kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

05月28日(金)

 目を覚ます。午前五時。畳の上で寝ている。悪くない、オレは酒を飲んで泥酔し気持ちよく寝ていた。そこがどこかは関係ない。窓の外は白み始めている。もう夏だ。夏は好きだ。
 オレは布団に入り寝入る。仕事開始まであと三時間寝るのだ。

 九時三十分。目が醒める。仕事の時間だ。仕事とはなにか? わからない。仕事のために仕事をするのじゃない。オレの自己実現の手段として仕事をするのだ。わははは。うそうそ。オレの自己実現の手段として仕事をするだって? そんなこといってるのやつヤバいにきまってんじゃん。いや、まあオレだけどさ。そんなにさあ、斜に構えることないんだよ。仕事は生きるためお賃金のためにやっているんだろう? それを無視して自己実現とか笑える。

 仕事を終える。仕事はゴミ屑じゃない。仕事は価値がある。仕事はオレの労働力を投下することによってその価値よりも上回る価値を生み出す。やったー。オレはこれで安心して死ねる。
 そう思って病院に行く。

 いつもの診察である。雑談とクスリ。別に雑談が診療じゃないといっているわけじゃない。雑談というコンテクストのなかで脚色されないオレの生活環境イベントを引き出してくれる。睡眠、食生活、運動、飲酒。良いか悪いか、先生には及第点の回答をする。虚偽はいっていない。ニュアンスが正しいか、といわれれば、微妙と答える。
 そんな緊張感のある会話の中で強く感じることがある。いま、知られようとしていることだ。先生に意図があるかないかは分からない。ただ話を引き出そうというニュートラルな立場がうかがえる。宗教勧誘のプロが、汎化された人間課題を投げかけて、あなたもそうでしょう? でも神はこういうこともいっているんでしょ? などという安直な誘導はしない。他人は怖い、けど、話してみない? という提案程度のゆるい問いかけをする。
 オレには医者でもないし、正しい問診のことはわらかない。ただなんとなく、日常会話の中からクライアントの症状をおもんぱかることもできるんだろうとしかいない。希死念慮はだいぶなくなってきた。意欲はほとんどなく低空飛行。たまに、自身にとってはきっかけが思いつかない強い不安訪れる。これ頻度がふえてきた。この場合は、皿を壁や、床にたたきつけた割ったり、汚い言葉を叫んで喉をからす。「クソッタレー、しねーしねー!! くたばれ、ファッキュー!!」がオレの好きな暴言だ。

診察の最後に先生は言う。「以前に比べたらダイブ良くなったようで良かったですね。まだ苦しいでしょうが、ぜひ、維持しましょう」
オレがキチガイになって本気で治療が必要だと思って欲しかったが、残念。病気ですらなく、ただの非モテを拗らせたおっさんに対するまともなアドバイスしかしてくれない。小中高と、そこそこの彼女がいて付き合ったり別れたりしながら18才には結婚し、20才台には子どももいる可能性がある。ばかやろう、子どもなんてなんの役にたつんだ。肉団子にしてしまえ!

オレは女性の制服に取り憑かれてしまった。それを固着という言葉を使う人もいる。残念、固着ではない。ただの復讐だ。学生ものをロリータというジャンルに括るがこれもちょっと違うのではないかと思う。失われた時をもとめて@高校生(90年代)こそがファンタスティックな世界なのだ。

いや、まて。年上に先生にそれをいってもつたわらない。要約して伝える。
「この世界には生きる価値がないように思える。もちろん、主観的に。だから、諦めてだから死のうとも思える。一方でそうじゃなくなる未来に希望を感じる。だから死にたくない」
「どういった希望なの?」
「なんとなく、オレが生きやすい世界です」
「でも、あなたの生きやすい世界はこない。生きてる間は、とくに。といったら?」
「それは仮定ですよね?」
「ええ、仮定。でも確信があるわ」
「なぜ?」
「これは、正解がある話じゃない。私がそう思った、という事実と、あなたがそう思ったという事実のバックグラウンドとその論理性で評価して優劣をきめるかい? それも時にはいんだけど、これはあたしの直感の話し。だから一旦その考えから解放されるべきなの」
「ちょっと考えてみます」
 おれは診察室をでた。

 自転車で自宅に帰る。夜になると外気温が下がる。ウィンドブレーカーを着て帰る。でもペダルを漕いでいる間、主治医の言った言葉がずっとこころに引っかかっている。死ねば良いと見捨てられたこと、しかしオレの人生にはそれをするほどの魅力がないこと。選択肢は削られ、オレがなすべきこととはなんだろうか。開発メンバーの顔が浮かぶ、親戚の顔も浮かぶ、去人たちのオリジナルメンバーの顔も浮かぶ。オレは誰に報いればいいのかと考えてしまう。報いる? 違う、これはちがう。本当に、オレこそが去人たちのことを知っていないと行けない。監督でありディレクターでなければならない。一番やりたくなかったしごとだ。@lice がやるべきだ、でも @lice はオレが暴言を吐いた以降、一度も口も連絡もとっていない。@lice に笑われるようなものを創ってはならない。あいつに笑われたら世界の終わりだ。オカルティックビブリオマニアのお手並み拝見だ。

 画面のテーマが大事だ。正当性を維持するのか、テーマを強調するのか。ここにおいては「テーマを強調」を選ばねばならない。既にできているモノを移植するわけだから。それに、以前のリリースについてオレは全面的にアグリーであった。適材適所でいいことができたとおもっている。そりゃ、プロからしたらもっちいのがあるんだろうが、そんなのは関係ない。


できたきたものをみて「完璧すぎる、リテイク」とはいえない。はやり、それは完璧なのだから。感情移入的まがった費用である。作品には「コンテクスト」が必ずある。ある場所Aで出したい絵画は「正しさ」ではなく、物語のコンテキストとその顛末の中にしかない。それを良い取って描いた絵が認められるのかどうか、というギャンブル的な話である。
「で、ギャンブルに身を任せて、いまもたくさん稼いでいることだろうな」
「あんたバカね。でも、気が向いたら連絡先を教えてあげる。


木が遠くなる。ココは自室。オレは酒を飲んでいて、理性の半分以上は優に失われて言う。
さような。眠剤をかっこみ、酒を干す。さようなら。今日。