kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

お酒の話

拾肆歳がお酒の話を書くのは恐縮だが、それはまあ、「そういうこと」という前提でお願いします。
そもそも、拾弐歳の頃にあじもへったくりもなく飲み過ぎたのがいくらか災いしているのは確実なのだが、いま現在お酒に相当弱くなったといえる。

若いときのこと、それにたいした意味があるわけでもないのに、そこそこ飲めることを鼻にかけて、「えー、ぜんぜん酔ってないよ」などと調子にのっていたのがいけないのである。そのころから、「はあ、今日は飲んだしこのぐらいにしておこう」などとしおらしくしていればよかったのである。
当時の酒量からすると、いま現在一晩に摂取できる酒量は半分程度になっている気がする。

拾弐歳から拾肆歳になりたてのころだったとおもうが、ヤマシタさんに「弱くなりましたね、悲しいです」といわれたときに、ああ、弱くなったなあと思い、自分自身でも悲しくなった覚えがある。とはいえ、精一杯飲んだあとのこと、体調があれだったと思い込もうとしたが、今思えば否認しようがない酒量的な老いがそこにあったのだとおもう。

世の中にはアルコール文学ともいえるようなジャンルが確かにあるし、別にそういうものがあってもいいと思う。去人たちの中にもその遺伝子は十分にある。吾妻ひでおの作品に強い感銘を受けるあたり、アルコール感受性が敏感といっていいだろうとおもう。

お酒は依存性が有り、飲み過ぎると身体によくないものだから、節度をもってのみましょうというのは一般的にはそうだろうとおもうが、個人的にはそんなの関係ないと思っていたわけだが、結局代価は支払う必要がでてきたわけだ。それでも必要な代価だと思うし、アル中をおそれることなく飲み続けることが必要だ。
アル中なんてものは実際はほとんどの人がそれか、予備軍なのだなどと脅しにかかってきているが、恐れてはいけない。ただの心理トリックである。炭水化物抜きダイエットをしてみたまえ。白米を・・・白米を欲してのたうち回ることになるだろう。白米には依存性があってそれを食べないと怒りっぽくなあり周りに八つ当たりしたりすることになる。
自分の命を削って有意義にお酒を飲もうじゃありませんか。

お酒は二十歳になってから。