをがんがんつっこむ。湯量をすくなくして濃い味で楽しむ。冷凍ブロッコリーは優秀な冷凍食材だ。ラーメンにもあう。
食後、ナニもするきがしない。執筆もしたくない。したくない。でもスティーブン・キングがいっていただろう、毎日十五分はペンをとれ、たとえ書けなくても。習慣というのは継続的な動力源として必要不可欠。よく分かっている。分かっている。でも、今日は無理。でも、執筆作業をする。

肩甲骨ががちがち。薬を飲んで寝る。