去人たちを作れなくなったうつ病プログラマーの地方生活日記

創作に絶望すると、世界が反転した日記

9月17日(木)

現実逃避で深酒をしてあまり眠れていない。最近、正体をなくすまで飲まないとつらくて寝られない。アル中は世間様に迷惑をかけるので避けたいところだ。ふとんの上で上半身を起こす。同時に強烈な疎外感が襲う。この完璧な部屋のなかでオレは完璧に守られていた。疎外感を覚えたということは、オレが繋がろうとしているということでもある。繋がれば厄介なことになるし、嫌なことにあう。碇シンジくんをみてみたまえ、ひきこもってさえいれば良かったのにあれほど厄介なことに巻き込まれ自己嫌悪に打ちのめされている。誰がどう見ても得たものより失ったものが多い。オレはオレのウツを誰かと共感したいのだろうか? 共感なのだろうか? 結局だれも、オレをのことなど見向きもしない。助けを求めても誰も寄り添ってくれない。矛盾している、この自己陶酔感の素晴らしさを伝えたい。でもそれはオレを誰も見向きをしないからこそ生まれる。この矛盾は恍惚だ。射精しそう。
部屋の中に居場所がなくなったオレは気が狂いそうになる。体調不良で午前休をもらう。部屋の隅に体育座りで身を守る。何かがオレの中から行き去るのを待つ。延々とオーガズムを生む快楽装置の侵入を許したのはまずかった。あやはオレを指出して精液まみれの下半身を嘲っている。

午後は仕事をする。オレは恥ずかしい。誰とも話したくない。リモートワークの特性を活かして誰とも会話をしない。Slack でいくつかのメンションのやりとりをする。自分宛のメッセージをみてむなしくなる。その問題領域の分野をちょっとかじっているから、オレにメンションがきている。なんてはないことだ。でもタイミングが悪い。オレはおおいに自尊心を損なう。オレに関わる世界の全てのことが利害関係の結果であり、パーソナリティを肯定はしないのだと、という一般論を信じ始める。オレが死んでも代わりはいるということは良いことだ、でもそれがどうもウツ病患者であるオレには許容できない。拡大した自尊心は攻撃的になり、理不尽になり、そしてそれを止めるのに非常な精神力を必要とする。幼児がえりしている。乳を出す良い乳房と乳をださない悪い乳房の二つしかない世界に棲まうまだ自我が未分化の乳児と変わらない。聞き分けのない乳児を殺してしまう親たちだって精神力に限界があるだろうと同情する。

仕事が終わる。逢魔が時。この時分になると精神力がなくなり、自分を殺したくなる。でも自分が自分を殺すことなんてできっこないという考えを始める。実際ほとんどそうなのだがこれは良くない。自分が自殺しない理由はたくさんあげられるし、実際に自殺をしようとするまでのプロセスの難易度を積み重ねて自分は死にはしないと安心する。一方でそのシミュレーションが、イメージトレーニングになっており、どこかひとつだけ「思い切り」さえすれば突破できるということに気づく。まだ死なないという境界は、不意に訪れる失敗や自己嫌悪でカンタンに越えていけるのだ。かっとなってやった、同じように、イメージトレーニングができていると、かっとなって激しいウツに巻き込まれると簡単に背中を押される。オレは何を考えているのだ。完璧に死にたがりのウツ病患者の考えそうなことだ。風呂にはいって座禅を組む。何も考えないようにすると気づく。何も言葉は浮かんでこないのに脳みそがなにか異常な速度で動いている。

部屋にもどって頭を抱える。なにか代替で誤魔化したい。いっそ、疎外感があるなら恋活でもしようか。恋人というのは利害関係をこえた何かと聞いたことがある。スタンダールだろうか? まあなんでもよい。あやがいう。「お前が自分以外を好きになれると思えない」。失敬な。オレだって人は好きになる。男女問わず性的な魅力を感じることが多いんだぞ。三島由紀夫になら斬られたっていいんだ。「お互いに不幸でしょ?」とあやが吐き捨てる。
明日、世界が滅びればいいのに。そうしたら、みんな、等しく、不幸だ。

クスリを飲んで寝る。