kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

意味させようとする意志

よく反省しその失策の意味を吟味しなければならない。



わたしは今日失敗をした。意味させようとする意志によるものだ。
それを解体することができずに憤怒していたわたしは、結局破壊行為にでた。
なんとおぞましい行為だろう。


わたし程不完全な確信犯はいない違いない。
なんと不誠実な行為だろう。


わたしが占める領域は、わたしが占めようと欲した領域ではない。
でもわたしは、そう欲した領域から何かを言わんとした。
ああ、なんと情けない行為だろう。



わたしが欲するべきもののはずのものなのに、それは不作為に誰かの欲するもの、誰かが欲するべきものにすりかえれた。
いや!!!
違う、それはわたし欲すべでないものを私が欲した!!
嗚呼、なんという一歩前進二歩後退!
この不誠実になんと、わたしはわたしに抗弁するつもりか。なんといって正当化しようというのか。正当化! 不正を正当にみせる擬態!!
擬死!!
だから、擬死は死ぬより前によりもっとも以前に嫌悪をもたらす死だ。


よし! さればもう零度!
わたしは零か? なるほど、それは否定するのは力のみではできない。
永遠に零度繰り返すその、快/不快な擬死ナラティブは快/不快の中で(ここでそれを超克するのは、“人間的に”不誠実だ)わたしの決定的(そして致命的)選択によって“意味”されるようになっている。
それをも放棄せよ。放棄せよ。
どうだ、矛盾だ。選択は順延だ。永遠に順延だ。度し難い順延だ。さらば、それをももう零度!